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「へ」の字、やっぱり書けてない!
 や、やられました・・・

また「へ」を我流に書いてる〜〜〜!
そして、教えても教えても、この前みたいに書いてくれない〜〜。

喜んだのが早すぎたんですね。まだ定着してませんでした。

一回位できても、定着するのに時間かかるのは、算数の計算でも、なんでも承知済みでしたが。
今回は、直すのに時間かかってただけに、書けた時点でゴールのような気がしたのです。

一度定着してしまった癖から抜けるは、まだまだ時間かかるに違いないです〜(><)
一、二回できたとしても、すんなり書けるようになるには半年〜一年かかるかな〜???

いやいや、のんびりするのやめよう。今回は短期集中でやってみます。
いっつも算数や漢字や音読の陰に隠れて、大事なことを優先して「へ」は置き去りでしたから。
今度は平行して注意していこうと思います。

う〜ん、でもそんな暇あったら、真っ先に直さなきゃならないのが、オムツなんですよね。
これも、大人のダイエット同様、少し成功してはリバウンドのように戻る・・・を繰り返すうちに、もう三年間挑戦中!で、いつになっても直りません。

急にオムツを外して座らせても絶対に出しません。
たとえどんなに漏れそうなくらいだったとしても・・・だって、少し出かかった所で無理やりオムツ外して座らせても、ひっこめるんです。
そして普段まったく便秘しないのに、オムツなしで座らせたら、一週間意地でも出さないのです。
お腹はパンパンになり、結局かわいそうで私が根負けしてオムツ手渡して終わるチャレンジ週間が何度もくりかえされてきました。
一歩手前の作戦として、穴あきオムツにもチャレンジしましたが、一、二度成功しても、やっぱり穴あき自体に拒絶し始め、うまく行きませんでした。
何が怖いのか?昔一度ウォシュレットを使ったのが恐すぎたのか?
とにかく普通にウンチできる日は来るのか?謎です。

字の話から、トイレの話になってしまいました。
まだまだ課題はあるけど、数えられる位になってきただけでも、御の字です。


ブコ
| こころくらぶ | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
kikiのアロマ教室
 IFA認定のホリスティックアロマセラピストの
kikiがアロマ教室を開催します。

日時: 10月7日(木)10時〜12時
場所: 阿佐ヶ谷産業会館2階特別集会室
参加費:1000円

発達障害児をお持ちのお母様を対象にします。
今回はお子さま対象ではないので、
お母様が一人で参加できる方に限らせて頂きますね。

お子さまにアロママッサージをやってあげたいな〜なんて
ストレスの回避方法を話している所から、
こんな教室を開催することになりました。
まずはお母さん自身が、その効果を味わってもらうことに。

お家に帰ったらすぐにお子さまにマッサージが出来るように、
お土産付きでお帰り頂けます。

席に限りがあるので、参加希望の方は
コメントでお知らせ下さい!

kiki



| こころくらぶ | 06:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
「へ」の字が書けた
 いままで何っ回も教えてきたけど、絶対に正しく書けなかった、ひらがな「へ」の字がさっき遂に書けました。

どう書けなかったかというと、書き順というか、普通は左から右へ流れて書く「へ」を、なぜか上から左に「/」と書いてから上に戻って右へ「\」と書くことしかできなかったのです。

そんなの少し教えればすぐ書けそうなものですが、何度、手を持って一緒に書いても点線をなぞらせても、実際に一人で書かせると自分流になってしまうのです。

そういった字は他にも「あ」「い」「え」「そ」「こ」「て」「ふ」「ら」「り」「れ」「ん」などあったのですが、こちらは急いで直さないと読めない形だったので、優先的に教えて一年くらいで読める形になりましたが。(まだ完全ではないけど。たぶん、曲線や折り返しが難しいのと、ハネをやたらデカく解釈するから)
まぁ、見た目が同じなら、書き方違っても当分いいか〜と、「へ」に関しては、寛容に構えてました。
だって、下手に直そうとすると、また癇癪起こすし、勉強はかどらないし、「書けない〜」とパニクられて厄介だから。
それに、去年の二学期からは漢字も入ってきて、そっちに必死でしたし。
でも、上の部分が微妙にクロスしていて、気にはなっていたのです。

