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夢は大きく
 先週の記事もまた反響が大きく、アクセスも非常に増えて、驚いています。
多くのみなさまに読んでいただけて、たいへん感謝しております。

さて、このところ、自閉症・ASDは知的障害の部分も含めて、
療育によっては改善していけることをお伝えしたくて書いてきましたが・・・

「治る」という記述が相応しくないとのご指摘が、多く寄せられました。

その言葉にそれほどコダワリを持って使っていたわけではなく、
「よくなる」程度の意味で使っていましたが、あまりの反響に、
逆に、いかに多くの方が、「完全には治らない」ことを、日頃から意識しておられるのか、知ることとなりました。

実際に、いまの医学では、完治した人はいないのかもしれません。
(欧米の事情にそれほど詳しくないので、私が知らないだけかもしれません。
また、完治が何を指すのかも定義がわからないので、これについては、よく分かりません)


でも、症状を良くしようとして、地道な努力で毎日必死にコツコツと療育を続けていく過程において、「けれども、最終的には絶対に完治はしない」と覚悟を決めておくことが、そんなに重要なことでしょうか。

私には、わざわざ親の常識として、上限のラインを引いておく必要性って、それほど無いかなと思えるのです。

完治といえる基準って、なんなんでしょう?

もちろん自閉症の特徴があるかないか、だという事は解るのですが、
そのボーダーのところの、グレーゾーンの群の中には、社会では健常者で通っている人もワンサカいるんじゃないでしょうか。

その隣の全くの健常者とされる群の中にだって、限りなく、グレーソーンに近い人もいるわけで・・・

そうなってくると、どこからが全くの健常者で、どこからが自閉症者なのか、はっきりと線引きはできないんじゃないかと思うんです。

世界中の人を自閉症の最重度の人から健常者まで並べたとき、ある一箇所の時点で急に自閉症傾向な特性が全く認められない人々ばかりになるとは思えないのです。
だんだん薄まっていって、終いには自閉圏じゃなくなるんだと思います。

だとしたら、なんとなく、グレーゾーンの端っこの方になれれば、もう社会生活上は良いわけで・・・
そんなに「完治・完治しない」にこだわる事もないように思えます。

「症状をよくしたい」「改善していこう」とする時に、初めから限界を意識することのほうが、モチベーションが下がる気がするのは、私だけかもしれませんが・・・


たとえば、すごい運動音痴な人が、何かのスポーツを始めるとします。
はたから見れば、どんなに頑張っても、運動神経抜群の人のように上手くはなれないと思うし、まさか、何かの大会に出て良い成績を残したり、ましてや国体やオリンピックになんか出られる訳がないと、冷静に思うでしょう。

でも、当の本人は、もしかしたらTVで見たテニスの錦織圭選手や、ゴルフの石川遼くんや、
なでしこジャパンなど、世界の第一線で活躍する人に憧れて、そうなりたいと思って、目標を高く持って始めてるかもしれないのです。

たしかに、中には、どうせ、運動音痴なんだから、そのスポーツを楽しめる程度に上手くなれればいいやと思って始める人もいるでしょう。

でも、たしなみ程度に上達できればいいと思って練習を始める人と、
無謀かもしれないけど、オリンピックに出てやる!金メダルを取りたい!と思って練習に励む人では、おのずと練習量も気合の入れ方も違ってくると思います。

とはいえ、高い目標を掲げていたからといって、結果は、どの大会でも勝てなくて、たいした成績は残せないかもしれません。
でも、一生懸命がんばって、そのスポーツに打ち込んだ時間は無駄になるでしょうか。
結果が出せなかった時、そんなに心配するほど挫折感を味わって絶望するでしょうか。
本大会の前には、日頃の練習試合もたくさん経験します。
自分の実力だって、じつは本人が一番分かっていると思います。


でも、いくら、いま現在の実力がたいした結果を出せていないとしても、
そこで諦めたら、そこ止まりです。
それでも歯をくいしばって、上を向いて、努力して練習を続けていったら、どんどん上達するのではないでしょうか。
最初から楽しく出来る範囲での練習しかしなかった場合と、習熟度に差が付いていくのではないでしょうか。

たとえ、最後にはオリンピックに行けなくても、
最初からオリンピックは無理だと覚悟を決めて、上手くなれるのは少しだけだろうと想定して始めるのでは、上達具合が違ってくる気がするんです。


