諦めないで! (*’−^)ー☆
2011.06.30 Thursday | category:ブコより 療育の事
「あきらめないでください!絶対にあきらめないで」
これは、プチ子の療育先「チルドレン・センター(以下、C.C.)」の所長先生に、先日のミーティングで言われた言葉。(真矢みき、じゃありませんよ〜)
赤ちゃんの頃から、発達がと〜っても“ゆっくり”だったプチ子。
一歳半検診でも、歩くことも話すことも出来ず、周りの子と比べると、やたら遅いな〜
とは思ったけど、それでも「この子は、のんびりペースの子なんだわ」と、気に留めず・・・
いつか、幼稚園まで位には、追いつくだろうと、焦らず、とにかく大事に可愛がって育ててきて・・・、
三歳までに色んな先生に診察してもらったけど、何処でもはっきりと診断名を言われる事なく、決まって「もう少し様子をみましょう」と。
唯一、病名っぽいのを言われたのが、三歳の誕生日も間近な頃、「強いて言えば、表出性の言語障害。大丈夫。じき、話せるようになりますよ。」と、某精神科の先生の診断でした。
そのせいで、(いや〜、今思えば、犯罪でしょ!)
適切な療育が必要とは、さほど思わずに、のんびり構えてしまい、あまり効果が期待できないような療育指導に通って、大事な三歳・四歳の時期を過ごしてしまいました。
言語指導にも、OTみたいな感覚統合の指導にも、杉並区の発達センター以外に、世田谷や新宿まで、週に一回づつ通ったりしていたけど、おそらく、もっと軽度のお子さんなら、何らかの効果が出たのかもしれませんが、プチ子の知的な遅れには全然ひびかないようでした。
四歳ころになり、やっと以前と違うお医者さんから「あんた、はっきり言って、かなり深刻なの、分かってる?こりゃ、大変だよ」と言われ出し・・・
国立生育医療センターなどの大きい病院から最終的に“知的障害を伴う広汎性発達障害”と診断名を下されて、はじめて「そうかー、このまま、あの生ぬるい療育に通っていても、周りの子達に自然と追いつくワケには、いかなさそうだな・・・。なにか、もっと効果的な方法を見つけなければ!」
と、やっと目覚めて奮起し、いろいろ調べて、ABAにたどり着いた時には、プチ子は年中さん(もう五歳近く)になっていました。
ABAを始めるのが最も効果的な年齢は、2〜4歳と言われていますが、それでも、プチ子だって、まだまだ間に合うに違いない!!
プチ子に限って、絶対まだこれからでも遅くない!きっと遅れは取り戻せる!と信じて、ABA療育を続けてきました。
それから、三年以上が経ち、その間にプチ子は小学生になりました。
特別支援級が向いていたであろう所を、「いつか絶対追いつく!」信念で、無理して通常級に入れました。
最初、一年生の頃は、「どうして、あんな子が、普通級にいるの?」レベルだったかもしれませんが、その後、どうにか先生や周りのお友達の力を借りながら、何とか今では、「まぁ〜、学年に一人くらいいるよね。ああいう、出来の悪い子」くらいの、普通の子達の中での一番遅れてる子、程度に伸し上がってきました。
かつて、スクールカウンセラーの先生に(区の教育センターから来ている先生です)、
去年あたりは「間違いなく、プチ子ちゃんは、この学校で一番知能が低いですよ」と、言われてたけど、この三年間の必死の療育と学習のおかげで、
もしかしたら、今では、他の学年も合わせたら、勉強の出来具合じゃ同じようなレベルの子は他にもいるんじゃないかな〜という気がしてきた程です。(親の贔屓目かもしれないけど)
それだけ、追いついてきた実感がする近頃でした。
ただし、この間、WISKを受けるまでは・・・。
その後の、C.C.での家族ミーティングで、そのWISK結果について相談させていただき、今後の具体的な指導プログラムを組んでもらいました。
先生は、無駄な慰めなどは言われませんが、ミーティングの最後に、冒頭の言葉を力強く言ってくださいました。
たしかに、いま、WISKの数値では思うような結果が出せていなくて、ガッカリですが・・・、
一度は、過去に田中ビネーでは結構いい数値を出せたのだし、
ここで落ち込んで立ち止まったら、プチ子の成長もここで止まってしまう・・・。
諦めたら、そこでストップ・・・、もしくは逆戻りしてしまう、
今まで諦めなかったから、ここまで登って来れたのに・・・。
やっぱり、諦めるわけには行かないし、
無謀な夢でも、希望を見据えているほうが、
諦めの境地にいるよりか、ず〜っと楽しいです。
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これは、プチ子の療育先「チルドレン・センター(以下、C.C.)」の所長先生に、先日のミーティングで言われた言葉。(真矢みき、じゃありませんよ〜)
赤ちゃんの頃から、発達がと〜っても“ゆっくり”だったプチ子。
一歳半検診でも、歩くことも話すことも出来ず、周りの子と比べると、やたら遅いな〜
とは思ったけど、それでも「この子は、のんびりペースの子なんだわ」と、気に留めず・・・
いつか、幼稚園まで位には、追いつくだろうと、焦らず、とにかく大事に可愛がって育ててきて・・・、
三歳までに色んな先生に診察してもらったけど、何処でもはっきりと診断名を言われる事なく、決まって「もう少し様子をみましょう」と。
唯一、病名っぽいのを言われたのが、三歳の誕生日も間近な頃、「強いて言えば、表出性の言語障害。大丈夫。じき、話せるようになりますよ。」と、某精神科の先生の診断でした。
そのせいで、(いや〜、今思えば、犯罪でしょ!)
適切な療育が必要とは、さほど思わずに、のんびり構えてしまい、あまり効果が期待できないような療育指導に通って、大事な三歳・四歳の時期を過ごしてしまいました。
言語指導にも、OTみたいな感覚統合の指導にも、杉並区の発達センター以外に、世田谷や新宿まで、週に一回づつ通ったりしていたけど、おそらく、もっと軽度のお子さんなら、何らかの効果が出たのかもしれませんが、プチ子の知的な遅れには全然ひびかないようでした。
四歳ころになり、やっと以前と違うお医者さんから「あんた、はっきり言って、かなり深刻なの、分かってる?こりゃ、大変だよ」と言われ出し・・・
国立生育医療センターなどの大きい病院から最終的に“知的障害を伴う広汎性発達障害”と診断名を下されて、はじめて「そうかー、このまま、あの生ぬるい療育に通っていても、周りの子達に自然と追いつくワケには、いかなさそうだな・・・。なにか、もっと効果的な方法を見つけなければ!」
と、やっと目覚めて奮起し、いろいろ調べて、ABAにたどり着いた時には、プチ子は年中さん(もう五歳近く)になっていました。
ABAを始めるのが最も効果的な年齢は、2〜4歳と言われていますが、それでも、プチ子だって、まだまだ間に合うに違いない!!
プチ子に限って、絶対まだこれからでも遅くない!きっと遅れは取り戻せる!と信じて、ABA療育を続けてきました。
それから、三年以上が経ち、その間にプチ子は小学生になりました。
特別支援級が向いていたであろう所を、「いつか絶対追いつく!」信念で、無理して通常級に入れました。
最初、一年生の頃は、「どうして、あんな子が、普通級にいるの?」レベルだったかもしれませんが、その後、どうにか先生や周りのお友達の力を借りながら、何とか今では、「まぁ〜、学年に一人くらいいるよね。ああいう、出来の悪い子」くらいの、普通の子達の中での一番遅れてる子、程度に伸し上がってきました。
かつて、スクールカウンセラーの先生に(区の教育センターから来ている先生です)、
去年あたりは「間違いなく、プチ子ちゃんは、この学校で一番知能が低いですよ」と、言われてたけど、この三年間の必死の療育と学習のおかげで、
もしかしたら、今では、他の学年も合わせたら、勉強の出来具合じゃ同じようなレベルの子は他にもいるんじゃないかな〜という気がしてきた程です。(親の贔屓目かもしれないけど)
それだけ、追いついてきた実感がする近頃でした。
ただし、この間、WISKを受けるまでは・・・。
その後の、C.C.での家族ミーティングで、そのWISK結果について相談させていただき、今後の具体的な指導プログラムを組んでもらいました。
先生は、無駄な慰めなどは言われませんが、ミーティングの最後に、冒頭の言葉を力強く言ってくださいました。
たしかに、いま、WISKの数値では思うような結果が出せていなくて、ガッカリですが・・・、
一度は、過去に田中ビネーでは結構いい数値を出せたのだし、
ここで落ち込んで立ち止まったら、プチ子の成長もここで止まってしまう・・・。
諦めたら、そこでストップ・・・、もしくは逆戻りしてしまう、
今まで諦めなかったから、ここまで登って来れたのに・・・。
やっぱり、諦めるわけには行かないし、
無謀な夢でも、希望を見据えているほうが、
諦めの境地にいるよりか、ず〜っと楽しいです。
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弱音を吐ける余裕
2011.06.26 Sunday | category:ブコより 日々の事
前々回の記事に、「あ〜、まともな子供が欲しい!」なんて、書いたもんだから・・・、
何人かの方から、疲れているんじゃないか?と心配されてメールを頂きました。
ご心配おかけして、スイマセン
大丈夫です。そんなに、すごく深刻に「まともな子が欲しい」と、つぶやいたワケではないのです。
どちらかと言うと、そんな事を冗談でつぶやける位、余裕が出てきた感じです。
例えが変だけど、精神的に参ってる人が、本当にドン底の時は自殺する気力もないけど、ちょっと回復して出かけられるくらいの時が、むしろ実行に移しやすい・・・みたいな?
