面談での狸っぷり
2010.10.30 Saturday | category:ブコより プチ子の生い立ち(就学編)
さて、面談では、以前から狸校長先生と教育委員会に説明してきた我が家の希望や考えを改めてお伝えしました。
でも、狸先生は、先日の検診結果では何とも測れないので、やはり区の機関で知能検査を受けること、それと最終的には就学委員会をうけること、を強く要望されました。前から同じ事言われてるので、分かってるんですが。
おまけに、ここからが戴けないのですが、彼は元々特別支援校で教員生活をスタートさせた経歴の持ち主だそうなので、校長室にはソファーの横の本棚に狸先生個人所有の教育専門書とりわけ療育関係の本がズラリと並んでいます。
その専門性が彼自身の売りのようなのですが、にもかかわらず、私がプチ子にABAをやらせている事も園長先生としては当然ご存知の上で、「ABAといえばOO大学のOO教授を知ってますよ。教え子なんでね。でも、ABAって、高いんでしょう?ちなみにおいくら位?だいたい、何をするんですか?」などと下世話な質問と勉強不足を露呈してくるのです。
挙句に「私が教師になったころは就職難で、普通級を希望しても通らず、しかたないから支援級に着任したんですよ。母親は大学まで出してやって勿体無い、と泣きましてね。」なーんていう話をし始め、いったい誰に向かって話してるのか?耳を疑いたくなりましたが・・・、所詮そういう人なのだと、とても発達障害に理解があるとは望めないと痛感しました。
だったら、その小学校に入れるの止めれば良さそうなものですが、私は単純に上の子と同じ小学校に入れたかったし、障害があるからと言って遠くの学校に行かされるのは納得できなかったし、ならば、狸が異動になれば良いと思って、志望校は変えませんでした。
ブコ
でも、狸先生は、先日の検診結果では何とも測れないので、やはり区の機関で知能検査を受けること、それと最終的には就学委員会をうけること、を強く要望されました。前から同じ事言われてるので、分かってるんですが。
おまけに、ここからが戴けないのですが、彼は元々特別支援校で教員生活をスタートさせた経歴の持ち主だそうなので、校長室にはソファーの横の本棚に狸先生個人所有の教育専門書とりわけ療育関係の本がズラリと並んでいます。
その専門性が彼自身の売りのようなのですが、にもかかわらず、私がプチ子にABAをやらせている事も園長先生としては当然ご存知の上で、「ABAといえばOO大学のOO教授を知ってますよ。教え子なんでね。でも、ABAって、高いんでしょう?ちなみにおいくら位?だいたい、何をするんですか?」などと下世話な質問と勉強不足を露呈してくるのです。
挙句に「私が教師になったころは就職難で、普通級を希望しても通らず、しかたないから支援級に着任したんですよ。母親は大学まで出してやって勿体無い、と泣きましてね。」なーんていう話をし始め、いったい誰に向かって話してるのか?耳を疑いたくなりましたが・・・、所詮そういう人なのだと、とても発達障害に理解があるとは望めないと痛感しました。
だったら、その小学校に入れるの止めれば良さそうなものですが、私は単純に上の子と同じ小学校に入れたかったし、障害があるからと言って遠くの学校に行かされるのは納得できなかったし、ならば、狸が異動になれば良いと思って、志望校は変えませんでした。
ブコ
就学検診
2010.10.27 Wednesday | category:ブコより プチ子の生い立ち(就学編)
ABAによる集中介入の個人指導を受け初めて半年後には、小学校の就学検診がありました。
我が家は、なんとしてもプチ子を地元の(あいにく?普通級しかない)小学校へ行かせたかったので、幼稚園に入った時から、校長先生にアッピールしてました。
というのも、うちの地元の区立小学校は、すぐ近くのその幼稚園と提携というか(運動会やお遊び会など交流があります)しており、校長先生がその幼稚園の園長も兼ねているのです。
ですから、幼稚園の時から、校長先生に知ってもらい、理解していただいた上で、お友達みんなと一緒に小学校に上がりたい。そんな思いで、その幼稚園に入れました。一応、区立幼稚園は、軽度の障害児を受け入れる、という方針も示されていましたし。
でも、それも、副園長先生は、「介助員さん付きじゃないと受け入れられない」とおっしゃるので、就園委員会を経て、介助員さんをつけていただいての入園でした。
しかし、入園してすぐに校長先生と話す機会があった時から、この校長(以下、「狸」。←失礼!!あくまでも、愛称としてです・・・)は逃げの一手を決め込むのでした。
我が家には上の子が小学校にいて、そのクラスが色々もめたりした事もあり、狸校長とは、既に馴染みになってましたが、「プチ子を再来年には、どうかよろしくお願いします」と言い終わらないうちから、「そんな、そんな、お母さん!今からそんな先のこと言われても、参っちゃうな〜。だいたい、私がその頃まだ本校に在籍してるか分からないし、勝手な約束して次の校長先生に恨まれても大変ですからね〜」などと言うので、まったく頼りにならないなと感じました。むしろ、恨まれるような事・・・って言い方からして嫌がってるのかと。
でも、私はプチ子をその小学校に通わせるには、最初はやはり介助員の先生などを付けて貰わないと無理だと思っていたので、発達障害を隠して(というか、気付かずに、というパターンが多いと思いますが)入学してしまう方法は、取るつもりがありませんでした。
なので、就学までの間は何かと狸校長に相談と言う名の話し合いをさせていただき、入学希望の説得に努めていきました。
その都度、狸校長が言うには、「教育委員会が決める事ですからね〜。私が決める権限はないので・・・」と。現場の校長には責任ないような事を言ってましたが、我が家は早いうちから区の就学担当の課にも相談をしに行き、そちらでは、「ご希望されている学校の校長先生に依りますからね」と言われていましたので、おそらく教育委員会も、現場の校長が受け入れOKなら認めるのだと思いました。
区の就学担当の方にもその後、何度も相談にいったり、電話で話をさせていただきました。
そうこうするうちに、年長さんの秋、就学検診の通知(これは、発達障害ある無しに関わらず一律に出されるようです)が届きます。
ABAを始めて半年、だいぶ色んなことが出来るようになり、周りの子達に以前よりは追いついてきたとはいえ、元々病院や検診が極端に苦手なプチ子が、普通に集団検診を受けるのは、まだ難しいと思われました。
もちろん、それ以前から家でのセラピーでは、検診に向けての練習(視力検査の答え方、歯科検診で泣かずに口を開けるなど)を取り入れてもらい、毎日やってはいました。
うまく出来るか大変心配しましたが、練習の甲斐あってか、当日は廊下から「いま、頑張って泣かないで出来てたよ。次は目の検査だね、円の空いてるほうを指差すんだよ」などと声かけすることで、プチ子は落ち着いて検査を受けることができました。
ただ、問題は、検診の最後には簡単な知能検査があるということでした。
当日は、名前や歳などを口頭で質問をされるだけでなく、カードかパズルのような?・・・スイマセン、付き添っていたのに全然覚えてないのですが・・・机の上で何か簡単な検査が行われました。
当然プチ子は何度やっても全然できず、狸校長もその部屋では待ち構えるように側に立って見守ってくれていたので、最後は「ちょっと、ちょっと、こっちへ」と呼ばれて、近いうちにまた面談の約束をしたのです。つまり、この日の検診だけでは、入学を許可するわけにいかない、と言う事でした。
ブコ
我が家は、なんとしてもプチ子を地元の(あいにく?普通級しかない)小学校へ行かせたかったので、幼稚園に入った時から、校長先生にアッピールしてました。
というのも、うちの地元の区立小学校は、すぐ近くのその幼稚園と提携というか(運動会やお遊び会など交流があります)しており、校長先生がその幼稚園の園長も兼ねているのです。
ですから、幼稚園の時から、校長先生に知ってもらい、理解していただいた上で、お友達みんなと一緒に小学校に上がりたい。そんな思いで、その幼稚園に入れました。一応、区立幼稚園は、軽度の障害児を受け入れる、という方針も示されていましたし。
でも、それも、副園長先生は、「介助員さん付きじゃないと受け入れられない」とおっしゃるので、就園委員会を経て、介助員さんをつけていただいての入園でした。
しかし、入園してすぐに校長先生と話す機会があった時から、この校長(以下、「狸」。←失礼!!あくまでも、愛称としてです・・・)は逃げの一手を決め込むのでした。
我が家には上の子が小学校にいて、そのクラスが色々もめたりした事もあり、狸校長とは、既に馴染みになってましたが、「プチ子を再来年には、どうかよろしくお願いします」と言い終わらないうちから、「そんな、そんな、お母さん!今からそんな先のこと言われても、参っちゃうな〜。だいたい、私がその頃まだ本校に在籍してるか分からないし、勝手な約束して次の校長先生に恨まれても大変ですからね〜」などと言うので、まったく頼りにならないなと感じました。むしろ、恨まれるような事・・・って言い方からして嫌がってるのかと。