今でも週に二日、ABAのセラピーを受けてるお蔭で最近、私の指示はすごく良く入るようになり、気に入らない事があっても立ち直る時間が短くなり、わりと機嫌もいつも良い状態が続いています。
会話もかなり正しくやり取りできるようになったし、出来ることが増えてきたなと思ってたのですが、まさか今日あんなにスンナリと「へ」が書けるとは拍子抜け。
今まで、どうやっても、例えば、始まりとテッペンと終わりに点を打ってなぞらせようとしても、点をひたすらグリグリしちゃうだけ。しかもだいたい、三角を一筆書き出来なかったのに。
ちょっと見本を示して二、三回教えたら書けたのです。まるで定型発達の子のように。

綺麗な字を書かせるためよりは、正しい字を書かせたくて、習字も習ってます。
でも、習字の先生も手を焼くほど、いくら教えても急に正しくは書けないのです。
私たちと同じようには見えてないのか?見えてるけど手で再現できないのか?不思議です。
習字の先生も一回に少しづつ教えて下さり、無理に強制しないで見守ってくれてきています。
きっと次回「へ」が書けて驚かれるだろうな〜(^^)いっしょに喜んでくれるだろうな〜。

次は「ふ」と「ら」が当面の課題かな。
それにしても、去年から比べれば随分と筆圧も強くなって、綺麗に書けるようになってる。

こないだ「こころくらぶ」定例会で、中学生のママが、「絶対、出来るようになる日が来る。字も書けるようになる。」と、経験を踏まえて言ってくれた言葉が忘れられません。

積み重ねた努力はいつか必ず報われる。・・・が当てはまるとは到底思えない程、スローペースなんだけど、やっぱり継続は力なり。です。
子供が頑張っきて出来たときの喜びは、何物にも代えられません。

少しづつでも、前進です。

って、二年生なんだけどね、・・・いいの。

プチ子はプチ子のペースで。

算数も・・・ガンバロウ・・・(^^;)


ブコ
| こころくらぶ | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
脳にひびく
 ぶこちゃん、いつも丁寧な報告をありがとう!

勉強をやることが苦手になってしまう子供たち。
宿題をやらせるだけでも、本当に途方も無い時間を費やすことになる。

そこで、定例会でなにげに話した内容にかぶりつきが多かったのもこの話題。

きっかけになったのはユダヤ人の話でした。

ユダヤ人は教養の高い人が多く、大富豪になる人たちにユダヤ人が多い
なんて言う定説もあるくらい。

この人たちは、小さい子供の頃から習慣になるものがあるそうだ。
それは、読書。

お父さんが、膝の上に子供を乗せて水飴をなめさせながら本を読むことを毎晩するとか。
すると脳がその膝の上での安心感やぬくもりと、
飴の甘さと読書を一緒にくっつけて覚えてしまうので、
飴をなめたくなるように、安心感を得たくなるように、読書をしたくなるらしい。
すごい技と言うか、脳の仕組みを分かって何かをするって、めちゃくちゃ効率が良い???

これを聞いたメンバーたちは、確かにチョコレートで釣ってやっているとか、
ウチはお菓子だとかって言う話で盛り上がった。

誰もが試行錯誤で色々トライしていることがよく分かった。

毎日色々あると、なんで自分だけがこんなに辛い想いをしているのか?
なんて言う感にとらわれちゃったりするけれど、
みんな同じことやってるんだよね。

そして、実は一番辛いのは子供本人だよね。
嫌いなものをやらされるほど嫌なことは無いはずだから。
だったら、楽しくやれる方法を見つけるのが一番だね!

良い方法があったら、これからもシェアしましょうね!

いつも話を脱線させるkikiより



| こころくらぶ | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
昨日の定例会
 kikiさん、投稿ありがとう〜。

そう、昨日は久しぶりの定例会(+デニーズランチ)でした。

区民センターの会議室は9:00から予約してあるけど、毎回家の事やってから出てくるには主婦には早すぎて、皆だんだん定時には集まらなくなり、昨日は10:00集合にしてみました。
それでも、私は更に遅刻し(代表としての自覚0)、しかもそこから近くのカフェにコーヒーを皆で買いに行って、戻ってやっと席に着いたら10:30すぎてた、という何ともユルい会です。

それというのも、今は特に誰か切羽詰まった困りごとや、悩みを抱えてないからで、昨日の話題もほとんどが脱線につぐ脱線でおわりました〜。

いいことなんです。深刻な問題が起きてないって事だから。

昨日は、久しぶりに欠席者もなかったので、全員が平等に話せるように時間を15分づつに割り振って話そう(聞き役に徹して終わる人が出ないため)、と始めたのですが、そこはまたオバちゃんの宿命とでも言いましょうか、結局途中から全員が入り乱れて喋り始め、時間配分なんてどこへやら?で終わりましたとさ。