だから、今まではプチ子が心配すぎて、療育に必死すぎて、愚痴を言う暇もなかった
のが、最近やっと、少しは回りに追いついてきて・・・、(学校に行けて、お友達もできたり、近頃じゃテストで20点とか取るようになってきたりして、私ぁもう、ノビ太の母みたいに大喜びしてますよ〜!あ、ちなみに100点満点のテストの話です)
私もようやく少し立ち止まって、振り返ってというか、冷静に周りを見直し始めてというか、
やっと弱音を吐ける余裕が出てきた・・・と言ったところでしょうか。
ほんとうに私が精神的に参っていた時期は、やはり4〜5年前です。
その頃は、起きているときこそ、忙しさに紛れて他の事に気を取られたりしながら過ごせたけど、
毎朝、目が覚める時が一番恐怖で、夢から覚めると、
「あ〜、現実の世界では、私の娘は自閉症なんだったわ。
知的障害があると、プチ子の人生は、これからどうなるんだろう・・・。
もう、家族の普通の幸せは望んじゃいけないのかな。
(自分の人生が、障害児を産んで不本意だ!という意味じゃないですよ。子供達が心配なだけ)
兄弟児の結婚すら難しくなるのかな。お兄ちゃんゴメン・・・。
それにも増して、プチ子ごめん。障害のある子に産んで、ゴメン。
できる事なら、変わってやりたい。
私が今後、一生アルツハイマーか何かになる事で、プチ子の障害がなくなるのなら、
喜んで一生精神病棟の個室に監禁されるし、一生誰も面会に来なくって、廃人でもいいです!
と本気で願いました。
でも、そんな願い事は叶うはずもなく。
他人に言えるハズもなく。
というより、そんな本音を他人(身内でさえ)に言う気力がなかった・・・
人前で言ったら、その場で崩れて死にそうでした。
だから、いま、こうして、ちょっと気楽に「あ〜ぁ、嫌になっちゃうわ!もっとマトモな子が欲しいわ〜」と言ってるのは、元気な証拠です。
それも、プチ子じゃない、他の健常の子が良いと言ってる訳じゃありません。
あくまで、問題行動を起こさない、知能の遅れてないプチ子だったら、どんなにか良いナ〜程度なんです。
こうして、愚痴を言うことは、また明日から前向きに頑張るための休憩時間みたいなものです。
心配してくれて、ありがとう
大丈夫だからね。まだまだ頑張るからね!
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何人かの方から、疲れているんじゃないか?と心配されてメールを頂きました。
ご心配おかけして、スイマセン
大丈夫です。そんなに、すごく深刻に「まともな子が欲しい」と、つぶやいたワケではないのです。
どちらかと言うと、そんな事を冗談でつぶやける位、余裕が出てきた感じです。
例えが変だけど、精神的に参ってる人が、本当にドン底の時は自殺する気力もないけど、ちょっと回復して出かけられるくらいの時が、むしろ実行に移しやすい・・・みたいな?
だから、今まではプチ子が心配すぎて、療育に必死すぎて、愚痴を言う暇もなかった
のが、最近やっと、少しは回りに追いついてきて・・・、(学校に行けて、お友達もできたり、近頃じゃテストで20点とか取るようになってきたりして、私ぁもう、ノビ太の母みたいに大喜びしてますよ〜!あ、ちなみに100点満点のテストの話です)
私もようやく少し立ち止まって、振り返ってというか、冷静に周りを見直し始めてというか、
やっと弱音を吐ける余裕が出てきた・・・と言ったところでしょうか。
ほんとうに私が精神的に参っていた時期は、やはり4〜5年前です。
その頃は、起きているときこそ、忙しさに紛れて他の事に気を取られたりしながら過ごせたけど、
毎朝、目が覚める時が一番恐怖で、夢から覚めると、
「あ〜、現実の世界では、私の娘は自閉症なんだったわ。
知的障害があると、プチ子の人生は、これからどうなるんだろう・・・。
もう、家族の普通の幸せは望んじゃいけないのかな。
(自分の人生が、障害児を産んで不本意だ!という意味じゃないですよ。子供達が心配なだけ)
兄弟児の結婚すら難しくなるのかな。お兄ちゃんゴメン・・・。
それにも増して、プチ子ごめん。障害のある子に産んで、ゴメン。
できる事なら、変わってやりたい。
私が今後、一生アルツハイマーか何かになる事で、プチ子の障害がなくなるのなら、
喜んで一生精神病棟の個室に監禁されるし、一生誰も面会に来なくって、廃人でもいいです!
と本気で願いました。
でも、そんな願い事は叶うはずもなく。
他人に言えるハズもなく。
というより、そんな本音を他人(身内でさえ)に言う気力がなかった・・・
人前で言ったら、その場で崩れて死にそうでした。
だから、いま、こうして、ちょっと気楽に「あ〜ぁ、嫌になっちゃうわ!もっとマトモな子が欲しいわ〜」と言ってるのは、元気な証拠です。
それも、プチ子じゃない、他の健常の子が良いと言ってる訳じゃありません。
あくまで、問題行動を起こさない、知能の遅れてないプチ子だったら、どんなにか良いナ〜程度なんです。
こうして、愚痴を言うことは、また明日から前向きに頑張るための休憩時間みたいなものです。
心配してくれて、ありがとう
大丈夫だからね。まだまだ頑張るからね!
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お友達に比べて・・・
2011.06.23 Thursday | category:ブコより 日々の事(プチ子とお友達)
きのう、先週の電話で約束してたとおり、お友達が三人、遊びに来てくれました。
プチ子は大喜びしてみんなを迎えたのですが・・・、
昨日は暑すぎて、いつも遊んでいる二階の子供部屋がサウナのようになってしまい、
ほとんどずっと下のリビングで遊ぶことになりました。と言っても、クーラーつけてないけど(^‐^;)
そのため、いつも二階にお道具がある「おままごと」(プチ子は毎回赤ちゃんの役か、犬か猫の役になって喜んでいます)をせずに、リビングに置いてあるサッカーゲーム(アナログ版)とか、いつもとちょっと違う遊びになってしまいました。
そのせいか、どうも、女の子達の話題についていけていない様子を多々みることになりました。
ガールズトークとまで行かないけど(三年生です)、「お母さんにプレゼントしたくて、これを買ったの」などと言いながら、自分のお小遣いで買った物を見せてくれる子がいても、、それには全然リアクション返せないでいたし。確かに難しいよね・・・でも、他の子と同じ台詞でもいいから言えたらいいんだけどな。
あとは、急に一人で「飴、欲しい人〜」を連発して(決っして間違ってないけど、ふつうはそんなにシツコク言わない)誰からも返事して貰えてなかったり。
「これ、なんて書いてあるの?コーラとラムネだって!ねえ、これ何て書いてある?」←自分で一回読めてるのに他人に聞く、というような、やはり変な話し方(普段、私がプチ子に対して言ってる言い方だな〜)を繰り返しては、ま〜、正直みんな“引いている”感じの場面や、サッカーゲームに入らずに一人だけお菓子を食べていたり、しまいにゃTVを見始めたりする状況を垣間見ることができました。
一・二年生の時より、お友達も大きくなってきているから、あまり大人が介入したら嫌だろうと思い、黙って観察していましたが・・・、さいごTV見始めた時には、さすがに「プチ子、TVやめて皆とサッカーゲームやろうよ!」と、強引に引っ張っていき、入れてもらっちゃった。
家族では何度も練習していて、一応少しは操作出来るので、「ほら、次、この赤の選手だよ。クルっと回して!はい、こんどこの選手。はい、シュート!」と、応援のフリして思いっきりプロンプト入れてたら、結構上手くゲームできて、周りも盛り上がり、こんどはお友達が代わって「ほら、プチ子ちゃん、この選手右にまわして!」などと言ってくれました。
こうやって、大人が介入したら楽しく遊べるレベルにはなってきたけど、
まだまだ全く誰の助けも借りずに皆と互角に遊べてはいないのが、よく分かりました。
というか、一年前までだったら、まだ、もう少し子供っぽくても許されてたけど、やっと話し言葉が追いついてきたと思ったら、周りの子は皆もっと大人びてきていた・・・というジレンマ。
ドラえもんの道具みたいに、周りの時間を止められるものでもあれば、その間に頑張って成長させるのに〜!