でも、私はプチ子をその小学校に通わせるには、最初はやはり介助員の先生などを付けて貰わないと無理だと思っていたので、発達障害を隠して(というか、気付かずに、というパターンが多いと思いますが)入学してしまう方法は、取るつもりがありませんでした。
なので、就学までの間は何かと狸校長に相談と言う名の話し合いをさせていただき、入学希望の説得に努めていきました。
その都度、狸校長が言うには、「教育委員会が決める事ですからね〜。私が決める権限はないので・・・」と。現場の校長には責任ないような事を言ってましたが、我が家は早いうちから区の就学担当の課にも相談をしに行き、そちらでは、「ご希望されている学校の校長先生に依りますからね」と言われていましたので、おそらく教育委員会も、現場の校長が受け入れOKなら認めるのだと思いました。
区の就学担当の方にもその後、何度も相談にいったり、電話で話をさせていただきました。
そうこうするうちに、年長さんの秋、就学検診の通知(これは、発達障害ある無しに関わらず一律に出されるようです)が届きます。
ABAを始めて半年、だいぶ色んなことが出来るようになり、周りの子達に以前よりは追いついてきたとはいえ、元々病院や検診が極端に苦手なプチ子が、普通に集団検診を受けるのは、まだ難しいと思われました。
もちろん、それ以前から家でのセラピーでは、検診に向けての練習(視力検査の答え方、歯科検診で泣かずに口を開けるなど)を取り入れてもらい、毎日やってはいました。
うまく出来るか大変心配しましたが、練習の甲斐あってか、当日は廊下から「いま、頑張って泣かないで出来てたよ。次は目の検査だね、円の空いてるほうを指差すんだよ」などと声かけすることで、プチ子は落ち着いて検査を受けることができました。
ただ、問題は、検診の最後には簡単な知能検査があるということでした。
当日は、名前や歳などを口頭で質問をされるだけでなく、カードかパズルのような?・・・スイマセン、付き添っていたのに全然覚えてないのですが・・・机の上で何か簡単な検査が行われました。
当然プチ子は何度やっても全然できず、狸校長もその部屋では待ち構えるように側に立って見守ってくれていたので、最後は「ちょっと、ちょっと、こっちへ」と呼ばれて、近いうちにまた面談の約束をしたのです。つまり、この日の検診だけでは、入学を許可するわけにいかない、と言う事でした。
ブコ
私から見たABA療育とは
2010.10.25 Monday | category:ブコより 療育の事
先生はいつも決して怒りません。いつも、優しく冷静に上手に教えてくれます。
小さいステップに分けたプログラムを、一つ一つ時間をかけて丁寧に練習させる姿は、まさにヘレン・ケラーとサリバン先生のようでした。
何かをプチ子が出来ていない時も、「違うよ」という指摘だけをして終わる事はなく、「違うよ。OOだよ」と、必ず正解をすぐに示して、プチ子がまだ自発的には出来ない事でも、正解を真似することで出来ていれば、すかさず「出来たね!やった!すごいね」といって、シールを貼ってくれるので、プチ子の頭の中では「そっかー、こうすれば(言えば)いいんだ。あたし今出来たわ」という成功体験で終わって、それがドンドン増えていき、次回は自信を持って、お手本なしで言えたり出来たりしていくのです。
ABAによる療育とは、本当に根気強く一歩一歩を積み重ねていく地道な指導なのです。
失敗を指摘される事が大の苦手(すぐ大泣きして癇癪をおこす)のプチ子には、出来ない事に対しては、怒るのではなく「間違ってる」ことをサラリと伝え、すぐに正解を教えて真似させます。
新たに出来るようになった事には、その努力に応じてご褒美を与えます。
やり易かったことなら褒め言葉をかける程度。(ただし、褒められるだけで頑張れるって、実はかなり高度なスキルだそうです。自閉傾向が強いと他人からの誉めって、別に興味ないのだと思います。だから、誉められるくらいじゃ頑張れない子には、もっと具体的に興味あるもの=お菓子とか?のほうが効き目あるかも)
難しかった事には、最大限の報酬・・・たとえば、週末に子供の好きな遊園地へお出かけする。とか、クリスマス並みのプレゼントが貰えるとかいうように。
ずいぶん前に、新聞の投書欄かなにかで、「きちんと出来たら褒めて、間違えたら怒らずに丁寧に教えるなんて、昔の親は皆普通に出来ていた。そんな事をわざわざABAなどと専門的に言ってるのはなんたること」的な意見が寄せられていましたが・・・
専門家によるABA指導は、やはり、そのように想像するものとは違います。
まず、ほめるタイミングと頻度が、素人の描くものとは比べ物になりません。
出来ない事を細分化して出来るまで根気よく、しかも楽しく教え続ける技術、これを昔の親達はみな出来ていたと言うのでしょうか?
なんせ相手は我慢や努力が出来る定型発達のこどもではなく、楽しくなくて嫌だ〜!と思うとすぐにモチベーションが下がって何も出来なくなる子なのです。
普通の子に通用するやり方で成長できてるなら、発達障害の子なんていないです。
とにかく間髪入れずに、すかさずご褒美!それも多少出来てもダメで、完全に普段の生活でできるようになるまで繰り返す・・・といった専門的な指導は、一度見てみないと素人の私が急にやろうとしても、間違ったやり方しか出来なかったと思います。
特に、我が子への指導は、どうしても期待が入り混じって、思い通りにいかないと親には相当な負担が掛かりがちですし。(上の子への、勉強みてあげるときの経験上)なかなか根気よくできないと思います。
そういった意味では、最初から専門家による指導を受けることが出来て、本当に幸運だったと思っています。一人一人の子へのプログラムもしっかり組み立ててくれるし、毎日やった事の正確な記録をつけて検証してくれるので。親は、分からない事があれば、いつでも聞けるし、困ってることを言えば、それを取り除くようにセラピーで指導してくれます。
でも、派遣して家まで来てもらえるセラピストの数が、日本では圧倒的に足りていないのが実情です。
金銭的にかなりの負担を強いられる事も。だから、たいていは親がやるしかない、という御家庭がほとんどなのです。
普通の自治体の療育機関では取り入れられていないABAを、自らが学んで、毎日ご自分のお子さんに療育されている親御さん(例えば、「つみきの会」のママやパパ達=こちらでは、会の代表の方がロバースの研究書を翻訳されて、皆さんで学んでます)には、本当に頭が下がります。
正しいやり方で指導すれば、確実に発達を促せるのがABAです。
はやく、日本でも欧米のようにABA療育が公費でうけられるようになればいいのに!と切に願います。
ブコ
小さいステップに分けたプログラムを、一つ一つ時間をかけて丁寧に練習させる姿は、まさにヘレン・ケラーとサリバン先生のようでした。
何かをプチ子が出来ていない時も、「違うよ」という指摘だけをして終わる事はなく、「違うよ。OOだよ」と、必ず正解をすぐに示して、プチ子がまだ自発的には出来ない事でも、正解を真似することで出来ていれば、すかさず「出来たね!やった!すごいね」といって、シールを貼ってくれるので、プチ子の頭の中では「そっかー、こうすれば(言えば)いいんだ。あたし今出来たわ」という成功体験で終わって、それがドンドン増えていき、次回は自信を持って、お手本なしで言えたり出来たりしていくのです。
ABAによる療育とは、本当に根気強く一歩一歩を積み重ねていく地道な指導なのです。
失敗を指摘される事が大の苦手(すぐ大泣きして癇癪をおこす)のプチ子には、出来ない事に対しては、怒るのではなく「間違ってる」ことをサラリと伝え、すぐに正解を教えて真似させます。
新たに出来るようになった事には、その努力に応じてご褒美を与えます。
やり易かったことなら褒め言葉をかける程度。(ただし、褒められるだけで頑張れるって、実はかなり高度なスキルだそうです。自閉傾向が強いと他人からの誉めって、別に興味ないのだと思います。だから、誉められるくらいじゃ頑張れない子には、もっと具体的に興味あるもの=お菓子とか?のほうが効き目あるかも)
難しかった事には、最大限の報酬・・・たとえば、週末に子供の好きな遊園地へお出かけする。とか、クリスマス並みのプレゼントが貰えるとかいうように。
ずいぶん前に、新聞の投書欄かなにかで、「きちんと出来たら褒めて、間違えたら怒らずに丁寧に教えるなんて、昔の親は皆普通に出来ていた。そんな事をわざわざABAなどと専門的に言ってるのはなんたること」的な意見が寄せられていましたが・・・
専門家によるABA指導は、やはり、そのように想像するものとは違います。
まず、ほめるタイミングと頻度が、素人の描くものとは比べ物になりません。
出来ない事を細分化して出来るまで根気よく、しかも楽しく教え続ける技術、これを昔の親達はみな出来ていたと言うのでしょうか?