私は、プチ子の将来に関しては、ばかみたいに高い目標を掲げていきたいです。

それで、いつか成人したときに夢が叶えられなくても、後悔はしません。

最初から諦めて、努力する機会も無いほうが、どれだけ悔しいか分かりません。


夢は大きいほうが、目指していく途中の道のりが楽しい気がします。




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| こころくらぶ | 00:39 | comments(4) | trackbacks(0) |
知的障害を治したい
 前回の記事「自閉症(発達障害)は治らない?」には、たくさんのアクセス、また数々のコメントをいただき、ありがとうございました。

いただいたコメントの中には「治らない」という事に関して、

“自閉症・発達障害は完全には治らない。
どんなに療育をしたり、環境を整えても、障害の特徴は消えることはなく残ってしまう。
どんなに改善しても、最終的に健常者にはなれない。”

といったご指摘やご意見もあり、自閉症という障害に対して、親として、あらためて考えさせられるキッカケになりました。

いままで漠然とプチ子の発達障害を「治したい」と思っていたのが、
プチ子の症状の何をどう治したいのか、目指すところがどこなのか、
だんだん形がみえてきたように思います。

はっきり認識していたわけではありませんが、
目標としては、プチ子を完璧に健常者と同じにしようと考えていたわけではなく、
そこは意識していなかったというか・・・
もともと、そこまで目指していないのだということが分かってきました。

まだプチ子が小さくて診断されたばかりの頃は、
聴覚過敏や触覚過敏だったり、おそらく見え方も問題あったかもしれないし、
泣いてばかりで人と目をあわさないどころか、常に腕で顔を覆って隠していたとか、
たぶん認知できなくてなのか、運動機能が悪すぎるのか分からないけど、よくガラスのコップを食べてしまうなどの、いろんな自閉症っぽい問題行動や症状も多々ありました。

でも、年齢を重ね、療育を続けていく内に、成果も上がって、徐々にそれらは消えていき、
今では、集中が続かない、すぐマイ・ワールドに入る、しょっちゅう着替えたがる、同じ服を着たがる、注意しないと人とあまり目を合わせない・・・etc.程度になってきたので、最近さほど気にしていません。
たぶん、知的障害(はじめは言葉がなかった)のほうが深刻すぎて、症状のほうは二の次になっていった気がします。

おそらく、同じ自閉症(発達障害)でも、知的障害があるとないとでは、障害について困っている部分に違いが出てくると思われます。

多くの知的障害のある自閉症児の親は、自閉症の特徴よりも知的障害こそが問題になってくるのじゃないか、というように感じます。

将来的に、自閉症の特性を消せなくても、最低限のコミュニケーション・スキルや社会的習慣を身に付けさせ、なんとか自立できるようにさせたい。
そのためには、療育を信じて頑張ろう!と、今は限界は意識せずに毎日を過ごしています。

以下に、一昨年に開催された平岩幹男先生(日本小児保健協会常任理事)の講演会で私が学んできたことで、いまでも療育を信じて頑張ろうと思える支えになっているお話しを載せます。(無許可ですけど・・・、いいですよね?講演されてた内容ですから)

自閉症のグループは従来は広汎性発達障害(PDD)と呼ばれてきましたが、
最近の医学会では、その症状にも知能にも連続性(スペクトラム)があるため、
自閉症スペクトラム(ASD)と呼ばれることが多くなっているそうです。

現在、100〜200人に一人の割合で、自閉症全体が存在するそうですが、
その中で、知的障害の無い高機能自閉症(かつてはアスペルガーとよばれた)群が70%、
知的障害を伴う、いわゆる従来の自閉症(カナータイプ)といわれる群は、300〜400人に一人だそうです。

そして、そのカナータイプの内、10人に一人か二人は、療育を施さなくても自然と言葉を獲得する場合があるそうですが、残りの8〜9人は、療育なしでは話せるようにはならないそうです。

IQは成人においては固定されるそうですが、幼児期のDQは訓練により上がる事もあり、様子をみているだけでは、逆に下がっていく事もあるそうです。

多くの療育センターなどでは、DQ=IQと捉えられ、発達検査で低い数値が出ると将来も知能が低いと思われているけれども、個別の療育次第でDQは上がるし、知的障害も改善するそうです。

療育の目的は、社会的困難を抱えるコアな群に対して、いかに社会生活が何とかなるグレーゾーンという周辺群に、または更にその外側の困難のない群に移動させるかにあり、たとえ特性が残っても、社会生活上の困難を軽減できれば成功といえるそうです。


※日本小児保健協会理事・平岩 幹男 先生 講演会より http://cocoroclub.jugem.jp/?eid=62#comments 参照



そう、治したいのは、「自閉症の特性を無くす」ということではなく、
社会的困難の部分です。

言葉が話せなくて、人とコミュニケーションがとれなくて、コダワリなどの想像力の障害があって・・・
こういった困難さを少しでも減らし、
早期療育によって言葉を獲得したタイプ(=今や第二の高機能自閉症ともよばれる)になって、
いずれは自分で稼いで生活していけるようになる。