漕げども漕げども、向こう岸はドンドン遠くなるような・・・
でも、漕ぐのを止めて諦めたら、ますます遠ざかるし。
すこしづつでも、漕ぎ続けるしかないわけで・・・
はぁ〜あ、この間から、ちょっと疲れ気味。
極めつけは、お友達が弾いていたピアノ。
プチ子には、学校の音楽の鍵盤ハーモニカの練習として、時々使わせているけど、これまた牛歩の歩みの進み具合なのですが・・・(ま、それでも、一年生の時は押した指が離せなくて苦労したのが、今じゃ、ゆっくりながらもドからソまでの楽譜が読めて弾けるまでになりましたが)
三年生ともなると、さすがに聴き応えのある曲(バッハとか)を上手に弾いてくれて・・・。
そうだよな〜 ふつうは、どんなにサボっていても、ピアノ習っていたら、それくらい三年生で弾けるよね、と。
自分は、小学校の時、そんな曲弾いていたなー、とか。
お友達と、ケンカしたり、仲直りしたり、やっぱりもっと複雑な会話してたな〜、とか。
三年生の平均みたいなものがハッキリと浮かんできて、
なんじゃ、プチ子の今の様子は!って、気付いてしまったんです。
一番、やっちゃいけない事だけどね。
今まで、周りのレベルと違いすぎて、比べたりしてこなかったんだけどね。
比べるようになった・・・のは、もしや段々みんなに追いついてきたからこそ?なのかも。
もしかしたら、向こう岸は近づいてきているのだったら、いいな〜。
ブコ ここのところ急にアクセス数がすんごい増えてビックリ!してます。
多くの方に訪れていただき、たいへん光栄です。ありがとうございます
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プチ子は大喜びしてみんなを迎えたのですが・・・、
昨日は暑すぎて、いつも遊んでいる二階の子供部屋がサウナのようになってしまい、
ほとんどずっと下のリビングで遊ぶことになりました。と言っても、クーラーつけてないけど(^‐^;)
そのため、いつも二階にお道具がある「おままごと」(プチ子は毎回赤ちゃんの役か、犬か猫の役になって喜んでいます)をせずに、リビングに置いてあるサッカーゲーム(アナログ版)とか、いつもとちょっと違う遊びになってしまいました。
そのせいか、どうも、女の子達の話題についていけていない様子を多々みることになりました。
ガールズトークとまで行かないけど(三年生です)、「お母さんにプレゼントしたくて、これを買ったの」などと言いながら、自分のお小遣いで買った物を見せてくれる子がいても、、それには全然リアクション返せないでいたし。確かに難しいよね・・・でも、他の子と同じ台詞でもいいから言えたらいいんだけどな。
あとは、急に一人で「飴、欲しい人〜」を連発して(決っして間違ってないけど、ふつうはそんなにシツコク言わない)誰からも返事して貰えてなかったり。
「これ、なんて書いてあるの?コーラとラムネだって!ねえ、これ何て書いてある?」←自分で一回読めてるのに他人に聞く、というような、やはり変な話し方(普段、私がプチ子に対して言ってる言い方だな〜)を繰り返しては、ま〜、正直みんな“引いている”感じの場面や、サッカーゲームに入らずに一人だけお菓子を食べていたり、しまいにゃTVを見始めたりする状況を垣間見ることができました。
一・二年生の時より、お友達も大きくなってきているから、あまり大人が介入したら嫌だろうと思い、黙って観察していましたが・・・、さいごTV見始めた時には、さすがに「プチ子、TVやめて皆とサッカーゲームやろうよ!」と、強引に引っ張っていき、入れてもらっちゃった。
家族では何度も練習していて、一応少しは操作出来るので、「ほら、次、この赤の選手だよ。クルっと回して!はい、こんどこの選手。はい、シュート!」と、応援のフリして思いっきりプロンプト入れてたら、結構上手くゲームできて、周りも盛り上がり、こんどはお友達が代わって「ほら、プチ子ちゃん、この選手右にまわして!」などと言ってくれました。
こうやって、大人が介入したら楽しく遊べるレベルにはなってきたけど、
まだまだ全く誰の助けも借りずに皆と互角に遊べてはいないのが、よく分かりました。
というか、一年前までだったら、まだ、もう少し子供っぽくても許されてたけど、やっと話し言葉が追いついてきたと思ったら、周りの子は皆もっと大人びてきていた・・・というジレンマ。
ドラえもんの道具みたいに、周りの時間を止められるものでもあれば、その間に頑張って成長させるのに〜!
漕げども漕げども、向こう岸はドンドン遠くなるような・・・
でも、漕ぐのを止めて諦めたら、ますます遠ざかるし。
すこしづつでも、漕ぎ続けるしかないわけで・・・
はぁ〜あ、この間から、ちょっと疲れ気味。
極めつけは、お友達が弾いていたピアノ。
プチ子には、学校の音楽の鍵盤ハーモニカの練習として、時々使わせているけど、これまた牛歩の歩みの進み具合なのですが・・・(ま、それでも、一年生の時は押した指が離せなくて苦労したのが、今じゃ、ゆっくりながらもドからソまでの楽譜が読めて弾けるまでになりましたが)
三年生ともなると、さすがに聴き応えのある曲(バッハとか)を上手に弾いてくれて・・・。
そうだよな〜 ふつうは、どんなにサボっていても、ピアノ習っていたら、それくらい三年生で弾けるよね、と。
自分は、小学校の時、そんな曲弾いていたなー、とか。
お友達と、ケンカしたり、仲直りしたり、やっぱりもっと複雑な会話してたな〜、とか。
三年生の平均みたいなものがハッキリと浮かんできて、
なんじゃ、プチ子の今の様子は!って、気付いてしまったんです。
一番、やっちゃいけない事だけどね。
今まで、周りのレベルと違いすぎて、比べたりしてこなかったんだけどね。
比べるようになった・・・のは、もしや段々みんなに追いついてきたからこそ?なのかも。
もしかしたら、向こう岸は近づいてきているのだったら、いいな〜。
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あ〜あ、まともな子供がほしいよ!
2011.06.17 Friday | category:ブコより 日々の事
まったく、日ごろ必死すぎて、目先の事が大変で、考えた事なかったけど・・・、
ふと・・・さっき口からついて出た言葉。
「あ〜あ、まともな子供がほしいわ〜」
って、ほんと叶わぬ夢だけど、私の本音なのかしら・・?
毎回、忘れ物なんかせず・・・、
相手の気持ちが考えられて、
周りの状況が把握できて、自分で判断できて、
すぐ機嫌を損ねたりせず、
変なコダワリとかなくて、
一緒に居て楽しい子・・・。
じゃない、お兄ちゃんですが・・・、
それでも、知的障害がないだけで、やっぱり、まだプチ子の百倍は心配ないんだけどさ。
普通の知能があるのだから、多少のアスペ傾向はあっても、なんとか自分で、社会と衝突しながらでも、稼いで生きていけるだろうと、プチ子に比べりゃ、安心はしているけどね。
それより大変なのは、やはりプチ子で・・・
もしもプチ子が、知的障害がない、IQ100前後の子で、
療育を受ける必要が無くて、
文字がスラスラと読めて、思ったことを文章にできて、
算数の計算ができたり、時計が読めたり、
友達と歳相応に話しができて、
相手の言う事が理解できて、質問に答えられて、
うるさく独り言を言い続けなくて、それを聞いてないと怒ったりしなくて、
暑さ寒さが分かって、適切な服が着れて、
一人でご飯が最後まで食べられて、
オムツがなくても用が足せて、
将来も高校や、希望すれば大学にも進めて、
零細企業でいいから、必要とされて採用されて、
誰かと結婚できて、
子供ができて子育てができて、
震災がきても、他の人たちと一緒に避難所に入って生きのびれたら・・・(今のままじゃ、追い出されるか、辿りつけないよ)
どんなに心配がないでしょう。
そんなに出来が良くなくても、普通の子だったら、どんなに楽な子育てでしょう。
自分の子が、一人目も二人目も三人目も・・・みんな健常者の子供達だったら、どんだけ苦労せずに育てられるのでしょう。
そうじゃないから、想像できません。
そうじゃないから、想像しても意味がありません。
この子たちが、少しでも世間で幸せに生きていけるように育てていくしかないのです。
ブコ
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ふと・・・さっき口からついて出た言葉。
「あ〜あ、まともな子供がほしいわ〜」
って、ほんと叶わぬ夢だけど、私の本音なのかしら・・?