なんせ相手は我慢や努力が出来る定型発達のこどもではなく、楽しくなくて嫌だ〜!と思うとすぐにモチベーションが下がって何も出来なくなる子なのです。
普通の子に通用するやり方で成長できてるなら、発達障害の子なんていないです。
とにかく間髪入れずに、すかさずご褒美!それも多少出来てもダメで、完全に普段の生活でできるようになるまで繰り返す・・・といった専門的な指導は、一度見てみないと素人の私が急にやろうとしても、間違ったやり方しか出来なかったと思います。
特に、我が子への指導は、どうしても期待が入り混じって、思い通りにいかないと親には相当な負担が掛かりがちですし。(上の子への、勉強みてあげるときの経験上)なかなか根気よくできないと思います。
そういった意味では、最初から専門家による指導を受けることが出来て、本当に幸運だったと思っています。一人一人の子へのプログラムもしっかり組み立ててくれるし、毎日やった事の正確な記録をつけて検証してくれるので。親は、分からない事があれば、いつでも聞けるし、困ってることを言えば、それを取り除くようにセラピーで指導してくれます。
でも、派遣して家まで来てもらえるセラピストの数が、日本では圧倒的に足りていないのが実情です。
金銭的にかなりの負担を強いられる事も。だから、たいていは親がやるしかない、という御家庭がほとんどなのです。
普通の自治体の療育機関では取り入れられていないABAを、自らが学んで、毎日ご自分のお子さんに療育されている親御さん(例えば、「つみきの会」のママやパパ達=こちらでは、会の代表の方がロバースの研究書を翻訳されて、皆さんで学んでます)には、本当に頭が下がります。
正しいやり方で指導すれば、確実に発達を促せるのがABAです。
はやく、日本でも欧米のようにABA療育が公費でうけられるようになればいいのに!と切に願います。
ブコ
ABA 開始から三ヶ月
2010.10.23 Saturday | category:ブコより プチ子の生い立ち(療育編)
すでに幼稚園の年長さんの春、三月生まれのプチ子が五歳になってからのABA指導でしたが、それは着実に成果を出していきました。
開始して一ヶ月経ち少し慣れてきた頃から、ようやく「わからない」「できない」「もう一回いって」などを言葉で表現する事を教わりました。
それまでは、分からなくて困った状況になる度に泣いたり、怒ったりすることでしか相手に伝える事ができなかったプチ子は、最初一週間ほどは、それらをすぐに口に出して言う事はなかなか難しかったのですが、プロンプト(お手本を示す事)を入れていって、ただのマネで一回でも言えたら、すかさず褒めて自信をつけさせていく事で、だんだんプロンプトなしでも自ら言える様にひと月ほどでなりました。
音声の模倣は、「き、ゆ、ら、を」は確実にキレイに発音できるようになりました。
(「か、く、け、こ、さ行、ひ、ふ」はまだ時間を要してましたが、それも半年後にはかなり上達します)
言葉の受容(理解しているか)は、「フライパン」「くつした」「長ぐつ」「ピアノ」「カスタネット」「タンバリン」「かさ」「ひつじ」「キャベツ」など少し高度な(みかん、うさぎ等より)単語も覚えていきました。
表出(言えること)は、単語によりバラつきもありますが、一〜ニ週間遅れくらいで、出来るようになりました。
動作は「ハサミで切る」「「手を洗う」「料理する」「窓を開ける」「階段のぼる」は受容、表出ともにわりと早く出来ていました。
表出に多少時間がかかったものとしては「本よんでる」「のんでる」「かささしてる」「手をつないでいる」ぐらいでしょうか。
色は、「ピンク」は好きな色だけにダントツに早く覚え、表出も完璧に出来ました。
次が「みどり」。三ヶ月で間違いなく言えるように。
「きいろ」は間違いなく言えるようになるのに四ヶ月かかりました。
「あお」と「あか」は、完璧に言えるまで半年かかりました。
でも、プチ子にとって、それだけ難しい事だったのでしょうから、ABA指導なくしては、いつ理解するようになっていたか・・・想像つきません。
色、受容のほうは、教えるとすぐに「オレンジ」「きみどり」「むらさき」「水色」「黒」「白」なども理解していました。
五歳にもなってると、「分かってたら言えるだろう!」と私からするとイライラもしましたが、なかなか簡単には言葉は出てこないんですね・・・。
まぁ〜、考えてみたら、大人でも英語なんかは聞けば何となく意味分かるけど、喋るとなると「あ〜、なんて言うんだっけ?」ってなるのと同じ感じなんでしょうかね〜。
なにごとも、受容が先で、表出が後なんだな〜。
先生は毎日根気よく丁寧に教えてくれました。感謝!
エージェントによるABA集中介入は、毎日の自宅での個人指導に加え、月に一回必ず本部で家族を交えてのミーティングを行います。
この頃、プチ子の問題行動で日ごろ一番困っていた事は、とにかく母親(または介助の先生など、自分専属のお世話係)が居ないと大泣きしてしまうことでした。
それも、しばらくすれば泣き止むというものではなく、要求が通る(ママが側に来る)まで激しく泣き続けるのです。
一度、私の友達に「大丈夫。見ているから任せて」と言ってもらって預けた時も、その人が別なことに気を取られると、とたんに大泣きしたそうで、普通の感覚で少し様子を見てたら泣き止むかと思ったら、エッライ長い間泣き続けてビックリした、というエピソードがあります。(ご迷惑おかけしました〜)
そういうわけで、開始二ヶ月目からは、グループ(先生+プチ子+私)で動作模倣や指示出しを行うプログラムと、その後でセパレーション(母親や先生と分離する)プログラムが始まりました。
セパレーション・プログラム初日は、ママも一緒に「お猿さんのマネ」などをして遊んだ後、ママだけが場所を離れようとすると、スカートを引っ張り泣きました。
これはセパレーション失敗なので、もう一度グループ遊びをしてからセパレーションを行います。
この日は、二回目以降は状況が読めたのか、落ち着いていられました。
翌日は、居なくなること二回とも泣いてしまいます。グループとセパレーションは毎日三回以上やることになりました。翌々日は一回だけ泣き、その翌日はまた二回泣きました。
「先生トイレいってくるね」「ママ、洗濯物入れてくるね」など、様々な状況での、より自然な設定をして回数を増やしていきました。
・・・というふうに、グループ&セパレーションのプログラムはしばらく続きます。
でも、そのうち、泣いたとしても泣き止むのが非常に早くなり、五秒位で泣き止んで一人で遊ぶ努力をし始めました。だんだんとママが部屋からいなくなる時間も15分以上〜と増やしていきました。
そうこうするうちに、だいたい一ヶ月ほどで、セパレーションでは泣かなくなりました。
(ただし、このプログラムは、半年以上続きます。)
グループ遊びは、ママの指示をきけるようになる事も目的に入っている(例えばママが「真似して」と言って万歳をし、プチ子と先生が真似する=ママの指示をきける)のですが、一ヶ月経った頃くらいからは、ママもセラピーに加わって遊ぶ事自体が、プチ子の強化子(ご褒美=次回の動機のなる)となったので、楽しく続ける事が出来ました。
この他に二ヶ月目から始めたプログラムには、
●ひらがなの受容(カード等で理解する)→「あ」行だけで一週間かかった
●ひらがな「あ、い、う、え、お」の表出(声に出して読める)→約一ヶ月
●数の読み方「1,2,3,4,5」(概念の理解はまだです)
●属性(多い、少ない、長い、短い、など)
●機能(ハサミ=切る、など)
●分類(動物、食べ物、のりもの、など)
●ポジション(前後左右)
専門的(私は素人なので所々間違って理解してるかもしれませんが)、かつ細かい話ばかりでスイマセン。
ただ、昔のプチ子のようなお子さんを抱えて困っている方が、これを読まれる事で少しでも参考になって頂けると幸いです。
まだまだ次回につづきます。
ブコ
開始して一ヶ月経ち少し慣れてきた頃から、ようやく「わからない」「できない」「もう一回いって」などを言葉で表現する事を教わりました。
それまでは、分からなくて困った状況になる度に泣いたり、怒ったりすることでしか相手に伝える事ができなかったプチ子は、最初一週間ほどは、それらをすぐに口に出して言う事はなかなか難しかったのですが、プロンプト(お手本を示す事)を入れていって、ただのマネで一回でも言えたら、すかさず褒めて自信をつけさせていく事で、だんだんプロンプトなしでも自ら言える様にひと月ほどでなりました。
音声の模倣は、「き、ゆ、ら、を」は確実にキレイに発音できるようになりました。
(「か、く、け、こ、さ行、ひ、ふ」はまだ時間を要してましたが、それも半年後にはかなり上達します)
言葉の受容(理解しているか)は、「フライパン」「くつした」「長ぐつ」「ピアノ」「カスタネット」「タンバリン」「かさ」「ひつじ」「キャベツ」など少し高度な(みかん、うさぎ等より)単語も覚えていきました。
表出(言えること)は、単語によりバラつきもありますが、一〜ニ週間遅れくらいで、出来るようになりました。
動作は「ハサミで切る」「「手を洗う」「料理する」「窓を開ける」「階段のぼる」は受容、表出ともにわりと早く出来ていました。
表出に多少時間がかかったものとしては「本よんでる」「のんでる」「かささしてる」「手をつないでいる」ぐらいでしょうか。
色は、「ピンク」は好きな色だけにダントツに早く覚え、表出も完璧に出来ました。
次が「みどり」。三ヶ月で間違いなく言えるように。
「きいろ」は間違いなく言えるようになるのに四ヶ月かかりました。
「あお」と「あか」は、完璧に言えるまで半年かかりました。
でも、プチ子にとって、それだけ難しい事だったのでしょうから、ABA指導なくしては、いつ理解するようになっていたか・・・想像つきません。
色、受容のほうは、教えるとすぐに「オレンジ」「きみどり」「むらさき」「水色」「黒」「白」なども理解していました。
五歳にもなってると、「分かってたら言えるだろう!」と私からするとイライラもしましたが、なかなか簡単には言葉は出てこないんですね・・・。
まぁ〜、考えてみたら、大人でも英語なんかは聞けば何となく意味分かるけど、喋るとなると「あ〜、なんて言うんだっけ?」ってなるのと同じ感じなんでしょうかね〜。
なにごとも、受容が先で、表出が後なんだな〜。
先生は毎日根気よく丁寧に教えてくれました。感謝!