でも、いいんです。それも。堅苦しくなく、気楽に喋れる雰囲気が大事なんです。

特に学校で問題が起きているメンバーもいなく、最後は家庭学習の話題。

やはり、みんな算数で苦労していて、宿題やらせるのに(=ついて教える)だいたい二時間かかる、というのが共通してました。

うちも、そうだけど、まず勉強するのが嫌いすぎて、席に着かせる所から苦労するんですよね。
そして、プリントに名前を書くだけで疲れてしまうほどで、どうにか一問解かせるのも大変なんです。

数の概念を好きなキャラクター、お金、など興味のある物で教える。
少しやったらお菓子をあげる。また少しやったらお菓子。
トランプで遊びながら数の序列を覚えさせる。
等々、みんな学年もレベルも違うんだけど、それぞれ工夫してる事を教えあって、勉強になりました。


ほんとうは、もう一人、新しく「こころくらぶ」に参加したいと言ってくれてる方をお迎えしたかったのですが(実は、このブログを見て、そう言ってきてくれたのです!)、残念ながらこの日はお仕事で、お会いすることができませんでした。
定例会は平日が多いですが、何かのイベントで週末に集まれたりしたら、あるいは曜日の調整も出来ますので、ぜひ近いうちにお会いできることを願ってます。


その後、時間のある人は例によってデニーズへと流れ、ランチで引き続きよもやま話。
そこで kikiちゃんが伊勢神宮の話を聞かせてくれました。
すると、「うちも夏休み行ってきた」ともう一人のメンバーが。
しばらく、神々しい場所で心洗われたと意気投合していたのですが、
「船に乗っていって、赤い鳥居がある」という発言から、「それは、安芸の宮島!」と一斉に突っ込まれてました。・・・愉快なメンバー達です。

デニーズで順番待ちをしてる時、kikiさんの知り合いで特別支援教育に前向きな区議会議員さんにお会いしました。
以前にも、ご挨拶させて頂いた事があるのですが、昨日は「就学前の障害児指導あり方検討委員会」が開かれたことを教えていただき、就学前のみならず、就学後の障害児指導についても検討していく必要があると、言って頂けました。ネットで検討委員会の内容を調べてみようと思います。
また何かこれからお力をお借りすることもあるかもしれず、心強いです。


きのうも、楽しく充実した「こころくらぶ」でした。


ブコ
| こころくらぶ | 22:57 | comments(2) | trackbacks(0) |
命とは?
 今日は、『こころくらぶ』の定例会。

先日お伊勢参りに行った話を、「命」の話を聞いたことを織り交ぜて話させて頂きました。
忘れないように、ここに記しておきたいと思います。

式年遷宮と言う20年に一度の大祭が平成25年に行われる。今回で第62回を迎える。
千三百年もの昔から20年に1度を守り通していることに、心底驚かされる。
その歴史の中では、私に命をつないでくれたご先祖様のどなたかが「お伊勢参り」に行って、
同じ建物を見ているかと思うと、感慨もヒトシオなのである。

お伊勢参りに行くと、神の存在を体感できる。
そして、自分が祖先のお陰で今あることに感謝できる。

「命」は、人類の誕生をアウストラロピテクスからとすると400万年前から、
初めてヒト属に属するホモ・ハビリスからすると200万年前から、
私の祖先として存在していた。
自分にまで命をつなげることの出来る確率は
「1億分の1の確率」。

400万年から(あるいは200万年前から)の長い時間の中には、
マンモスが死んでしまうような氷河期や
人肉を食したと言われる江戸の大飢饉や
国内での戦争や世界大戦などが何回もあったにも関わらず、
しぶとく生き延びた祖先がいて、初めて私が存在している。

何の取り柄もない自分だけど、太古の昔から繋がっている遺伝子を持って生まれ、
その遺伝子をまた次の世代に繋げている大役がある。
途絶えることなく続いた命を頂いているのだから、
大切にしたいと思うと同時に、
自分一人のことだけじゃなく、世の中や周りの人のお役に立てる存在でいたいものだ。

「1億分の1の確率」で私の所に生まれてきた子供たちにも感謝!