毎回、忘れ物なんかせず・・・、
相手の気持ちが考えられて、
周りの状況が把握できて、自分で判断できて、
すぐ機嫌を損ねたりせず、
変なコダワリとかなくて、
一緒に居て楽しい子・・・。
じゃない、お兄ちゃんですが・・・、
それでも、知的障害がないだけで、やっぱり、まだプチ子の百倍は心配ないんだけどさ。
普通の知能があるのだから、多少のアスペ傾向はあっても、なんとか自分で、社会と衝突しながらでも、稼いで生きていけるだろうと、プチ子に比べりゃ、安心はしているけどね。
それより大変なのは、やはりプチ子で・・・
もしもプチ子が、知的障害がない、IQ100前後の子で、
療育を受ける必要が無くて、
文字がスラスラと読めて、思ったことを文章にできて、
算数の計算ができたり、時計が読めたり、
友達と歳相応に話しができて、
相手の言う事が理解できて、質問に答えられて、
うるさく独り言を言い続けなくて、それを聞いてないと怒ったりしなくて、
暑さ寒さが分かって、適切な服が着れて、
一人でご飯が最後まで食べられて、
オムツがなくても用が足せて、
将来も高校や、希望すれば大学にも進めて、
零細企業でいいから、必要とされて採用されて、
誰かと結婚できて、
子供ができて子育てができて、
震災がきても、他の人たちと一緒に避難所に入って生きのびれたら・・・(今のままじゃ、追い出されるか、辿りつけないよ)
どんなに心配がないでしょう。
そんなに出来が良くなくても、普通の子だったら、どんなに楽な子育てでしょう。
自分の子が、一人目も二人目も三人目も・・・みんな健常者の子供達だったら、どんだけ苦労せずに育てられるのでしょう。
そうじゃないから、想像できません。
そうじゃないから、想像しても意味がありません。
この子たちが、少しでも世間で幸せに生きていけるように育てていくしかないのです。
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お友達が来ない・・・
2011.06.15 Wednesday | category:ブコより 日々の事(プチ子とお友達)
うう〜ん、
待てど暮らせど、プチ子が「約束した」というお友達は遊びに来ないので、
ほんとは、いちいち親が出る幕にしたくないんだけど、
結局、一人のお友達のお家には電話
もう一人のママは仕事中だろうけど、メール させてもらいました。
そしたら、二人とも今日は習い事の振り替えや、学童で、ぜんぜん遊べないって、言ってたらしく・・・。
まったく話みえていないプチ子・・・。
自ら、「今日、遊びに来て」と誘ったには違いないらしいけど。
相手のお返事を、きちんと聞いて理解してなく、自分の都合のいいように解釈しちゃってたのかな?
「OOちゃんと、OOちゃんが来るって言ってた!」と喜んで、玄関で待っているのです。
今日は遊べないって、と伝えるとポロポロと泣いちゃいました
いままで、ずっとプチ子がお友達に来てもらって遊ぶ時は、(私がママ経由で連絡して)お膳立てしてきました。
それと並行して、最近は学校でプチ子からも口頭で誘わせて、徐々に自分で遊びに漕ぎつける様にしていこうと思っていたのですが・・・・
自分でお友達と遊ぶ約束を取り付けるには、まだまだ、ですな
「また、来週には是非遊ぼうね!」と、電話した、どちらのママからも言っていただき、また来週のお膳立ても整ってしまった。
シャドーの先生の力も借りて、今後はちゃんと練習していかないとダメね〜。
ブコ
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授業参観日も支援のお陰で人並みに(ToT)
2011.06.13 Monday | category:ブコより 学校の事
先週の土曜日、プチ子の学校は学校公開で参観日でした。
あいにく、私は先週からの子供達の風邪をうつされ、タイミング悪く参観日の朝には熱が38度に上がりフラフラ。せっかく、今年はプチ子の支援体制も整い、頑張っている姿を見れると楽しみにしていたけれど、副鼻腔炎からくる頭痛が半端なくとても、立って歩いて行けず・・・パパ一人で行ってもらいました。(観察ポイント指定して)
パパからの報告と、それ以外にも、お友達ママからもメールで当日の様子をおしえてもらったので、以下、参観日のプチ子レポートです。
朝の会から、さっそくプチ子大活躍。
なんと、日直だったのです。(先生、わざと日直にしてくれたのかも・・・?)
もう一人の男の子と一緒に教室の前に並んで立って、みんなに向かって「おはようございます。これから、朝の会を始めます。今日は6月11日土曜日です。隣の人はいますか?では、先生のお話です」と言えたそうです!
しかも、プチ子のお隣さんが休んでいたので、自分で「はい!OO君がお休みです」とも言えてたそうで・・・ありえ〜ん!!そんな長い台詞を皆の前で言えるプチ子、ありえへ〜ん!!
それから、一時間目が始まる時、「これから、一時間目のお勉強を始めます。」とか、終わる時は「気をつけ。これで、一時間目のお勉強を終わります」とか言ってたんだそうな〜〜夢ではにゃーか?
それもこれも、聞くところによると・・・、ちゃんと何を言うか書かれたフリップみたいなのが紐で閉じられていて日直さんが机の横にかけられるように用意されていたそうで。
それなら、何て言えばいいか、分からなくならずに、読めばいいから安心だね!良かった!
そして、授業の終わりが近づくと、プチ子はちゃんと日直の役割を気にして、チラチラとフリップを見て台詞をチェックしていたんだって!!
あ〜ぁ、観たかったな〜、聞きたかったな〜
一時間目は、理科の授業で、蚕の観察。
プチ子も、皆と同じように観察器にお蚕を入れて、覗いたり、手に乗せて「可愛い〜」って、愛おしんでいたらしい。(私には出来ないけど)
その観察器も、最初プチ子だけが蓋が開けられなくて、パパが心配しながら見守っていたら、ちゃんと先生に「これ、開かない」って言えて、しかも、その蓋は本当に固かったらしくて、先生も「あら、ほんと、これは壊れているね」と取り替えてくれたそうで・・・全然、普通の子と変わらないじゃありませんか〜〜〜 いままで、出来ないことがあっても、なかなか先生に自ら言いにいけなかったり、先生が来るまで待ってたり、意志が伝えられなかったのに。しかも、出来ないことがプチ子に限ることじゃないなんて〜!理科の実践的な授業に関しては、観ていて全然問題なかったらしいです
二時間目、道徳。
これは、さすがにずっと先生の話をきいているうちに飽きてきて、姿勢をまっすぐ保っていられず、後半は机にグターとなっていたらしいけど。それでも、立って歩き出したり、騒いだり、他の子の邪魔しなかっただけでも、大したものだと思います。えらい!
三時間目は、算数。
少人数に分かれて、他のクラスの子と交じって、今月は隣のクラスの先生に習います。
割り算。三年生は、今月習い始めたばかりです。
プチ子には、まだ割り算の概念が分からず、みんなと同じペースではできないけど、掛け算九九は覚えているから、仕組みを覚えれば、システマティックに解くことはできます。
それでも、答えが合っていれば正解なんだから、一年生の時の先生のフレーズ「間違いは間違いですから。」を真似すると、「正解は正解ですから」と言って大きく〇してやりたい!
先生は、他の子に問題を解かせている間はプチ子に付きっきりで教えてくださっていたそうで・・・なんだか先生方の負担ばかり増えてもうしわけないけど・・・
でも、そういった積極的な支援のお陰で、療育をつづけてきたお陰で、いまのプチ子になっているんです。
四歳になっても、ブーブーとしか話せなくて、DQ57と言われたプチ子。
おそらく、何も無理に伸ばそうとせずに、そのままを受け入れて可愛がっていたら、
八歳の今でも喋れていなかったかも?と思います。
そのプチ子が、たくさんの療育と特別支援を受けて、いまや普通級で日直までこなせるようになりました。
応援して、手を差し伸べてくれてきた、全ての方々のお陰です
ブコ
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あいにく、私は先週からの子供達の風邪をうつされ、タイミング悪く参観日の朝には熱が38度に上がりフラフラ。せっかく、今年はプチ子の支援体制も整い、頑張っている姿を見れると楽しみにしていたけれど、副鼻腔炎からくる頭痛が半端なくとても、立って歩いて行けず・・・パパ一人で行ってもらいました。(観察ポイント指定して)
パパからの報告と、それ以外にも、お友達ママからもメールで当日の様子をおしえてもらったので、以下、参観日のプチ子レポートです。
朝の会から、さっそくプチ子大活躍。
なんと、日直だったのです。(先生、わざと日直にしてくれたのかも・・・?)
もう一人の男の子と一緒に教室の前に並んで立って、みんなに向かって「おはようございます。これから、朝の会を始めます。今日は6月11日土曜日です。隣の人はいますか?では、先生のお話です」と言えたそうです!