エージェントによるABA集中介入は、毎日の自宅での個人指導に加え、月に一回必ず本部で家族を交えてのミーティングを行います。
この頃、プチ子の問題行動で日ごろ一番困っていた事は、とにかく母親(または介助の先生など、自分専属のお世話係)が居ないと大泣きしてしまうことでした。
それも、しばらくすれば泣き止むというものではなく、要求が通る(ママが側に来る)まで激しく泣き続けるのです。
一度、私の友達に「大丈夫。見ているから任せて」と言ってもらって預けた時も、その人が別なことに気を取られると、とたんに大泣きしたそうで、普通の感覚で少し様子を見てたら泣き止むかと思ったら、エッライ長い間泣き続けてビックリした、というエピソードがあります。(ご迷惑おかけしました〜)
そういうわけで、開始二ヶ月目からは、グループ(先生+プチ子+私)で動作模倣や指示出しを行うプログラムと、その後でセパレーション(母親や先生と分離する)プログラムが始まりました。
セパレーション・プログラム初日は、ママも一緒に「お猿さんのマネ」などをして遊んだ後、ママだけが場所を離れようとすると、スカートを引っ張り泣きました。
これはセパレーション失敗なので、もう一度グループ遊びをしてからセパレーションを行います。
この日は、二回目以降は状況が読めたのか、落ち着いていられました。
翌日は、居なくなること二回とも泣いてしまいます。グループとセパレーションは毎日三回以上やることになりました。翌々日は一回だけ泣き、その翌日はまた二回泣きました。
「先生トイレいってくるね」「ママ、洗濯物入れてくるね」など、様々な状況での、より自然な設定をして回数を増やしていきました。
・・・というふうに、グループ&セパレーションのプログラムはしばらく続きます。
でも、そのうち、泣いたとしても泣き止むのが非常に早くなり、五秒位で泣き止んで一人で遊ぶ努力をし始めました。だんだんとママが部屋からいなくなる時間も15分以上〜と増やしていきました。
そうこうするうちに、だいたい一ヶ月ほどで、セパレーションでは泣かなくなりました。
(ただし、このプログラムは、半年以上続きます。)
グループ遊びは、ママの指示をきけるようになる事も目的に入っている(例えばママが「真似して」と言って万歳をし、プチ子と先生が真似する=ママの指示をきける)のですが、一ヶ月経った頃くらいからは、ママもセラピーに加わって遊ぶ事自体が、プチ子の強化子(ご褒美=次回の動機のなる)となったので、楽しく続ける事が出来ました。
この他に二ヶ月目から始めたプログラムには、
●ひらがなの受容(カード等で理解する)→「あ」行だけで一週間かかった
●ひらがな「あ、い、う、え、お」の表出(声に出して読める)→約一ヶ月
●数の読み方「1,2,3,4,5」(概念の理解はまだです)
●属性(多い、少ない、長い、短い、など)
●機能(ハサミ=切る、など)
●分類(動物、食べ物、のりもの、など)
●ポジション(前後左右)
専門的(私は素人なので所々間違って理解してるかもしれませんが)、かつ細かい話ばかりでスイマセン。
ただ、昔のプチ子のようなお子さんを抱えて困っている方が、これを読まれる事で少しでも参考になって頂けると幸いです。
まだまだ次回につづきます。
ブコ
ABA 最初の一ヶ月
2010.10.19 Tuesday | category:ブコより プチ子の生い立ち(療育編)
初日は楽しく、ゆる〜く、まずは先生に慣れることから始まりました。
それでも翌日には、もう成果が出て、初めて「は」の発音を正しく言う事ができました。
ハァーと息を吐くことから繋げて。成功すると、すぐに好きな遊びができるので、プチ子も自然とやる気になってます。
「は」の発音ひとつでも、他の療育ではなかなか成功しなかったので、驚きと共に嬉しい手応えを感じました。
そして、この日からは本格的に、言葉を使ってコミュニケーションする練習が始まりました。
プチ子は要求があっても、発語で表さず、「んー!んー!」と言ってママに察知させる事しかしなかったので、言葉を話さないと応えてもらえない状況をつくり、頑張らせるのです。
たとえば、先生がすごく魅力的なオモチャで遊び始め、プチ子も使ってみたくても、「かして」がいえるまでは使わせてもらえない、というように。(この練習の場合は、発音の悪さは免除されます)
最初のひと月で、「かして」「ちょうだい」「開けて」「やって」「見て」「やめて」「やりたい」などを自発的に言えるように練習しました。(よく、それまで、こんな簡単な言葉すら使わずに暮らしてたなと思いますが・・・)
言語模倣は、一ヶ月で「き、は、へ、ゆ、ら、を、、ふ」がかなり綺麗に言えるようになりました。
ものの名前の受容(言うのでなく理解してるか)は、動物、家にあるもの(えんぴつ、おさら、じてんしゃ等)を20くらい覚え、
動詞は「手をあげる」「いすにすわる」「本をよむ」など10くらいを覚えました。
色は、ST(言語聴覚士)さんの所で一年間すごく丁寧に一生懸命ご指導頂いたのですが、何回やっても結局最後まで覚えられなかったのが、一ヶ月で「黄色」と「ピンク」は覚える事が出来ました。(注:ST批判ではありません。プチ子には、ABAの手法が合っていたのでしょう)
「あお」と「あか」は、どちらも「あ」から始まるせいか、なかなか難しくて混乱してしまいましたが、二ヶ月かけて間違えなくなりました。
「みどり」は、二ヶ月目になってから教え始め、すぐに覚えました。
「ママ」「パパ」「にいにい(お兄ちゃん)」は、教えはじめてすぐに◎。
それまでは、私に向かって「パパ」と言ったり、「ママ」はご飯の意味ではもちろんですが、父親に向かっても言ってました。
私も、プチ子が小さいときから正しく教えたり、直そうとしてきましたが、せっかくプチ子が機嫌よくコミュニケーションをとろうと発語してる時に正しい言い方を教えると、ものすご〜くキレまくるので、難しかったのです。キレて泣いてるときは、何を言っても聞いてません。
間違いを指摘される事に非常に弱いので、失敗した時に指摘するのでなく、セラピーで先に机上で理解させてから、実際に使ってみて成功させ、気分よく覚えていくのが合っていたのです。
次の週には、「おじいちゃん」「おばあちゃん」、幼稚園の介助の先生の名前とセラピストの先生の名前を、その翌週には幼稚園のお友達の名前を(クラス写真を見せて)覚えました。
ものの名前、表出(言う)のほうは、一ヶ月で「いぬ」「いちご」「みかん」「りんご」「たいこ」「くま」「バス」「ぶた」「ねこ」「うさぎ」「にんじん」等20くらいが理解していて言えるようになりました。
場所も「トイレ」「玄関」「おうち」は言えるようになりました。
動詞は、自分の写真を見て「自転車のってる」「ブランコのってる」「かけっこしてる」「お弁当たべてる」が一ヶ月で言える様になりました。
名前と歳も、聞かれたら確実に言えるようになりました。
これらの練習の合間のご褒美には、粘土遊び、シャボン玉、歌、おゆうぎ、おいかけっこ、絵の具でお絵かき、時には公園へお散歩、かくれんぼ(ルールを理解できてないので、その練習も兼ねます。)、公園で補助付自転車に乗る(ペダルを漕ぐ事は出来ないので、その練習にもなります)、などが入って、遊びながら勉強にもなりました。
が、日が経つにつれ、当然ながら徐々に課題はプチ子が簡単にできる事ばかりではなくなっていきます。
プチ子がもっとも苦手とする間違いを指摘される事、やり直しをさせられること、ママが側に寄ると抱きついたり、「みてみて」と言ったりすることを禁止される事、など少しずつハードルが上がっていくのでした。
つづきはまた
最近、昔の話ばかりなので、ここらで近況報告も・・・
入学以来ずっとほぼ0点だったテスト類(問題の意味もわからず、解答欄に問題を写したりしてました)ですが、徐々に上向き、なんと、二年生の二学期にして、はじめて漢字テストで100点とりました!!やった〜!!!
それに、今日の連絡帳には、先生から「体育で走るの速かったです」と書かれてました!!