それが、知的障害を伴う発達障害児であるプチ子の目指す道です。



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| こころくらぶ | 00:26 | comments(12) | trackbacks(0) |
自閉症(発達障害)は治らない?
 昨年末からバレエのレッスンを二箇所に増やしました。

二年前から隔週土曜日には一時間以上かけて国立(くにたち)まで障害児向けのバレエを習いに行っています。
先生はとっても明るくて、どの子供たちにも愛情たっぷり、いつもすごく褒めて教えてくれるので、プチ子はバレエが大好き!です。
そこは、親も一緒に踊らなきゃいけないので、私も毎回いい運動になります(密かに痩せないかと期待したけど、隔週じゃ甘い)。
私がお兄ちゃんの野球の当番で行けない時は、なんとパパが連れて行って踊ってくれてます!(見たくないなー)
他の子のママ・パパも大勢いらして、みなさんも子供達を褒めてくれるから、プチ子が得意げになって喜んでいる姿を間近に見れて嬉しいし、とても和気あいあいとしたお教室です。

毎回レッスンの帰りには、「こんどの土曜日にはバレエないの?」と聞いてきます。
そんなにバレエやりたくて楽しめているんならと、もっとやらせてあげたいけど、やっと見つけた障害児向けにレッスンしてくださる先生。他には、なかなか無いだろうなーと思っていました。

それがたまたま、世田谷区の支援級に行っているお友達が、やはり障害のある子に教えてくれる自由が丘のバレエ教室に行き始めたと聞いて(口コミって有り難い!)、そこも隔週だし、合わせて週一回のペースなら丁度いいかと、そこでも習い始めることにしました。

そちらは、親はスタジオ内に入れず、レッスンは見れません。唯一、体験の日に見学させてもらった時は、とても真剣な先生で少人数に対して丁寧に教えてくださる感じでした。
ママ達は別室でノンビリお喋りしながら待機です。



で、ここから本題です。前振りが長くてスミマセン。

その新く通い始めたバレエ教室。みなさん同じ学校の支援級のお仲間です。
それぞれ発達障害やダウン症など様々なお子さんがいらしています。
国立のバレエ教室もそうだけど、やっぱり周りがみんな同じような仲間だと、ふだん普通級で過ごしている時より、プチ子が何をやっても分かってもらえるし、親としては変に気を使わなくて良い分、とっても気楽です。
健常児の場合は当たり前のような状況ですが、周りの子が、みんな我が子と同じで、他の親御さんにも気を使ったり説明したりしなくて良いって状況って、すっごく楽だな〜と、しみじみ思います。

世の中の人がみなプチ子と同じで、それがスタンダードなら、居心地は良いし、なんの苦労もないでしょう。
でも、現実の世界では、健常者の中に入れば、プチ子は知能が遅れているし、とても周りと同じようには出来ない事だらけです。

その現実の世界で、発達障害のプチ子が、いかに幸せに生きていくか、ということが永遠の課題です。


この前のレッスンの日、子供達がバレエをやってる間にママ達で話していたら、
「知り合いで、私学の普通級に行っている二年生のお子さんが、クラスで変わった行動を取ってしまい、最近になって発達障害といわれ、どうしたら良いか困っている。学校を替えるべきか悩んでいる」という話になりました。
なんでも、区の療育センターなどでは、私学に行っている子には対応してくれないそうです。

じゃあ、民間の療育センターに行ってみたらどうか、療育で問題行動を改善して今の学校を続けられるようにしてはどうか、という話をしていたら、
別な一人のママさん(そのお子さんは自閉症とは違うようです)が、
「でも、自閉症って、治らないんでしょう」と、ちょっと水を指すような口調で言われました。

そして、とある有名な療育センターで、過去にプチ子も一年ほど通っていましたが、まったく症状が改善しなかったセンターを、とても良い所だと、お勧めされていました。
そこは、どちらかと言うと、親の側の意識を改善して、ありのままの障害を受け入れていくことを指導される印象です。


ああ、またか。と思いました。

自閉症、発達障害の類は、治らない。


欧米(とくにアメリカやオーストラリア)では、いまや自閉症は早期に発見して早期に治療をすれば、かなり改善できることが常識となっているのに。

大きくなっても、対人関係の不器用さ、こだわり等、自閉症の特徴は完全には消えないかもしれませんが、適切な指導を受けることで症状が軽くなることは、もはや科学的な裏付けさえされているのに。