しかも、プチ子のお隣さんが休んでいたので、自分で「はい!OO君がお休みです」とも言えてたそうで・・・ありえ〜ん!!そんな長い台詞を皆の前で言えるプチ子、ありえへ〜ん!!
それから、一時間目が始まる時、「これから、一時間目のお勉強を始めます。」とか、終わる時は「気をつけ。これで、一時間目のお勉強を終わります」とか言ってたんだそうな〜〜夢ではにゃーか?
それもこれも、聞くところによると・・・、ちゃんと何を言うか書かれたフリップみたいなのが紐で閉じられていて日直さんが机の横にかけられるように用意されていたそうで。
それなら、何て言えばいいか、分からなくならずに、読めばいいから安心だね!良かった!
そして、授業の終わりが近づくと、プチ子はちゃんと日直の役割を気にして、チラチラとフリップを見て台詞をチェックしていたんだって!!
あ〜ぁ、観たかったな〜、聞きたかったな〜
一時間目は、理科の授業で、蚕の観察。
プチ子も、皆と同じように観察器にお蚕を入れて、覗いたり、手に乗せて「可愛い〜」って、愛おしんでいたらしい。(私には出来ないけど)
その観察器も、最初プチ子だけが蓋が開けられなくて、パパが心配しながら見守っていたら、ちゃんと先生に「これ、開かない」って言えて、しかも、その蓋は本当に固かったらしくて、先生も「あら、ほんと、これは壊れているね」と取り替えてくれたそうで・・・全然、普通の子と変わらないじゃありませんか〜〜〜 いままで、出来ないことがあっても、なかなか先生に自ら言いにいけなかったり、先生が来るまで待ってたり、意志が伝えられなかったのに。しかも、出来ないことがプチ子に限ることじゃないなんて〜!理科の実践的な授業に関しては、観ていて全然問題なかったらしいです
二時間目、道徳。
これは、さすがにずっと先生の話をきいているうちに飽きてきて、姿勢をまっすぐ保っていられず、後半は机にグターとなっていたらしいけど。それでも、立って歩き出したり、騒いだり、他の子の邪魔しなかっただけでも、大したものだと思います。えらい!
三時間目は、算数。
少人数に分かれて、他のクラスの子と交じって、今月は隣のクラスの先生に習います。
割り算。三年生は、今月習い始めたばかりです。
プチ子には、まだ割り算の概念が分からず、みんなと同じペースではできないけど、掛け算九九は覚えているから、仕組みを覚えれば、システマティックに解くことはできます。
それでも、答えが合っていれば正解なんだから、一年生の時の先生のフレーズ「間違いは間違いですから。」を真似すると、「正解は正解ですから」と言って大きく〇してやりたい!
先生は、他の子に問題を解かせている間はプチ子に付きっきりで教えてくださっていたそうで・・・なんだか先生方の負担ばかり増えてもうしわけないけど・・・
でも、そういった積極的な支援のお陰で、療育をつづけてきたお陰で、いまのプチ子になっているんです。
四歳になっても、ブーブーとしか話せなくて、DQ57と言われたプチ子。
おそらく、何も無理に伸ばそうとせずに、そのままを受け入れて可愛がっていたら、
八歳の今でも喋れていなかったかも?と思います。
そのプチ子が、たくさんの療育と特別支援を受けて、いまや普通級で日直までこなせるようになりました。
応援して、手を差し伸べてくれてきた、全ての方々のお陰です
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ママの息抜き(青山出陣)
2011.06.10 Friday | category:ブコより 日々の事
きのう、久しぶりに青山は神宮外苑あたりに出かけてきました。
前から、「すごい素敵なレストランがあるから、ランチに行こう」と誘ってくれていた友達の車で連れて行ってもらったのですが(女性です)、
ほんとに素敵なリゾート地みたいなカフェで、ここが東京ってことも忘れて、自分が子育てに負われる、それも自閉症の子供を抱える母親ってことも忘れて、まるで友達と海外旅行に来ているOLかのような気分に浸れる場所でした。
外苑なんて、20年以上前に「SELAN」というカフェで、よく待ち合わせをしてた(旦那じゃない)・・・以来、長らく足が遠のいていたのですが、なんかちょっと改装してたけど、いまだにSELANはあってビックリ。
その少し先にある今回のレストラン、人気の店らしく、私達が入ってすぐに席は一杯になってました。
ビュッフェ形式なので、いくらでもオカワリできるのが、主婦には危険。
周りのお洒落な人たちは誰もオカワリなんかしていなかったけど、日ごろファミレスばかり行っている、本当は「海外旅行に来ているOL」ではないオバハンは、あまりの美味しさに気に入ったものを何度も取りにいってしまった・・・
テラス席だったので、ちょうど私達が食事をしてる間中、目の前の通りで行われていたドラマの撮影を眺めることが出来ました。
おそらく、フジテレビ「名前をなくした女神」の撮影と思われる、木村佳乃と子役の子とたぶん、つるの剛史?が、三人で手をつないで歩くシーンを何度も(七回くらい?)取り直していて、暑い中、ご苦労様です・・・てか、それにひきかえ、木村佳乃が二時間歩き続ける間、私は、すっかりハマッた「揚げフレンチトーストにアイスクリーム添え」ってのを三個もオカワリしてしまい・・・
もはや同じ人間ではない次元の見た目に拍車をかけてきました。
そんな夢のような時間をすごした後は・・・帰るなり、プチ子がトイレで・・・(省略)。
支援塾の日だから、自転車で30分かけて送り(途中でプチ子疲れて自転車放り出し、私の後ろに乗せていく)、風邪の薬を切らしていたので、かかりつけの病院まで往復一時間かけて行ってきて、塾に迎えに行き、急いで帰ってお兄ちゃんが帰るまでに夕飯用意して・・・そしたら、お兄ちゃん帰るなり、「お弁当箱を学校に忘れてきた」とゆー・・・、これが現実よね〜生活に戻るのでした。
たまには、気分転換しないとやってられないよ!!
ブコ
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前から、「すごい素敵なレストランがあるから、ランチに行こう」と誘ってくれていた友達の車で連れて行ってもらったのですが(女性です)、
ほんとに素敵なリゾート地みたいなカフェで、ここが東京ってことも忘れて、自分が子育てに負われる、それも自閉症の子供を抱える母親ってことも忘れて、まるで友達と海外旅行に来ているOLかのような気分に浸れる場所でした。
外苑なんて、20年以上前に「SELAN」というカフェで、よく待ち合わせをしてた(旦那じゃない)・・・以来、長らく足が遠のいていたのですが、なんかちょっと改装してたけど、いまだにSELANはあってビックリ。
その少し先にある今回のレストラン、人気の店らしく、私達が入ってすぐに席は一杯になってました。
ビュッフェ形式なので、いくらでもオカワリできるのが、主婦には危険。
周りのお洒落な人たちは誰もオカワリなんかしていなかったけど、日ごろファミレスばかり行っている、本当は「海外旅行に来ているOL」ではないオバハンは、あまりの美味しさに気に入ったものを何度も取りにいってしまった・・・
テラス席だったので、ちょうど私達が食事をしてる間中、目の前の通りで行われていたドラマの撮影を眺めることが出来ました。
おそらく、フジテレビ「名前をなくした女神」の撮影と思われる、木村佳乃と子役の子とたぶん、つるの剛史?が、三人で手をつないで歩くシーンを何度も(七回くらい?)取り直していて、暑い中、ご苦労様です・・・てか、それにひきかえ、木村佳乃が二時間歩き続ける間、私は、すっかりハマッた「揚げフレンチトーストにアイスクリーム添え」ってのを三個もオカワリしてしまい・・・
もはや同じ人間ではない次元の見た目に拍車をかけてきました。
そんな夢のような時間をすごした後は・・・帰るなり、プチ子がトイレで・・・(省略)。
支援塾の日だから、自転車で30分かけて送り(途中でプチ子疲れて自転車放り出し、私の後ろに乗せていく)、風邪の薬を切らしていたので、かかりつけの病院まで往復一時間かけて行ってきて、塾に迎えに行き、急いで帰ってお兄ちゃんが帰るまでに夕飯用意して・・・そしたら、お兄ちゃん帰るなり、「お弁当箱を学校に忘れてきた」とゆー・・・、これが現実よね〜生活に戻るのでした。
たまには、気分転換しないとやってられないよ!!
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お友達遊び:2
2011.06.08 Wednesday | category:ブコより 日々の事(プチ子とお友達)
今日の放課後、またプチ子のクラスのお友達二人が、我が家に遊びに来てくれました
これで、一ヶ月連続、水曜日の放課後にはお友達と遊べています(風邪で休んだ週除く)!
しかも、今日なんかは、お友達の方から「来週も、プチ子ちゃんちに遊びにきた〜い」と言ってもらっての実現ですうれしい〜!