幼稚園で、走り方が遅いし異常だから運動会の全員リレーに出ないで欲しいと担任の先生に言われたのから考えると、速いなんて言われる日が来るとは思ってもみなかったので、感無量。(^^)VVV
ブコ
それでも翌日には、もう成果が出て、初めて「は」の発音を正しく言う事ができました。
ハァーと息を吐くことから繋げて。成功すると、すぐに好きな遊びができるので、プチ子も自然とやる気になってます。
「は」の発音ひとつでも、他の療育ではなかなか成功しなかったので、驚きと共に嬉しい手応えを感じました。
そして、この日からは本格的に、言葉を使ってコミュニケーションする練習が始まりました。
プチ子は要求があっても、発語で表さず、「んー!んー!」と言ってママに察知させる事しかしなかったので、言葉を話さないと応えてもらえない状況をつくり、頑張らせるのです。
たとえば、先生がすごく魅力的なオモチャで遊び始め、プチ子も使ってみたくても、「かして」がいえるまでは使わせてもらえない、というように。(この練習の場合は、発音の悪さは免除されます)
最初のひと月で、「かして」「ちょうだい」「開けて」「やって」「見て」「やめて」「やりたい」などを自発的に言えるように練習しました。(よく、それまで、こんな簡単な言葉すら使わずに暮らしてたなと思いますが・・・)
言語模倣は、一ヶ月で「き、は、へ、ゆ、ら、を、、ふ」がかなり綺麗に言えるようになりました。
ものの名前の受容(言うのでなく理解してるか)は、動物、家にあるもの(えんぴつ、おさら、じてんしゃ等)を20くらい覚え、
動詞は「手をあげる」「いすにすわる」「本をよむ」など10くらいを覚えました。
色は、ST(言語聴覚士)さんの所で一年間すごく丁寧に一生懸命ご指導頂いたのですが、何回やっても結局最後まで覚えられなかったのが、一ヶ月で「黄色」と「ピンク」は覚える事が出来ました。(注:ST批判ではありません。プチ子には、ABAの手法が合っていたのでしょう)
「あお」と「あか」は、どちらも「あ」から始まるせいか、なかなか難しくて混乱してしまいましたが、二ヶ月かけて間違えなくなりました。
「みどり」は、二ヶ月目になってから教え始め、すぐに覚えました。
「ママ」「パパ」「にいにい(お兄ちゃん)」は、教えはじめてすぐに◎。
それまでは、私に向かって「パパ」と言ったり、「ママ」はご飯の意味ではもちろんですが、父親に向かっても言ってました。
私も、プチ子が小さいときから正しく教えたり、直そうとしてきましたが、せっかくプチ子が機嫌よくコミュニケーションをとろうと発語してる時に正しい言い方を教えると、ものすご〜くキレまくるので、難しかったのです。キレて泣いてるときは、何を言っても聞いてません。
間違いを指摘される事に非常に弱いので、失敗した時に指摘するのでなく、セラピーで先に机上で理解させてから、実際に使ってみて成功させ、気分よく覚えていくのが合っていたのです。
次の週には、「おじいちゃん」「おばあちゃん」、幼稚園の介助の先生の名前とセラピストの先生の名前を、その翌週には幼稚園のお友達の名前を(クラス写真を見せて)覚えました。
ものの名前、表出(言う)のほうは、一ヶ月で「いぬ」「いちご」「みかん」「りんご」「たいこ」「くま」「バス」「ぶた」「ねこ」「うさぎ」「にんじん」等20くらいが理解していて言えるようになりました。
場所も「トイレ」「玄関」「おうち」は言えるようになりました。
動詞は、自分の写真を見て「自転車のってる」「ブランコのってる」「かけっこしてる」「お弁当たべてる」が一ヶ月で言える様になりました。
名前と歳も、聞かれたら確実に言えるようになりました。
これらの練習の合間のご褒美には、粘土遊び、シャボン玉、歌、おゆうぎ、おいかけっこ、絵の具でお絵かき、時には公園へお散歩、かくれんぼ(ルールを理解できてないので、その練習も兼ねます。)、公園で補助付自転車に乗る(ペダルを漕ぐ事は出来ないので、その練習にもなります)、などが入って、遊びながら勉強にもなりました。
が、日が経つにつれ、当然ながら徐々に課題はプチ子が簡単にできる事ばかりではなくなっていきます。
プチ子がもっとも苦手とする間違いを指摘される事、やり直しをさせられること、ママが側に寄ると抱きついたり、「みてみて」と言ったりすることを禁止される事、など少しずつハードルが上がっていくのでした。
つづきはまた
最近、昔の話ばかりなので、ここらで近況報告も・・・
入学以来ずっとほぼ0点だったテスト類(問題の意味もわからず、解答欄に問題を写したりしてました)ですが、徐々に上向き、なんと、二年生の二学期にして、はじめて漢字テストで100点とりました!!やった〜!!!
それに、今日の連絡帳には、先生から「体育で走るの速かったです」と書かれてました!!
幼稚園で、走り方が遅いし異常だから運動会の全員リレーに出ないで欲しいと担任の先生に言われたのから考えると、速いなんて言われる日が来るとは思ってもみなかったので、感無量。(^^)VVV
ブコ
はじめてのABAセラピー
2010.10.16 Saturday | category:ブコより プチ子の生い立ち(療育編)
2008年春、当時すでに五歳、幼稚園年長さんになってから、やっとプチ子はABA療育を始める事ができました。
もっと、早くにABAの事を知り、もっと小さいうちに始められてたら、もっと今頃出来る事が増えていたかもしれない・・・という思いはあります。
発達センターの先生に「ABAというのを始めようと思います。」と話したら、
「ああ、ABAね、知ってますよ。まあ、何でも試してみるのは良いんじゃないですか」と。
「なんだ〜、知ってたんなら、『こういう療育法ありますよ』とか教えて欲しかった!」と私。
すると、「こういった公の施設で、特定の指導法を紹介はできませんからね〜」って・・・
そんな〜堅すぎるし、不親切だし、情報公開の義務はないのか?と、突っ込みたくなりました。それに、ABAに限らず、ありとあらゆる治療法を紹介すれば、特定のを支持したことにならないんだし。
その頃、保護者の育児相談(いま思えば何の役にも立ってなかったかも?)に通っていた発達クリニックのお医者さんに至っては、「ABA!?ダメですよ!あんなのロボット製造でしかない!私が見たことあるのは、覚えた事を繰り返すだけで、その場の状況に全く合ってない事を話す廃人をつくるだけでしたよ!」と、ボロクソに貶していました。
・・・なぜ?ABAに何か恨みでもあるのか?と思えるほどの全否定しちゃってる様子に、どう考えても、あまり正確な知識もないのに、過去の間違った知識と先入観で、患者に威張りたい人というふうに、私の目には映って、逆にその先生に不信感を抱きました。
でも、実際のABAのセラピー(臨床行動心理学の治療なので、こう言います)は、素晴らしいものでした。
まず、子供が楽しめている!!!
あれだけ、いつも、発達センターの個人指導でも、STさんのレッスンでも、言われた通りにできなくて、ダラダラふざけたり、癇癪起こしたり、椅子から逃げたりしていたのに、ABAセラピーでは、初日から椅子にきちんと座って課題に積極的に取り組む姿が見れたのです。
それもそのはずで、ABAでは一つの課題にかける時間のメリハリがはっきりしていて・・・
例えば、「あ」という音の発音の練習をするとしたら、三回なら三回(シールなどを三枚、目の前に用意して見せる)、先生の真似して言えたら、即椅子を降りて、好きなオモチャで遊べる。・・・というように行われるのです。
それは子供にも見通しを立てやすく、この数回頑張れば、すぐに楽しいことが待っているとわかるからこそ、モチベーションも高く取り組め、集中してやれているのでした。
そして、少し遊んだら、また次の課題。を繰り返す三時間です。
先生は、アメリカ人のようなハイテンションで、たかが「あ」を一回言えただけでも、超〜〜褒めてくれます!!プチ子も、気分良くならないわけがないのです。
初回は、
●「き」と「は」の言語模倣、(→この頃は発音悪すぎて、ママ以外の人には何言ってんだか聞き取れなかった)
●「あ、い、う、え、お」の口角模倣、
●舌を出す、
舌を左右に動かす(→うまく出来なかった)、
舌を上の歯に付ける(→ほとんど出来なかった)、
歯をカチカチさせる。
●物の名前「みかん、はさみ、うさぎ、ぶた等」の受容(言うのではなく、理解しているか)、
●物の名前の表出(言う事)、(→犬しか言えず。イチゴ、太鼓、猫、は絵カードを見せられてもいえませんでした。)
●動作模倣「バンザイ、ぶた、うし等」(→人の真似をする事自体が苦手なため)、
●自分の名前(→これも、他人には聞き取れない発音)、歳(→言えなかったので、いわれた通りに真似して)言う。
●指示の受容(座って。〜を貸して。などの指示に応える)
などに取り組まれてました。
いま、記録を見てブログ書いてますが、五歳にして衝撃的な出来の悪さですな〜(@_@;)
これらの課題の一つ一つの間に、ご褒美(遊びや、抱っこやオンブなど)を入れていく訳です。
プチ子は本当に楽しそうに、集中してやれていました。
私も、この先生なら安心して任せられると思いました。
この日から、毎日三時間、平日は五日間、つまり週に15時間のABA集中介入が始まったのです。
その前の週に行われた、今後の指導直前の家族ミーティングで、
担当の先生(毎日、家に来てくれます)を紹介され、
東京支社のトップのスーパーバイザーに面談を受けた時から、
誠実な印象を受け、何と言っても、その経験からくる圧倒的な「任せなさい」オーラに信頼が持てて、私は心の底から「助かった!これでプチ子は助かった!!」と思っていました。(ToT)
どんどん発達が遅れていくプチ子にしてあげられる有効な事が何もなかった状況から、
一転して、頑張ってやっていくべき事がある!という状況になった幸せは、何事にも勝るものでした。
つづく
ブコ
もっと、早くにABAの事を知り、もっと小さいうちに始められてたら、もっと今頃出来る事が増えていたかもしれない・・・という思いはあります。
発達センターの先生に「ABAというのを始めようと思います。」と話したら、
「ああ、ABAね、知ってますよ。まあ、何でも試してみるのは良いんじゃないですか」と。
「なんだ〜、知ってたんなら、『こういう療育法ありますよ』とか教えて欲しかった!」と私。
すると、「こういった公の施設で、特定の指導法を紹介はできませんからね〜」って・・・
そんな〜堅すぎるし、不親切だし、情報公開の義務はないのか?と、突っ込みたくなりました。それに、ABAに限らず、ありとあらゆる治療法を紹介すれば、特定のを支持したことにならないんだし。
その頃、保護者の育児相談(いま思えば何の役にも立ってなかったかも?)に通っていた発達クリニックのお医者さんに至っては、「ABA!?ダメですよ!あんなのロボット製造でしかない!私が見たことあるのは、覚えた事を繰り返すだけで、その場の状況に全く合ってない事を話す廃人をつくるだけでしたよ!」と、ボロクソに貶していました。
・・・なぜ?ABAに何か恨みでもあるのか?と思えるほどの全否定しちゃってる様子に、どう考えても、あまり正確な知識もないのに、過去の間違った知識と先入観で、患者に威張りたい人というふうに、私の目には映って、逆にその先生に不信感を抱きました。
でも、実際のABAのセラピー(臨床行動心理学の治療なので、こう言います)は、素晴らしいものでした。
まず、子供が楽しめている!!!