出来れば器量も良くて成績も良い子供に生まれてくれたら・・・
なんて思うけど、発達障害も個性の一つ。
何せ、この確率で生まれてきていることに、感謝が必要なのだから。

子供には『命』とはどういう意味なのかを、分かるよう教えてあげることが
今大切なのかもしれない。

みんなと同じことが同じようには出来ない子供だけれど、
かけがえのない『命』を引き継いでくれているのだから、
生きていることに感謝!

kiki




| こころくらぶ | 20:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
たまには気晴らし ・・ちょっと無謀
自転車で原宿まで行ってきました。
環七を超えて、意外とアップダウン激しい井の頭通りをひたすら走り、山手通りも超えてやっと表参道に〜(><;)到着〜〜!!!
片道一時間近くかかりました。約8Km。ママチャリだし。タイヤの空気抜けてるし。途中、ヨボヨボのおじいさんにも追い抜かされ、坂道登りきれなくて降りて押す事たびたび・・・

よれよれになって、表参道のBVLGARIカフェへ。
今日は、結婚前に勤めていた会社の元同僚たちとランチ。
ブルガリって、名前だけ真似したナンチャッテカフェかと思ったら、ほんとのお洒落なカフェでした。

もう〜、自分、ユニクロの服だし、ママチャリ後ろのチャイルドシート錆だらけだし・・・
お洒落な界隈に普段着のおばちゃん迷い込んでゴメンよ、的な。
なんとなく涼しくなってきたから気持ち良い運動にもなりそうだし、電車乗り継いで行くより直線距離短いし、いつも車だとすぐだからと思って、家の近所のノリで行っちゃったけど・・・、
CHANELやらブランド店入るビルに汗だくで登場してスイマセン・・・。

おまけに時間思ったよりかかって遅刻したし。先輩もいたのに・・・待たせてしまった。
ひとしきり喋りまくって、プチ子の下校に間に合うように、また帰り道を急いでひた走り、帰宅。
これで痩せてたらいいんだけどな〜。

それにしても、この十何年子育てに追われ・・・、
プチ子が生まれてからは、いつでも何処でも泣かれて抱っこにオンブでヨダレや鼻水垂らされるから綺麗な服は着れないし、ネックレスだって癇癪おこして泣きわめきながら引きちぎられたこと数知れず・・・、四歳になっても抱いて歩いていたからヒールも履けず・・・

巷で見かける着飾った人たちが、よほど何の悩みもなく暇な人生送っているように見えて・・・、
こちとら、お洒落どころじゃないんだよ!!と。そんな暇あったら子供を治したいんだよ!!と、本屋に並んだVERY(注:お洒落な子育て世代ママ雑誌。「バギーを押しながら六本木ミッドタウンへ」みたいな記事が載っている)系雑誌の表紙を見るだけで疲れる・・・私には、もう関係ない世界・・・
私はプチ子を背負って脱ぎ履きしやすい靴を履いて暮らしていくしかないのよ〜

って、時期もあったけど、いまやっとこうして子供が学校行ってる間に(着飾ってはないけど)お洒落な場所に(溶け込んでないけど)出掛けることができて、ようやく一段落ついたのかなと思いました。

BVLGARIの店で、子供の話や療育の話、婦人科検診の話や癌の話を、暗い話題としてではなく、この歳になったら大抵抱えている当たり前の話として盛り上がって話しできる。
そんなオバチャンの私達(ちなみに、私以外はお洒落なママです)って、上っ面だけじゃない人生を送ってて、素敵だと思えました。

普段の忙しい生活に追われて老け込んでいく中、たまには違う雰囲気の場所で、楽しいお喋りするのも、必要な気分転換ですよね。

自転車で往復二時間の道のりも、いい運動になり、発散できました。
ママチャリではふつういないけど・・・


ブコ
| こころくらぶ | 00:11 | comments(7) | trackbacks(0) |
予後は不良  〜続・・紹介3シリーズ第五弾〜
 「自閉症の予後は不良。」
・・・よご???不良????え?将来ヤンキーですか????