いや〜〜〜、ここまで来るのには長い道のりがありました。
三年前、まだ発語もほとんど無く、同年代のお友達どころか、気を使ってくれる大人とさえ、ぜんぜん話せなかったプチ子。
幼稚園の年長さんの春からABAの集中セラピーを受け初めて、なんとか一言二言話せるようになって、ようやく半年たった頃、やっとお友達との関わりを練習していくピア・トレーニングが始まりました。
まずは、1対1の関わりを学ぶ所からスタートです。
その頃は週5日来てもらっていたABAの先生による自宅での個別セラピーの場で、
週のうち一日の一時間ほどを、お友達に来てもらって遊ぶ訓練が始まりました。
相手のお友達は、私が幼稚園で目星をつけたお子さん数人(週代わりで)のママに事情を説明して遊びに来てもらいました。(だって、そもそも幼稚園でプチ子が自ら作った友達なんて居ないし、誰だって喋れもしないプチ子と遊ぶのは退屈に決まってます)
「プチ子は、いまやっと言葉も出てきて、これから他人とのコミュニケーションを練習していく時期なので、もし良かったら、たまに(交替で月に一回づつくらい)遊び相手として我が家に来てくれないか?」とお願いしました。
もちろん、相手のお子さんがプチ子相手に退屈するような事なく、喜んで来てもらえないと悪いので、「必ずABAセラピストの先生か、私という大人が一緒に遊んで、ぜったい楽しく遊べるようにするから!」とアッピールしまくりました。
おかげで、頼んだお友達は、みな快く遊びに来てくれてました。
ちょうど、夏休み時期でしたので、庭にビニールプールを出して遊ばせたり、家の前の道路で駆けっこ・ボール・シャボン玉遊びなど、お喋りよりも身体を動かす戸外で遊べました。
でも、ABAセラピストの先生がプロのピア・トレーニングをしてくださる日は、相手のお子さんも楽しく遊べて「また来たい!」と大成功でしたが、
いざ、先生の居ない日に素人の私が相手をしようとすると、どうしても、“お友達を退屈させてはいけない”との思いから、私はその子とばかり遊ぶのに必死になりすぎてプチ子が置いてきぼりになったり、
逆にプチ子に「ほら、ここで『貸して』って言うのよ!」などと、トレーニングに集中すると、お友達が白ける・・・など失敗続きでした。
うちに遊びに来てもらうだけでなく、放課後の園庭開放の時でも、もう私は大人同士のお喋り(そうすると、プチ子は私にピッタリ寄り添って、大人の輪の中で過ごしてしまう)に参加せずに、ひたすら子供達の輪の中、(たいてい砂場など)でプチ子と一緒に他の子に話しかけて関わるようにして遊びました。・・・えてして、誰もがプチ子と遊ぶというより、私を相手にして遊ぶのですが・・・。
それでも、二学期の後半になり、幼稚園でのシャドーも始まってからは、ようやくプチ子にも、相手の側もお友達だと思ってくれてるような子が出てきました。
幼稚園の行事かなにかで、保育時間中の授業を覗いたときに、集団指示が分からずオロオロしているプチ子の側に、そのお友達がサッと寄り添ってきて一緒に行動してくれたのを見たときの感動は、今でも忘れられません。
だって、それまでは、クラスの誰からも(相手になる)仲間だと思われていなく、介助の先生と二人で行動するのが当たり前だったのに・・・!!
こうして、徐々に、プチ子の社会性は芽生えていくのでした。
つづく
ブコ
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これで、一ヶ月連続、水曜日の放課後にはお友達と遊べています(風邪で休んだ週除く)!
しかも、今日なんかは、お友達の方から「来週も、プチ子ちゃんちに遊びにきた〜い」と言ってもらっての実現ですうれしい〜!
いや〜〜〜、ここまで来るのには長い道のりがありました。
三年前、まだ発語もほとんど無く、同年代のお友達どころか、気を使ってくれる大人とさえ、ぜんぜん話せなかったプチ子。
幼稚園の年長さんの春からABAの集中セラピーを受け初めて、なんとか一言二言話せるようになって、ようやく半年たった頃、やっとお友達との関わりを練習していくピア・トレーニングが始まりました。
まずは、1対1の関わりを学ぶ所からスタートです。
その頃は週5日来てもらっていたABAの先生による自宅での個別セラピーの場で、
週のうち一日の一時間ほどを、お友達に来てもらって遊ぶ訓練が始まりました。
相手のお友達は、私が幼稚園で目星をつけたお子さん数人(週代わりで)のママに事情を説明して遊びに来てもらいました。(だって、そもそも幼稚園でプチ子が自ら作った友達なんて居ないし、誰だって喋れもしないプチ子と遊ぶのは退屈に決まってます)
「プチ子は、いまやっと言葉も出てきて、これから他人とのコミュニケーションを練習していく時期なので、もし良かったら、たまに(交替で月に一回づつくらい)遊び相手として我が家に来てくれないか?」とお願いしました。
もちろん、相手のお子さんがプチ子相手に退屈するような事なく、喜んで来てもらえないと悪いので、「必ずABAセラピストの先生か、私という大人が一緒に遊んで、ぜったい楽しく遊べるようにするから!」とアッピールしまくりました。
おかげで、頼んだお友達は、みな快く遊びに来てくれてました。
ちょうど、夏休み時期でしたので、庭にビニールプールを出して遊ばせたり、家の前の道路で駆けっこ・ボール・シャボン玉遊びなど、お喋りよりも身体を動かす戸外で遊べました。
でも、ABAセラピストの先生がプロのピア・トレーニングをしてくださる日は、相手のお子さんも楽しく遊べて「また来たい!」と大成功でしたが、
いざ、先生の居ない日に素人の私が相手をしようとすると、どうしても、“お友達を退屈させてはいけない”との思いから、私はその子とばかり遊ぶのに必死になりすぎてプチ子が置いてきぼりになったり、
逆にプチ子に「ほら、ここで『貸して』って言うのよ!」などと、トレーニングに集中すると、お友達が白ける・・・など失敗続きでした。
うちに遊びに来てもらうだけでなく、放課後の園庭開放の時でも、もう私は大人同士のお喋り(そうすると、プチ子は私にピッタリ寄り添って、大人の輪の中で過ごしてしまう)に参加せずに、ひたすら子供達の輪の中、(たいてい砂場など)でプチ子と一緒に他の子に話しかけて関わるようにして遊びました。・・・えてして、誰もがプチ子と遊ぶというより、私を相手にして遊ぶのですが・・・。
それでも、二学期の後半になり、幼稚園でのシャドーも始まってからは、ようやくプチ子にも、相手の側もお友達だと思ってくれてるような子が出てきました。
幼稚園の行事かなにかで、保育時間中の授業を覗いたときに、集団指示が分からずオロオロしているプチ子の側に、そのお友達がサッと寄り添ってきて一緒に行動してくれたのを見たときの感動は、今でも忘れられません。
だって、それまでは、クラスの誰からも(相手になる)仲間だと思われていなく、介助の先生と二人で行動するのが当たり前だったのに・・・!!