あれだけ、いつも、発達センターの個人指導でも、STさんのレッスンでも、言われた通りにできなくて、ダラダラふざけたり、癇癪起こしたり、椅子から逃げたりしていたのに、ABAセラピーでは、初日から椅子にきちんと座って課題に積極的に取り組む姿が見れたのです。
それもそのはずで、ABAでは一つの課題にかける時間のメリハリがはっきりしていて・・・
例えば、「あ」という音の発音の練習をするとしたら、三回なら三回(シールなどを三枚、目の前に用意して見せる)、先生の真似して言えたら、即椅子を降りて、好きなオモチャで遊べる。・・・というように行われるのです。
それは子供にも見通しを立てやすく、この数回頑張れば、すぐに楽しいことが待っているとわかるからこそ、モチベーションも高く取り組め、集中してやれているのでした。
そして、少し遊んだら、また次の課題。を繰り返す三時間です。
先生は、アメリカ人のようなハイテンションで、たかが「あ」を一回言えただけでも、超〜〜褒めてくれます!!プチ子も、気分良くならないわけがないのです。
初回は、
●「き」と「は」の言語模倣、(→この頃は発音悪すぎて、ママ以外の人には何言ってんだか聞き取れなかった)
●「あ、い、う、え、お」の口角模倣、
●舌を出す、
舌を左右に動かす(→うまく出来なかった)、
舌を上の歯に付ける(→ほとんど出来なかった)、
歯をカチカチさせる。
●物の名前「みかん、はさみ、うさぎ、ぶた等」の受容(言うのではなく、理解しているか)、
●物の名前の表出(言う事)、(→犬しか言えず。イチゴ、太鼓、猫、は絵カードを見せられてもいえませんでした。)
●動作模倣「バンザイ、ぶた、うし等」(→人の真似をする事自体が苦手なため)、
●自分の名前(→これも、他人には聞き取れない発音)、歳(→言えなかったので、いわれた通りに真似して)言う。
●指示の受容(座って。〜を貸して。などの指示に応える)
などに取り組まれてました。
いま、記録を見てブログ書いてますが、五歳にして衝撃的な出来の悪さですな〜(@_@;)
これらの課題の一つ一つの間に、ご褒美(遊びや、抱っこやオンブなど)を入れていく訳です。
プチ子は本当に楽しそうに、集中してやれていました。
私も、この先生なら安心して任せられると思いました。
この日から、毎日三時間、平日は五日間、つまり週に15時間のABA集中介入が始まったのです。
その前の週に行われた、今後の指導直前の家族ミーティングで、
担当の先生(毎日、家に来てくれます)を紹介され、
東京支社のトップのスーパーバイザーに面談を受けた時から、
誠実な印象を受け、何と言っても、その経験からくる圧倒的な「任せなさい」オーラに信頼が持てて、私は心の底から「助かった!これでプチ子は助かった!!」と思っていました。(ToT)
どんどん発達が遅れていくプチ子にしてあげられる有効な事が何もなかった状況から、
一転して、頑張ってやっていくべき事がある!という状況になった幸せは、何事にも勝るものでした。
つづく
ブコ
療育先を探す 〜自己紹介3の9〜
2010.10.13 Wednesday | category:ブコより プチ子の生い立ち(療育編)
三年前の当時、日本ではなかなかABAの集中介入指導を受けられる療育先というのは見つかりませんでした。
CREST(脳科学シンポジウム主催先)に参加している「なかよしキッズ・ステーション」の中野良顕教授を尋ねてもみましたが、何ヶ月も待って、面談を受けられただけで、個別指導は行ってないとの事でした。
せっかく効果的な治療を見つけたのに、集中指導を受けられる所がないなんて!!
唯一、たどり着いたのが、A.P.という海外のエージェントの日本ブランチでした。(ただし、現在は撤退しているようです)
一応、UCLAのロバース博士(ABA治療の有効性を開発した)の元で学んだスタッフから指導が受けられるというのが特徴でしたが、費用が尋常じゃない単位で、ひっくり返りました。
アメリカでは、同じような療育を公費で受けられる自治体もあるというのに、日本では全額を患者家族が負担するしかなく、経済的に相当な余裕のある家庭しか治療を受けられないなんて・・・、国や自治体に何とかしてもらえないのか・・・、こういう所にこそ、支援をして欲しいと思いました。
ちょっと発達にバラツキがあって生活に不便があるけど、工夫次第で受容・共存していける、というレベルの発達障害の症状じゃなく・・・、
五歳近くなっても話せなくて、目を離すとガラスのコップを食べたり、ちゃんと歩くことも出来ず常に泣き叫んでいてスーパーに買い物にも連れて行けない。
治療しないと周りも将来も生活が成り立たないレベルの障碍があるのに、
有効な治療は各自で調べて、自費でどうぞ。・・・って、随分、見放されてる感じがしました。
どうして健康保険とか効かないの?最近は子供の医療費はかからない自治体も多く、大した風邪じゃなくても病院に通って薬貰ったりしてる人もいるのに・・・と思ってしまいました。
切実に困ってる自閉症の子達を、治療する発想がなぜ日本には全くないのでしょう?
自閉症や発達障害は治らないから受容するしかなく、工夫して楽しんで、っていわれても、一生自立が望めなくて周りの暮らしに支障をきたしてひどい症状なのに、どう楽しめばいいのでしょう?
こんなシンドイ生活、受容で済まされない〜!!誰かたすけて〜〜!!!
と、困っていても、治療支援の制度が出来るのを待っていても、
子どもの時間はどんどん過ぎていく・・・
我が家も相当、金銭的な面で悩みましたが、いまここで、家や田畑(正確には車ですが)を売ってでもABAの早期集中介入を受ける事で、プチ子の将来に繋がるのなら!という覚悟で入会を決意しました。
その頃、通っていたO田式の障碍コースで毎週会っていたT君(いつも叫んでいたり、歩かなくて引きずられていて、プチ子より大変そうでした)ママに朗報としてA.P.の療育の事を話したのですが、金額的に有り得ないと一蹴されてしまいました。
せっかく効果的な治療法があるのに、経済的な理由でそれを諦めなければならなかったT君の事は、今でも忘れられません・・・今なら、家庭で親が療育をする方法が学べる親の会「つみきの会」のこと等を教えてあげられたのに・・・あれから、どうされてるのでしょう・・・当時の私は、集中介入をしてくれる所しか調べなかったのです(-_-;)
さて、とにかく、APの初回面談を受けることになりました。
子供のオモチャがたくさん用意されてる楽しいお部屋なのに、やっぱりプチ子は初めての場所、状況で大声で泣き叫びまくり、面談のやり取りがほとんど聞き取れない程でした。
それでも、その時の面談をしてくださった先生に「プチ子さんは、とても頭のいいお子さんですよ。」と言われたことは、今でも私の支えになっています。
そうなんですよ〜!やっぱり?先生には分かるんですか?