まったく聞いたことない医学用語にも詳しくなりました。今じゃ。
「予後は不良」って、治癒が望めない、回復の見込みがない、という意味です。

プチ子は区の三歳児検診で再びひっかかり、ついに国立成育医療センター(=旧国立小児病院)に紹介されました。

大きな病院で、こども向けにカラフルな作りになっていて、所々に遊具?のような設備がある楽しい雰囲気いっぱいなのに、慣れない場所でプチ子はやはり大泣き!普通はしばらくすると泣きやむでしょうが、プチ子は驚かれるくらい、とにかくいつでも最大のボリュームで泣き続けるのです。周りに迷惑なので、ポケベルをもらって中庭にいました。

総合診療科の若い担当の先生は、とても子供好きの優しい先生でした。泣き続けるプチ子をなだめながらオモチャで遊ばせ(遊び方を診ます)、終わってから私がオモチャを片付けようとしたら、「そのままでいいですよ〜。僕、子供が散らかしたオモチャの跡、好きなんですよね〜。なんか遊んだあとっていいじゃないですか。」と言われ、泣きそうになりました。いつでもどこでも迷惑がられているので、たまに受け入れてもらえるとグッとくるんですよね〜。

とにかく脳のCTを撮ること、発達検査をうけること、言葉が遅いのは聴覚の問題も疑われるので、耳鼻科の検査もうけることが決まりました。
プチ子は、呼んでも振り向かない事もあるけど、興味のある音なら反応するので、聴覚は大丈夫と思ってましたが、念のため受けることにしたのが大失敗。
普通の子のように、「音が鳴ったら、手を挙げる」というやり方を言っても分からないので、また睡眠薬で眠らせて脳波で診るという検査方法になりました。CTも睡眠薬ですけど。

検査日は夏休みに入ってしまい、当時二年生のお兄ちゃんを一日留守番させる訳にもいかず、連れて行ったのが運のつきでした。
朝一で診察受けて薬をもらい、中庭でお兄ちゃんを遊ばせながらプチ子を抱っこで寝かしつけ(三歳半です。重っ!)やっと寝て耳鼻科の検査室に連れて行き、ポケベルもらって食堂でお兄ちゃんにランチ食べさせ、呼び出されてお兄ちゃん食堂に残してプチ子迎えに行って睡眠覚醒待機室(正式な名前は忘れました)というような部屋に連れて行って看護婦さんにお願いして食堂に戻ってお兄ちゃん引き取り、私は昼食べ損ね、お兄ちゃんもそのころまだ扱いずらい子だったので、なんとか機嫌を保つように絵本読んであげたりしたけど、いいかげん退屈してたし、やっとプチ子目覚め、再び先生診察、会計待ち・・・と大変な思いをして帰ったら七時すぎでした。さすがに「もう連れて行かれたくない」とお兄ちゃん。

CT検査は別日でしたので、お友達の家で預かってもらいましたが、それも一日がかりでしたので申し訳ないし、大きい子供病院なんだから兄弟児の託児所とかあればいいのに〜と思ってしまいました。

何度か通って発達検査も受けて、いよいよ診断結果が出される日、・・・なぜかいつもの優しい先生ではなくて、お偉い部長先生からの告知を受けます。
「知的障害を伴う広汎性発達障害。治りません。」ときました。
・・・え?いつもの先生はどこ?この人いま何て言った?治りません?・・・

やっとのことで、言えた台詞が、
「え〜と、じゃあ、これからどうしたらいいんですか?」と私。
「は?どうしたらなんて、知りませんよ。病院は、検査をして診断を下す所ですからね。相談する所じゃないんでね。」とは部長先生。
「え?相談するところじゃない・・・?」
「発達センターとか行ってないの?相談はそっちでして。」
「はあぁ・・・でも今治らないっておっしゃいました?」
「予後は不良です。・・・・・まぁ〜、アメリカのほうには、なんだか良い治療があるそうですけどね・・・」
と、後半は小声で独り言のようにブツブツ言われました。

なんだか、その先生の投げやりな態度にもショックを受け、呆然と帰ったんでしょうか。後はよく覚えてません。

でも、家に着いてから、さっきの「アメリカには良い方法が・・・」という部分が急に気になり、気が付いたら、国立成育医療センターに電話をかけていました。
「OO部長先生は、アポイントのない電話にはお出になりません。」と言われても、大事な用件なんです!と引き下がりませんでした。
随分待たされて、しぶしぶ電話に出た部長に「さっき、アメリカにはどうのこうのって、言われましたよね!?」と、もはや因縁つける勢いの私にビビったのか、「言ってませんよ。知りませんよ。」と最初言ってましたが、今のところアメリカでしか受けられない治療法で、莫大な時間と労力を要する事。どのみち、日本じゃ受けられない。という事を言い捨てて切られました。

なんだよ、それ〜・・・・(><*)

よくも治らないなんて、平然と言ってくれたわね〜!!
アメリカに良い方法あるんなら、治るんじゃないの???