こうして、徐々に、プチ子の社会性は芽生えていくのでした。
つづく
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ありがたい学校からの支援
2011.06.05 Sunday | category:ブコより 学校の事
先週、運動会が終わってからプチ子は疲れからか風邪をひいて熱を出し、学校お休みしていました。
でも、木曜日の夕方、私はかねてより学校の先生方と約束していた面談に、(プチ子は家で一人お留守番をさせて)臨んできました。
入学以来、プチ子の特別支援に関しては、だいたい学期ごとに校長先生にこちらからアポを申し入れて、相談させていただいてきていました。
(担任の先生は、学習内容などでは相談にのって頂けるけど、学習支援教員やシャドーに関わる事となると、「校長先生に」と言われるので)
でも、普段から気楽に連絡できるわけでもない、お忙しい校長先生に、いちいち連絡をしてアポを取るのは、けっこう面倒くさいというか、毎回ちょっと気合のいる事でした。
だって、学校中に、いちいち自分の子供の事を特別に頼むために、わざわざ校長先生に会ってもらってる人なんていないし。どうしても、申し訳ないような、遠慮感があって・・・。
だけど、今年の担任の先生は、先生の側から、プチ子に対しての個別の面談を、副校長先生&特別支援教育コーディネイターの担当先生を交えて開催しましょう!と提案してくださり、たいへん助かりました。
校長先生も列席していただくよう、お願いをしましたが、当日は結局ご都合悪くなられて、副校長先生以下、四人での面談をしていただきました。
さて、その内容とは・・・
まず、担任の先生から、今学期になってからのプチ子の様子を教えていただきました。
プチ子は、去年までの段階で、集団指示を聞いて従う事は、できるようになってきていましたが、
一歩先の段階、例えば、自ら挙手して発言するなんて事は皆無だったので・・・、
今年の先生は、その辺を踏まえて、本人に発言への慣れと自信をつけさせる為にも、
毎日の宿題の答え合わせの一番始めの問題は、必ずプチ子に当てるようにしてくださっているという事でした。
一番始めの人は、最初に「静かにしてください。これから宿題の答え合わせをします。用意はいいですか?」という台詞も言わねばならず、プチ子には良い発言練習になっているようです。
最近は、少し慣れてきて、やっと大きな声で言えるようになってきたとか。
学習面では、とくに国語の時の様子に関して。
漢字を正確に写す事に重点を置かれている事。
指で、字をなぞる練習を、シャドーの先生にも協力してもらう事。
作文においては、プチ子が書きたいことを先生が聞き出してくれて、改めて先生が文章にして口頭で言うのを書かせてくださっている事。
教科書を先生が音読している時、プチ子が何処の箇所か分からなくなると、クラスメイトの子がプチ子の側へ立っていって、「ここだよ」と指差してくれた事があると言う事。
プチ子の作文に対して、班の子達が「すごい、すごい。よく書けてます」などと感想を述べてくれた事。
など、授業中の様子を細かく教えていただけました。
とりわけ、クラスの子達がプチ子に優しくしてくれてる件には、泣けてきました。
それから、算数の様子を、今月の少人数クラスで教えていただいている特別支援コーディネイターの先生からお聞きしました。
プチ子は、繰り上がりの足し算がようやく出来てきた所で、まだ繰り下がりの引き算は難しいという点で、家庭との認識が一致しました。
三年生の内容には、まだまだ追いついていないのですが、これから計算の概念をきちんと理解させながら家庭や塾で底上げを狙っていく事。
計算のやり方に関しては、指を使ったり、おはじきを使ったり、今は色々なやり方をやらせていて混乱しているかもしれないので、当分は数を書いた定規のような道具を使わせて(私がボール紙で作成する)いく事を学校と家庭で統一する事。など、話し合いました。
そして、現状で行われているプチ子への支援は、授業中に学習支援教員の先生が介入してくれる形ですが、そういうやり方と逆に、プチ子がクラスを抜けて、取り出し学習という形で、違う部屋で支援教員の先生に個別に教えていただくのはどうか、聞いてみました。
すると、学習支援教員の先生は毎日いるわけじゃないし、クラスの中での学習と併行して個別の支援も受けつつ両方やって行くのがいいのでは?というご意見が副校長先生から出たので、そうしていただく事にしました。
それにしても、プチ子の学習の理解度が今どれ位かなどを、個別に先生方が把握してくださっている事や、
こちらからお願いしていなくても、発言するチャンスを作ってくださっている事。
周りのクラスメイトのお友達が自然に助けてくれる空気を作ってくださっている事。
どれもこれも、そう当たり前にやっていただける事ではないです。
一年生の時の担任の先生は、我が校に異動で赴任されてきた年に、いきなりプチ子という子がいるクラスを担当させられた経緯にも問題あったと思いますが、四月の早い時期に私が「いろいろ御迷惑をおかけすると思うけど、どうかプチ子をよろしくお願いします」と御挨拶に行ったら、「今まで、そういう子を受け持った事がないので、特別なことは出来かねます。私は、今までの教師生活でやってきた事どおりのことをするまでです」と言われ・・・ぜんぜん特別支援教育が普及してないな〜〜って実感したものでした。
だから、今年こうして、担任の先生が積極的に特別支援に力を入れてくださるなんて、ありがたさもヒトシオです。
次の日も、結局プチ子の熱が下がらなかったので、連絡帳に前日の面談のお礼を書いて届けてもらったら、先生から「プチ子ちゃんが、思い切り力を伸ばせるよう、支援していきたい」と、お返事が書かれていました。感激〜〜〜
ブコ
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でも、木曜日の夕方、私はかねてより学校の先生方と約束していた面談に、(プチ子は家で一人お留守番をさせて)臨んできました。
入学以来、プチ子の特別支援に関しては、だいたい学期ごとに校長先生にこちらからアポを申し入れて、相談させていただいてきていました。
(担任の先生は、学習内容などでは相談にのって頂けるけど、学習支援教員やシャドーに関わる事となると、「校長先生に」と言われるので)
でも、普段から気楽に連絡できるわけでもない、お忙しい校長先生に、いちいち連絡をしてアポを取るのは、けっこう面倒くさいというか、毎回ちょっと気合のいる事でした。
だって、学校中に、いちいち自分の子供の事を特別に頼むために、わざわざ校長先生に会ってもらってる人なんていないし。どうしても、申し訳ないような、遠慮感があって・・・。
だけど、今年の担任の先生は、先生の側から、プチ子に対しての個別の面談を、副校長先生&特別支援教育コーディネイターの担当先生を交えて開催しましょう!と提案してくださり、たいへん助かりました。
校長先生も列席していただくよう、お願いをしましたが、当日は結局ご都合悪くなられて、副校長先生以下、四人での面談をしていただきました。
さて、その内容とは・・・
まず、担任の先生から、今学期になってからのプチ子の様子を教えていただきました。
プチ子は、去年までの段階で、集団指示を聞いて従う事は、できるようになってきていましたが、
一歩先の段階、例えば、自ら挙手して発言するなんて事は皆無だったので・・・、
今年の先生は、その辺を踏まえて、本人に発言への慣れと自信をつけさせる為にも、
毎日の宿題の答え合わせの一番始めの問題は、必ずプチ子に当てるようにしてくださっているという事でした。
一番始めの人は、最初に「静かにしてください。これから宿題の答え合わせをします。用意はいいですか?」という台詞も言わねばならず、プチ子には良い発言練習になっているようです。
最近は、少し慣れてきて、やっと大きな声で言えるようになってきたとか。
学習面では、とくに国語の時の様子に関して。
漢字を正確に写す事に重点を置かれている事。
指で、字をなぞる練習を、シャドーの先生にも協力してもらう事。
作文においては、プチ子が書きたいことを先生が聞き出してくれて、改めて先生が文章にして口頭で言うのを書かせてくださっている事。
教科書を先生が音読している時、プチ子が何処の箇所か分からなくなると、クラスメイトの子がプチ子の側へ立っていって、「ここだよ」と指差してくれた事があると言う事。
プチ子の作文に対して、班の子達が「すごい、すごい。よく書けてます」などと感想を述べてくれた事。
など、授業中の様子を細かく教えていただけました。
とりわけ、クラスの子達がプチ子に優しくしてくれてる件には、泣けてきました。
それから、算数の様子を、今月の少人数クラスで教えていただいている特別支援コーディネイターの先生からお聞きしました。
プチ子は、繰り上がりの足し算がようやく出来てきた所で、まだ繰り下がりの引き算は難しいという点で、家庭との認識が一致しました。
三年生の内容には、まだまだ追いついていないのですが、これから計算の概念をきちんと理解させながら家庭や塾で底上げを狙っていく事。
計算のやり方に関しては、指を使ったり、おはじきを使ったり、今は色々なやり方をやらせていて混乱しているかもしれないので、当分は数を書いた定規のような道具を使わせて(私がボール紙で作成する)いく事を学校と家庭で統一する事。など、話し合いました。
そして、現状で行われているプチ子への支援は、授業中に学習支援教員の先生が介入してくれる形ですが、そういうやり方と逆に、プチ子がクラスを抜けて、取り出し学習という形で、違う部屋で支援教員の先生に個別に教えていただくのはどうか、聞いてみました。
すると、学習支援教員の先生は毎日いるわけじゃないし、クラスの中での学習と併行して個別の支援も受けつつ両方やって行くのがいいのでは?というご意見が副校長先生から出たので、そうしていただく事にしました。
それにしても、プチ子の学習の理解度が今どれ位かなどを、個別に先生方が把握してくださっている事や、
こちらからお願いしていなくても、発言するチャンスを作ってくださっている事。
周りのクラスメイトのお友達が自然に助けてくれる空気を作ってくださっている事。
どれもこれも、そう当たり前にやっていただける事ではないです。
一年生の時の担任の先生は、我が校に異動で赴任されてきた年に、いきなりプチ子という子がいるクラスを担当させられた経緯にも問題あったと思いますが、四月の早い時期に私が「いろいろ御迷惑をおかけすると思うけど、どうかプチ子をよろしくお願いします」と御挨拶に行ったら、「今まで、そういう子を受け持った事がないので、特別なことは出来かねます。私は、今までの教師生活でやってきた事どおりのことをするまでです」と言われ・・・ぜんぜん特別支援教育が普及してないな〜〜って実感したものでした。
だから、今年こうして、担任の先生が積極的に特別支援に力を入れてくださるなんて、ありがたさもヒトシオです。
次の日も、結局プチ子の熱が下がらなかったので、連絡帳に前日の面談のお礼を書いて届けてもらったら、先生から「プチ子ちゃんが、思い切り力を伸ばせるよう、支援していきたい」と、お返事が書かれていました。感激〜〜〜
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運動会で走れたよ!踊れたよ!