プチ子は発達検査の結果では、知能が低い低いとばかり言われてきたけど、
生活している中では、明らかにお兄ちゃんより賢い!と思える場面が多々あり、
実際、育てていて、本当は頭いいんじゃないか?と。
発達検査は、言葉が喋れないと、点数低く出るように作られてるので、私に言わせりゃ当てにならないのです。(と、思いたい)
そう思って、成長を信じてやってきていた私には、何とも勇気の出る言葉でした。
そして、その日からすぐに改めるべき、親としての接し方を教えてもらい、セラピーの空き待ちの予約をして帰りました。
その方法とは、「子供が泣きわめいても、要求には応じない。きちんと出来たら、すぐに応えてあげる。」という、とても単純なことなのですが。
なんせ、相手は普通の子ではなく、言って聞かせりゃ理解して頑張ることなんか不可能な相手なので。いきなり、そう言われた通りに試しても、幼児期のヘレン・ケラーにやってみるようなもので、自分では全くうまくいきませんでした。もう産まれてこのかた、泣かれりゃ言いなりになっていた私は、そう簡単に自分で修正できなかったのです。
早く定員一杯の順番が前のお子さんが無事に療育を卒業されて、空きが出ますように・・・
そう祈りながら、セラピーが始まる日を待ちました。
続きはまた。
ブコ
CREST(脳科学シンポジウム主催先)に参加している「なかよしキッズ・ステーション」の中野良顕教授を尋ねてもみましたが、何ヶ月も待って、面談を受けられただけで、個別指導は行ってないとの事でした。
せっかく効果的な治療を見つけたのに、集中指導を受けられる所がないなんて!!
唯一、たどり着いたのが、A.P.という海外のエージェントの日本ブランチでした。(ただし、現在は撤退しているようです)
一応、UCLAのロバース博士(ABA治療の有効性を開発した)の元で学んだスタッフから指導が受けられるというのが特徴でしたが、費用が尋常じゃない単位で、ひっくり返りました。
アメリカでは、同じような療育を公費で受けられる自治体もあるというのに、日本では全額を患者家族が負担するしかなく、経済的に相当な余裕のある家庭しか治療を受けられないなんて・・・、国や自治体に何とかしてもらえないのか・・・、こういう所にこそ、支援をして欲しいと思いました。
ちょっと発達にバラツキがあって生活に不便があるけど、工夫次第で受容・共存していける、というレベルの発達障害の症状じゃなく・・・、
五歳近くなっても話せなくて、目を離すとガラスのコップを食べたり、ちゃんと歩くことも出来ず常に泣き叫んでいてスーパーに買い物にも連れて行けない。
治療しないと周りも将来も生活が成り立たないレベルの障碍があるのに、
有効な治療は各自で調べて、自費でどうぞ。・・・って、随分、見放されてる感じがしました。
どうして健康保険とか効かないの?最近は子供の医療費はかからない自治体も多く、大した風邪じゃなくても病院に通って薬貰ったりしてる人もいるのに・・・と思ってしまいました。
切実に困ってる自閉症の子達を、治療する発想がなぜ日本には全くないのでしょう?
自閉症や発達障害は治らないから受容するしかなく、工夫して楽しんで、っていわれても、一生自立が望めなくて周りの暮らしに支障をきたしてひどい症状なのに、どう楽しめばいいのでしょう?
こんなシンドイ生活、受容で済まされない〜!!誰かたすけて〜〜!!!
と、困っていても、治療支援の制度が出来るのを待っていても、
子どもの時間はどんどん過ぎていく・・・
我が家も相当、金銭的な面で悩みましたが、いまここで、家や田畑(正確には車ですが)を売ってでもABAの早期集中介入を受ける事で、プチ子の将来に繋がるのなら!という覚悟で入会を決意しました。
その頃、通っていたO田式の障碍コースで毎週会っていたT君(いつも叫んでいたり、歩かなくて引きずられていて、プチ子より大変そうでした)ママに朗報としてA.P.の療育の事を話したのですが、金額的に有り得ないと一蹴されてしまいました。
せっかく効果的な治療法があるのに、経済的な理由でそれを諦めなければならなかったT君の事は、今でも忘れられません・・・今なら、家庭で親が療育をする方法が学べる親の会「つみきの会」のこと等を教えてあげられたのに・・・あれから、どうされてるのでしょう・・・当時の私は、集中介入をしてくれる所しか調べなかったのです(-_-;)
さて、とにかく、APの初回面談を受けることになりました。
子供のオモチャがたくさん用意されてる楽しいお部屋なのに、やっぱりプチ子は初めての場所、状況で大声で泣き叫びまくり、面談のやり取りがほとんど聞き取れない程でした。
それでも、その時の面談をしてくださった先生に「プチ子さんは、とても頭のいいお子さんですよ。」と言われたことは、今でも私の支えになっています。
そうなんですよ〜!やっぱり?先生には分かるんですか?
プチ子は発達検査の結果では、知能が低い低いとばかり言われてきたけど、
生活している中では、明らかにお兄ちゃんより賢い!と思える場面が多々あり、
実際、育てていて、本当は頭いいんじゃないか?と。
発達検査は、言葉が喋れないと、点数低く出るように作られてるので、私に言わせりゃ当てにならないのです。(と、思いたい)
そう思って、成長を信じてやってきていた私には、何とも勇気の出る言葉でした。
そして、その日からすぐに改めるべき、親としての接し方を教えてもらい、セラピーの空き待ちの予約をして帰りました。
その方法とは、「子供が泣きわめいても、要求には応じない。きちんと出来たら、すぐに応えてあげる。」という、とても単純なことなのですが。
なんせ、相手は普通の子ではなく、言って聞かせりゃ理解して頑張ることなんか不可能な相手なので。いきなり、そう言われた通りに試しても、幼児期のヘレン・ケラーにやってみるようなもので、自分では全くうまくいきませんでした。もう産まれてこのかた、泣かれりゃ言いなりになっていた私は、そう簡単に自分で修正できなかったのです。
早く定員一杯の順番が前のお子さんが無事に療育を卒業されて、空きが出ますように・・・
そう祈りながら、セラピーが始まる日を待ちました。
続きはまた。
ブコ
講演会のお知らせ
2010.10.12 Tuesday | category:ブコより 療育の事
前回の記事でお勧めした本
「あきらめないで!自閉症 幼児編」の著者、
平岩 幹男(医学博士、小児科専門医、小児神経専門医、日本小児保健協会常任理事。Rabbit Developmental Research代表、東京大学大学院医学系研究科非常勤講師、国立成育医療センター・クリニカルアドバイザー、啓明会中島病院付属なかじまクリニック発達外来。1976年東京大学医学部卒業、同年三井記念病院。1978年帝京大学小児科、1989年同講師。1992年戸田市立健康管理センター母子保健課長。)
先生の講演会「自閉症の診断と治療の進歩」が開催されます。
日時: 2010年11月7日(日) 13:00開場 13:30開始 16:30終了(予定)
場所: 三田NNホール
東京都港区芝4-1-23 三田NNビル地下1階 Map
最寄駅 都営三田線三田駅直結
都営浅草線三田駅徒歩3分
JR田町駅徒歩5分
☆ ホールには駐車場がありますが(有料)台数に限りがある為、なるべく公共交通機関をご利用ください。
参加料金: 一般800円
平岩先生のお話は、情報が多く、客観的で、かつ前向きな姿勢の内容です。
発達障害のご家族はもちろん、療育・教育に関わる方にとって、興味深いものであると思われます。
詳細・お申し込みは、チルドレン・センターのホームページhttp://children-center.jp/lecture.shtmlへどうぞ。
ブコ
「あきらめないで!自閉症 幼児編」の著者、
平岩 幹男(医学博士、小児科専門医、小児神経専門医、日本小児保健協会常任理事。Rabbit Developmental Research代表、東京大学大学院医学系研究科非常勤講師、国立成育医療センター・クリニカルアドバイザー、啓明会中島病院付属なかじまクリニック発達外来。1976年東京大学医学部卒業、同年三井記念病院。1978年帝京大学小児科、1989年同講師。1992年戸田市立健康管理センター母子保健課長。)
先生の講演会「自閉症の診断と治療の進歩」が開催されます。
日時: 2010年11月7日(日) 13:00開場 13:30開始 16:30終了(予定)
場所: 三田NNホール
東京都港区芝4-1-23 三田NNビル地下1階 Map
最寄駅 都営三田線三田駅直結
都営浅草線三田駅徒歩3分
JR田町駅徒歩5分
☆ ホールには駐車場がありますが(有料)台数に限りがある為、なるべく公共交通機関をご利用ください。
参加料金: 一般800円
平岩先生のお話は、情報が多く、客観的で、かつ前向きな姿勢の内容です。
発達障害のご家族はもちろん、療育・教育に関わる方にとって、興味深いものであると思われます。
詳細・お申し込みは、チルドレン・センターのホームページhttp://children-center.jp/lecture.shtmlへどうぞ。
ブコ
行動を修正していく 〜自己紹介3シリーズ その8〜
2010.10.10 Sunday | category:ブコより プチ子の生い立ち(療育編)
何か、プチ子の発達をもっと助ける術はないのか?
二週間にいっぺん、区の発達センターで一時間の個別指導療育を受けて、(実際には色んな習い事を交互に入れてましたが)、自然と成長するのを待っていても、どうやら発達は追いつかない。
それどころか、普通の子達とは、だんだん差が開いていって益々離されていく。
このままだと、プチ子は将来どうなるんだろう?