日本では、医療関係でも、療育機関でも、親が説明を受けるときには、いまだに大抵「自閉症は治りません」「発達障害は治りません」と、言われます。

プチ子も、多くのお医者さんや療育センターの専門家に、「発達障害は治るものではありません」と言われました。

治らないと言われて、そのままにして治さないでいたら、どうなるのでしょう。

親が生きている間、ずっと守っていくしかないのでしょうか。
守られていれば、本人は幸せでしょうか。

たとえ経済的に守られていても、お友達関係や、恋をしたり、結婚して子供を授かり育てるなどの幸せを手に入れるのは難しいかもしれません。

親なき後は、どうなるんだろう?

できれば、親以外にもプチ子を愛してくれる人ができて、(兄弟児が居たって、将来は本人の家族も出来るだろうし、親同様の負担を彼にはかけさせたくないな〜)、好いてくれて親しくしてくれるお友達がいてくれたら、どんなにか良いでしょう・・・

できれば、通常の社会生活を営ませてあげたいなーと願うのは、親の無謀な欲でしょうか。

治らないよりは、少しでも改善されたほうが良いと思うのは、自然な発想だと思うのですが、
多くの日本の医療・療育現場では、そういった考えを否定するかのように「絶対に治ることはない」と強調されます。


でも、げんにプチ子はABAを中心とした適切な療育のおかげで、数々の問題行動がなくなり、この四年間で、知能もすごく成長しました。

どんどん改善されてきている症状を、治ってきていると表現しても過言じゃないと思います。


女子サッカーの澤選手だって、20年前には、日本がワールドカップ世界一になって、バロンドールの称号を与えられるとは誰にも想像もできない中で、夢を諦めないで努力をしつづけたからこそ、実現することができたのです。


自閉症は治らない、発達障害は治らない、という日本の常識を、信じないという選択肢があっても良いですよね?


プチ子が今後どこまで伸びるか分かりませんが、げんに今の段階ですら、
最近では、よく「プチ子ちゃんの、どこが障害なの?」と聞かれるくらい、普通の子に近づいてきています。

このまま療育を続けていったら、限りなく健常者っぽくなっていって、どこからが障害者なのか、区別が難しくなったら、治った!って、言えないのかな〜?

診断を受けていない健常者で、限りなく発達障害っぽい人って、大勢いるでしょう?
そういう人になって、普通に社会生活を送るのが、私の中で、プチ子が治ったと言える基準です。


治らないんだから、無理に治そうとするのは良くない、っていう考えが日本では主流だけど、
なんだか、とってももったいない気がします。



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| こころくらぶ | 22:51 | comments(27) | trackbacks(0) |
人生ゲームに、はまってます
 お正月に家族で「人生ゲーム」を何回かしました。
そう、昭和の時代に流行った、あの懐かしのゲーム盤です。
今じゃ色んなバリエーションが出ていて、我が家で去年お兄ちゃんと選んで買ったのは、
「ジュニアステージ付き 人生ゲーム」という、2枚組タイプ。
オーソドックスな億万長者ステージ(所要時間60分)に+(簡単に30分で終われる)ジュニアステージがついていて、続けてでも、どちらか単独でも楽しめます。

去年のお正月に家族で遊んだときは、プチ子はルールも何も理解していなくて、ただのスゴロクとしてすら、コマを正しく進められなかったり(マスの数を正確に数えない・逆走あり等)、止ったマスに書いてある事を読むのも難しいから嫌がっていたし、お金のやり取りも$1000以上の紙幣ばかりで難しかったし、とにかく何も楽しめていなくて、全くつまらなさそうでした。


でも、今年は違いました。

最初にやった日に、プチ子が断トツ1位で気を良くしたのも原因かもしれないけれど、
ま〜、なんせ気に入っちゃって気に入っちゃって!

三箇日を過ぎても、毎日必ず付き合わされています。いまだに。

30分で出来るジュニアステージが、字も大きくて、内容も「逆上がりができなくて$5000払う」などプチ子にも理解しやすい身近な事が書かれており、丁度プチ子には分かり易いのです。

字も何とか読めるようになった(読むのを億劫がらなくなった)ので、自分のマス目は必ず音読させています。意味も理解できて面白いようです。

三年生の算数で大きい数の勉強をしたおかげで、$5,000や$20,000なんかもスラスラ読めるようになりました。支払いをする時にも、なるべく自力でお札を数えさせて、5千と5千で1万ドルとか計算させています。

最初は、その辺りの紙幣の組み合わせが難しかったので、お正月の駅伝のTVを横目に、ひたすら1000と1000で2000、1000が5枚で5000などの基本事項を徹底して教えました。

プチ子は学校の算数で数の計算をする時は、紙に式が書いてあるのを目で見て筆算したりすれば出来るのですが、たぶん概念が分かっていないので、お金を使っての数の計算はできていなかったのです。
今年は私の頭の中では、柏原(山ノ神)といえば「人生ゲーム」のオモチャのお金がチラつくほど、そこの所を繰り返し繰り返し教えました。
今日では、もう得意げに、2万$札×2枚と1万$札1枚を組み合わせての5万$分を渡してくるようになりました!