2011.06.02 Thursday | category:ブコより 学校の事
先週末の土曜日、日曜日が雨で中止になっていた、プチ子の運動会、火曜日にようやく開催できました。
プチ子、がんばりましたよ〜〜〜!!
まず、一番心配だった学年の表現種目、沖縄の盆踊り「エイサー」は、練習の甲斐あって見事に周りに合わせて踊る事ができました
一ヶ月前から運動会の練習が始まってからは、学校の体育を見学に行って踊りを覚えて、家でプチ子と毎日何度も練習しました。
数年前に、お兄ちゃんが運動会でエイサーを踊った時のビデオが家に丁度あったので、それを観ながら、曲を聴きながら、一日に何回も二人で踊りました。
太鼓を打つ時に腕を大きく振り上げる動作、しゃがむ動作、・・・と、だんだん出来るようになっていきましたが・・・、最後まで、どうしても「右回り→左回り→右回り」で足を蹴り上げるパートが、いくら教えても、「右→右→右」としか出来なくて出来なくて・・・
学校でも、休み時間や放課後に先生方が、まだ上手に踊れない子には特訓レッスンをしてくれたり、
プチ子の列が端っこだった為、横向きになる時に「お手本」となる子がいなくなって分からなくなるのを考慮して、プチ子の位置を変えてくれたり、と色々と配慮してくださいました。
雨での中止になった日曜日。この日は、運動会が中止でも、かわりに平常授業が行われました。
で、最後の体育の授業で、プチ子は無事に「右→左→右」を踊る事ができたそうです!
家では、金曜日にセラピストの先生から手ほどきを受けて、一瞬できるようになっていたのですが、私とやると再び間違ったり、出来たり、微妙なところでした。
でも、雨のお陰で、練習日数を稼げて、何とか出来るようになって本番!
無事に周りと同じようにして、上手に踊れた事に万歳
足を大きく蹴り上げすぎて、列からはみ出て右→左→右に大きく行き過ぎていたのは、ご愛嬌!ってことで・・・
そして、徒競走。
三年生は、コースを半周する80メートル走です。
去年までの低学年は、真っ直ぐ走るだけの50メートル走だから、まだ簡単だったし、距離も短いからそんなに差がつかなくて安心だったけど・・・
コーナーを曲がるコースは、三年前の幼稚園の運動会のクラス対抗リレーの時、何度やっても大きく膨らんで走ってしまい、他の子たちの迷惑になるからリレーに出ないで欲しいと、担任の先生に言われたくらい、プチ子には難しいと思われたのですが・・・。(結局、意地でも出させてもらったけど)
今回は、ちゃ〜んと周りを見て位置について、よ〜いドン!
スタート位置が一番外側だったから、どんどん抜かされちゃったし、、最後はビリになっちゃったけど、それでも、知らない人が見たら「障害者」って、分からないくらい、いや、知ってる人が見ても「どこが?」っていうくらい、まともに走ってました!ただの、足の遅い人として。
幼稚園の担任の先生には、「お母さん、あの走り方は、普通じゃないです!異常ですよ!!健常児じゃないです!」とまで言われたのに。←これは、リレーに出ないで欲しいと言われた私が、「でも、三月生まれだし、普通に足の遅い子供とおんなじですよね?」と聞いたときに言われた言葉。
そのときの先生たちにも見てほしかった!(実際、未就学児競技に参加するために来てたんだけどね、うちの幼稚園。でも、きっと見てない。てか、挨拶するの、忘れてた!)
午後の団体で棒を持って走る競技も、そんなに同じ列の子達に迷惑かけるほど遅いわけでもなく、まったく問題なくこなしていて・・・
ホッとしました。
ふだん、いろいろと勉強面やら、皆についていけてない事だらけだけど、
こうして大きな行事に何とか遜色なく参加できている姿をみることができると、親も自信につながります。
ビリでも結構。まわりに溶け込んでるだけで、大満足です。
帰りに、「こころくらぶ」の中学生メンバーのママにバッタリ会って、「参加して立ってる姿を見るだけで感動するよね」という話をしました。
彼女は、当たり前のことが出来るだけで、普通よりもっと喜べるって幸せだと言っていました。
「喜ぶポイントのハードルが低くて、今じゃ地面より下よ!地下に潜ってるハードル」と笑ってました。
ほんとうに、小さな一歩一歩から喜びを積み重ねて、大きく成長していって欲しいと思います。
ブコ
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プチ子、がんばりましたよ〜〜〜!!
まず、一番心配だった学年の表現種目、沖縄の盆踊り「エイサー」は、練習の甲斐あって見事に周りに合わせて踊る事ができました
一ヶ月前から運動会の練習が始まってからは、学校の体育を見学に行って踊りを覚えて、家でプチ子と毎日何度も練習しました。
数年前に、お兄ちゃんが運動会でエイサーを踊った時のビデオが家に丁度あったので、それを観ながら、曲を聴きながら、一日に何回も二人で踊りました。
太鼓を打つ時に腕を大きく振り上げる動作、しゃがむ動作、・・・と、だんだん出来るようになっていきましたが・・・、最後まで、どうしても「右回り→左回り→右回り」で足を蹴り上げるパートが、いくら教えても、「右→右→右」としか出来なくて出来なくて・・・
学校でも、休み時間や放課後に先生方が、まだ上手に踊れない子には特訓レッスンをしてくれたり、
プチ子の列が端っこだった為、横向きになる時に「お手本」となる子がいなくなって分からなくなるのを考慮して、プチ子の位置を変えてくれたり、と色々と配慮してくださいました。
雨での中止になった日曜日。この日は、運動会が中止でも、かわりに平常授業が行われました。
で、最後の体育の授業で、プチ子は無事に「右→左→右」を踊る事ができたそうです!
家では、金曜日にセラピストの先生から手ほどきを受けて、一瞬できるようになっていたのですが、私とやると再び間違ったり、出来たり、微妙なところでした。
でも、雨のお陰で、練習日数を稼げて、何とか出来るようになって本番!
無事に周りと同じようにして、上手に踊れた事に万歳
足を大きく蹴り上げすぎて、列からはみ出て右→左→右に大きく行き過ぎていたのは、ご愛嬌!ってことで・・・
そして、徒競走。
三年生は、コースを半周する80メートル走です。
去年までの低学年は、真っ直ぐ走るだけの50メートル走だから、まだ簡単だったし、距離も短いからそんなに差がつかなくて安心だったけど・・・
コーナーを曲がるコースは、三年前の幼稚園の運動会のクラス対抗リレーの時、何度やっても大きく膨らんで走ってしまい、他の子たちの迷惑になるからリレーに出ないで欲しいと、担任の先生に言われたくらい、プチ子には難しいと思われたのですが・・・。(結局、意地でも出させてもらったけど)
今回は、ちゃ〜んと周りを見て位置について、よ〜いドン!
スタート位置が一番外側だったから、どんどん抜かされちゃったし、、最後はビリになっちゃったけど、それでも、知らない人が見たら「障害者」って、分からないくらい、いや、知ってる人が見ても「どこが?」っていうくらい、まともに走ってました!ただの、足の遅い人として。
幼稚園の担任の先生には、「お母さん、あの走り方は、普通じゃないです!異常ですよ!!健常児じゃないです!」とまで言われたのに。←これは、リレーに出ないで欲しいと言われた私が、「でも、三月生まれだし、普通に足の遅い子供とおんなじですよね?」と聞いたときに言われた言葉。
そのときの先生たちにも見てほしかった!(実際、未就学児競技に参加するために来てたんだけどね、うちの幼稚園。でも、きっと見てない。てか、挨拶するの、忘れてた!)
午後の団体で棒を持って走る競技も、そんなに同じ列の子達に迷惑かけるほど遅いわけでもなく、まったく問題なくこなしていて・・・
ホッとしました。
ふだん、いろいろと勉強面やら、皆についていけてない事だらけだけど、
こうして大きな行事に何とか遜色なく参加できている姿をみることができると、親も自信につながります。
ビリでも結構。まわりに溶け込んでるだけで、大満足です。
帰りに、「こころくらぶ」の中学生メンバーのママにバッタリ会って、「参加して立ってる姿を見るだけで感動するよね」という話をしました。
彼女は、当たり前のことが出来るだけで、普通よりもっと喜べるって幸せだと言っていました。
「喜ぶポイントのハードルが低くて、今じゃ地面より下よ!地下に潜ってるハードル」と笑ってました。
ほんとうに、小さな一歩一歩から喜びを積み重ねて、大きく成長していって欲しいと思います。
ブコ
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