「治らない、治ることはない」と言われながら、あちこちの療育センターに通って個人指導を受けて、家でも幼児教育の教材など使って一生懸命褒めて教えても、何だか焼け石に水といった印象で、親の気力までもが、どんどん下がって行く感じがしました。
例えて言うなら、映画ドラマ「ルーキーズ」のような弱小野球チームが監督やコーチに「お前らは絶対に勝てない。いくら頑張ったとしても、甲子園には行けない」と言われながら、反面「さあ、腕たせふせをしましょう」と言われてるようなもので、何を目指してるのか?何の希望があるのか?今の毎日に意味あるのか?といった気分になっていく自分がいました。
発達障害は治らないけど、療育をすることで可能な限り、社会に適合できるように持って行ける。
とでも、言ってもらえるなら、まだガンバロウという気にもなれるのですが。
ただ、いつも口を酸っぱくして「絶対に治らない」と強調されても、育てる望みを失い、絶望感を味わうだけでした。
毎日が不安と焦りでいっぱいでした。
なにか効果的にプチ子に働きかける事で、発達を促せる方法はないのか???
そう思いながら過ごしていたある日、ST(言語聴覚士)さんの養成学校で先生から受けられる個別指導にもプチ子は通っていたのですが、学生さん達への掲示板で、「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」というシンポジウムが開催されるポスターを見た私は、「これは聴きに行かなくては!」という興味というより、「何故か直感的に呼ばれている」感じがして、目が釘づけになりました。
でも、専門家向けの学会で、素人の私なんかが行っても仕方ないのだろうと、その日は帰ったのですが。・・・なぜか、やはり、どうしても気になって、翌週また掲示板に突進してメモを取り、すぐに一般聴講の申し込みをしました。
シンポジウム当日も、専門家でもないのに、行って話分かるのかな〜?と不安になりながら会場に足を踏み入れ、難しい発表を頑張って聴きましたが、なんせ本当に難しい話ばかりでした。
もう帰ろうかな〜と思ったその時、まさに運命的ともいえるタイミングで、順天堂大学の北澤教授の「応用行動分析(ABA)」についての論文発表が始まったのです。
とにかく、「早期にABAを用いた高密度治療を2-3年行うと、約半数の児童は介助なしで通学できるまでに回復する(Lovaas 1987 ; McEachin et al. 1993 ; Sallows and Graupner 2005)」という内容のお話に、私は「これだ!これこそが、例のあの小児病院の部長先生が言っていた、アメリカの方では良い方法があるらしい、という方法だ!!!」と、まるで神のお告げでも聞いたように歓喜し、「これで、プチ子は何とかなる。ぜひ、そのABAとやらを試してみよう」と一筋の希望の光に導かれるような気持ちで家路に着いたのです。
それからは、毎日あちこちの図書館に行って関連本を調べたり、当時まだまだ苦手だったパソコンに向かってネットで検索する日々を送り、勉強すればするほど、ABAが効果的な治療であると立証されてる(海外で)ことが分かりました。
なにより、それまでの療育先で取り組まれていた「自閉症の人が過ごしやすいように環境を整える=つまり話せなくても良い」というような方法ではなく、「自閉症の行動そのものを修正していく=つまり話せるように訓練していく」治療法だという所が、私の考え方にピッタリでした。
比較的読みやすいABAの入門書とでもいうべき本を、参考までに紹介します。
キャサリン・モーリス著「我が子よ、声をきかせて」
平岩幹男 著「あきらめないで 自閉症 幼児編」
井上雅彦 著「自閉症の子どものためのABA基本プログラムー家庭で無理なく楽しくできる生活・学習課題46」
末吉景子 著「えっくんと自閉症」
などをお勧めします。ご興味のある方は是非お読みください。
それまで、病院や療育先でも教えてくれなかったABAという療育を、はやくプチ子にしてあげたい。
あとは、すぐにでもABA集中療育を受けられる施設を探すのみでした。
しかし、それが日本国内には中々ない、という事は探し出してすぐにぶち当たった壁でした。
ブコ
二週間にいっぺん、区の発達センターで一時間の個別指導療育を受けて、(実際には色んな習い事を交互に入れてましたが)、自然と成長するのを待っていても、どうやら発達は追いつかない。
それどころか、普通の子達とは、だんだん差が開いていって益々離されていく。
このままだと、プチ子は将来どうなるんだろう?
「治らない、治ることはない」と言われながら、あちこちの療育センターに通って個人指導を受けて、家でも幼児教育の教材など使って一生懸命褒めて教えても、何だか焼け石に水といった印象で、親の気力までもが、どんどん下がって行く感じがしました。
例えて言うなら、映画ドラマ「ルーキーズ」のような弱小野球チームが監督やコーチに「お前らは絶対に勝てない。いくら頑張ったとしても、甲子園には行けない」と言われながら、反面「さあ、腕たせふせをしましょう」と言われてるようなもので、何を目指してるのか?何の希望があるのか?今の毎日に意味あるのか?といった気分になっていく自分がいました。
発達障害は治らないけど、療育をすることで可能な限り、社会に適合できるように持って行ける。
とでも、言ってもらえるなら、まだガンバロウという気にもなれるのですが。
ただ、いつも口を酸っぱくして「絶対に治らない」と強調されても、育てる望みを失い、絶望感を味わうだけでした。
毎日が不安と焦りでいっぱいでした。
なにか効果的にプチ子に働きかける事で、発達を促せる方法はないのか???
そう思いながら過ごしていたある日、ST(言語聴覚士)さんの養成学校で先生から受けられる個別指導にもプチ子は通っていたのですが、学生さん達への掲示板で、「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」というシンポジウムが開催されるポスターを見た私は、「これは聴きに行かなくては!」という興味というより、「何故か直感的に呼ばれている」感じがして、目が釘づけになりました。
でも、専門家向けの学会で、素人の私なんかが行っても仕方ないのだろうと、その日は帰ったのですが。・・・なぜか、やはり、どうしても気になって、翌週また掲示板に突進してメモを取り、すぐに一般聴講の申し込みをしました。
シンポジウム当日も、専門家でもないのに、行って話分かるのかな〜?と不安になりながら会場に足を踏み入れ、難しい発表を頑張って聴きましたが、なんせ本当に難しい話ばかりでした。
もう帰ろうかな〜と思ったその時、まさに運命的ともいえるタイミングで、順天堂大学の北澤教授の「応用行動分析(ABA)」についての論文発表が始まったのです。
とにかく、「早期にABAを用いた高密度治療を2-3年行うと、約半数の児童は介助なしで通学できるまでに回復する(Lovaas 1987 ; McEachin et al. 1993 ; Sallows and Graupner 2005)」という内容のお話に、私は「これだ!これこそが、例のあの小児病院の部長先生が言っていた、アメリカの方では良い方法があるらしい、という方法だ!!!」と、まるで神のお告げでも聞いたように歓喜し、「これで、プチ子は何とかなる。ぜひ、そのABAとやらを試してみよう」と一筋の希望の光に導かれるような気持ちで家路に着いたのです。
それからは、毎日あちこちの図書館に行って関連本を調べたり、当時まだまだ苦手だったパソコンに向かってネットで検索する日々を送り、勉強すればするほど、ABAが効果的な治療であると立証されてる(海外で)ことが分かりました。
なにより、それまでの療育先で取り組まれていた「自閉症の人が過ごしやすいように環境を整える=つまり話せなくても良い」というような方法ではなく、「自閉症の行動そのものを修正していく=つまり話せるように訓練していく」治療法だという所が、私の考え方にピッタリでした。
比較的読みやすいABAの入門書とでもいうべき本を、参考までに紹介します。
キャサリン・モーリス著「我が子よ、声をきかせて」
平岩幹男 著「あきらめないで 自閉症 幼児編」
井上雅彦 著「自閉症の子どものためのABA基本プログラムー家庭で無理なく楽しくできる生活・学習課題46」
末吉景子 著「えっくんと自閉症」
などをお勧めします。ご興味のある方は是非お読みください。
それまで、病院や療育先でも教えてくれなかったABAという療育を、はやくプチ子にしてあげたい。
あとは、すぐにでもABA集中療育を受けられる施設を探すのみでした。
しかし、それが日本国内には中々ない、という事は探し出してすぐにぶち当たった壁でした。
ブコ
kikiのアロマ講座 報告
2010.10.08 Friday | category:kikiより
先日告知しました、発達障害児をお持ちのお母さん対象のアロマ講座を、
10月7日の木曜日に開催致しました。
少人数だったため、日々の悩み相談と共に始まった座談会に
アロマの話がついてくる、みたいなユルユルな講座でした。
でも、それがとても良かったような気もします。
五感を使うといろいろな事が見えてきたりするものですね。
日々の生活の中では、お母さん自身のコンディションを整えることが
一番大切だったりする事も、再確認し合いました
ママがハッピーでいられるようなマッサージオイルもお持ち帰り頂きました。
ママ自身が使うもよし、お子さんにやってあげるのも、勿論良しです!
だって、子供に塗って上げるだけでも、香りを一緒に楽しむことが出来るから。
子供にとっては、大好きなママに触ってもらえるだけでハッピーなハズだから。
スキンシップって大事なんだよね。
それぞれの方が好きな香りを選んでブレンドして頂くのですが、
好みが違う事も楽しいです。
香り比べなんかもしちゃって、楽しめます。
今後も、ユルユルなアロマ講座を続けるつもりです。
都合が合う方は是非ご参加くださいね!
kiki
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