なんて勉強になるゲームなんざんしょ。
こんなに人生ゲームで国語と算数の能力UPができるとは、知りませんでした。
やっぱり、好きで楽しい時には脳が活発に動いて何でも吸収できるんですね〜


そして何故か毎回すごく運が強くて、かなりの確立で優勝します。(持ってる!?)

最後に優勝して、みんなから「すごーい!」と言ってもらえるのも、自閉症の勝ちにこだわる部分を満足させられていて、いいのかもしれません。
でも、負けても、小さい時みたいに大泣きして絶望的になったりしません。
ピアトレでお友達と遊んだ時に練習したおかげで、「あ〜あ、負けちゃった」と笑っていられます。


プチ子、あらゆる方面で、すごい成長しています。




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| こころくらぶ | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
べんきょうをがんばる
 あけまして おめでとうございます 

って、もうお正月もとっくに過ぎて、10日になっちゃいました!

年明けから、また沢山の方に訪問していただいていたにも関わらず、
ブログの更新を怠っていて、すいませんでした。

今日から子供たちの学校も始まりました。
いいかげんお正月ボケを返上しなくては〜


今年も、こころくらぶの活動のこと、
プチ子(&お兄ちゃん)の療育や教育のこと、など、
なるべく、みなさまの役に立てるような記事を目指して書いていこうと思います。
応援よろしくお願いいたします



さて、新年あけて早々に、子供たちはお年玉をもらって喜んでいました。
使い道を考えているうち、なぜか途中から、今年の目標をそれぞれ発表することになって、こどもたち何やら紙に書き始めました。

お兄ちゃんの目標は、「今年は野球とスキーを頑張る」でした。
受験も終わったことだし、勉強はちょっと一段落して部活のほうに熱中するのも、それもいい気もします。

プチ子は、意外なことに(と言っては失礼だよね)、「べんきょうができますように。 さんすうがんばる」と書いてありました。

きっとプチ子は、勉強はそんなに好きじゃないけど、やらなきゃいけないと分かっていて我慢して頑張っているのかと思っていました。

お兄ちゃんが年末年始に2回もスキー合宿に行ってるのを見て、「いいなー。プチ子もスキーやりたい!」と駄駄々をこねていたから「スキーに挑戦したい」とか、
お勉強の塾以外にも、いろいろと習い事(ピアノ・習字・バレエ・ダンス)などをやっているんだから、そっちを頑張りたいのかと思っていたら・・・

大好きなダンスなどではなく、勉強をがんばりたいと。
しかも、算数ですか!
漢字みたいに覚えるだけじゃ済まなくて、いちばん苦手なはずなのに〜

療育先のC.C.からの指導で、ここ数箇月、九九のカードと足し算・引き算のカードは、なるべく毎日、家で時間を測って繰り返し練習させています。
どんどん出来るようになって、褒められてご褒美(最近はオヤツにお餅ばかり)をもらえると、やっぱり楽しいようです。

冬休み中も、自ら積極的に学校の宿題に取り組んで、分からない所は「教えて」と自分で言ってきて、感心していました。
一緒にやりながら少し手助けするだけで、かけ算・わり算の問題も、分数の計算も、大きい数も、円と球も、ずいぶん自力で解けるようになりました。(一人じゃまだまだ難しい所もありますが)

毎回「すごいね〜!プチ子ちゃん、ぜんぶ合ってるよ!算数って簡単だね〜!プチちゃん、算数得意だね。」と、おだてています。
もちろん、パパやお兄ちゃんも立派なギャラリーとして「おお〜すごい!!プチ子、えらいねー」などと喝采を浴びせてくれます。

そうこうするうちに、自分でも算数への苦手意識が薄れてきたのかな?


あんなに勉強が嫌いだったプチ子が、

算数をやらせようとすると怒り出して大変だったプチ子が・・・

「さんすう、がんばりたい!」なんて

あ、こいつぁ 春から 縁起がいいわい〜  です。




みなさまにとっても、今年がいい年となりますように!





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| こころくらぶ | 17:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
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