医者なら、治療法にどん欲に興味持って研究しろよ!!!
とショックの矛先をあの先生にぶつける私でした。


ブコ
| こころくらぶ | 00:50 | comments(2) | trackbacks(0) |
失われた2年半 〜続々・・自己紹介3シリーズ第四弾〜
二歳半のときに「表出性の言語障害」と言われてから、
翌年三歳半でやっと「広汎性発達障害」と診断されて、 
五歳でABAの療育を始めるまでの二年半・・・

いくら区の発達センターに通っても、ST(言語聴覚士)さんの訓練を受けても、
感覚統合の療育に通っても、某O田式右脳教育の障碍者コースに通っても、
プチ子はちっとも出来ることが増えていきませんでした。

ぜんぜん喋れるようにならないし、長い距離(50メートル以上くらい)は歩けない。
意志の疎通ができないときは常に泣きわめくし、
それでも私に分かってもらえないと、半狂乱のパニックになり、なかなか納まらない。
それが怖いから、なるべくご機嫌でいてもらえるように家族は先回りして世話を焼かねばならない。
テレビの子供番組(おかあさんといっしょ等)すら歌以外は意味わからなくて面白くないから見ない。
絵本読み聞かせても、意味全く分からないから嫌い。
一人遊びしないので、構ってもらえない間は泣きっぱなし。
ママが見えないと泣き叫ぶ。洗濯物干すにも(洗濯機と物干し場間)連れ歩かないと泣く。
新しい場所、事、男の人はダメ。
一日に何度も着替える。もしくは裸になる。
食事は後期離乳食並みに小さく刻んで調理しないと食べられない。
飲み物は一日に三回はひっくり返す。
ガラスのコップ、お箸をを食べる。(口にバリバリ入れても泣いてないので、注意してないと超危険!)
オムツは取れない(大小どちらもする時に穿く)

ああ〜〜、こうやって書いていくと、すごい状態でしたが、
これでも、「たまたまちょっと手がかかるだけ。いつか必ず追いついて治る!」というか「治らない事があるわけない」という根拠のない自信だけは持っていました。
もはや私も感覚が麻痺していたのでしょうか。

当時は毎日疲れ切っていて、日記(アナログ版)すら付けていないので、
詳細は正確には思い出せないのですが、
とにかく、こどもの発達に良いといわれる事は、なんでも試してみました。

ご飯は発芽玄米(GABAが脳の発達に良いと聞いて)にしました。
睡眠・覚醒リズムを崩さないように規則正しい生活を保ちました。
障害児のリトミック教室にも通いましたっけ。
一生懸命いろいろな療育を平行して受けさせて(それぞれ定員が一杯で、隔週しか受けられないため)、
家でもO田式の教材を毎日やっていました。

でも、プチ子はあまり成長しなかったのです。
むしろ、定型発達の子と比較すると、相対的には後退していたとも言えるかもしれません。
実際、発達指数は一時期10くらい下がりました。

発達障害は治らない。
療育をしても、健常者のように暮らすには、ほど遠い所までしかいかない。
その中でも、少しは伸ばせる能力を、無理のないペースで見つけていきましょう。
区の発達センターの個人指導(一回50分)は、三歳児は月一回。四歳児は月二回。
久しぶりに通っても、前回できたことすら忘れている。
という療育現場のスタンスを、私はもどかしく感じていました。


ブコ
| こころくらぶ | 23:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰も告知をしたがらない 〜続続々:自己紹介3〜
プチ子の生い立ち、一歳半以降の続きです。

 前記のクリニックでは、結局はっきりと発達障害などの診断名を言われずに、ハイハイをしない事への注意が必要、という説明しかされませんでした。(・・・と、私には受け取れたんですが)

あれが、すんご〜く遠まわしに「シャッフリング・ベイビー=自閉症なんですよ」と言う意味だとしたら、申し訳ないけど、遠まわしすぎですってば〜!
ショックを与えるのに忍びない気持ちからかもしれませんが、お医者さん=プロである限り、やはり私みたいな鈍い患者家族にも分からせるような説明をして欲しいものです。

その後何か月か通いましたが、心理の検査も毎回大泣きしてばかりで測定不可。家での様子を報告しては「また来月、様子を見ましょう」と言われるだけなので・・・、
なんだか埒があかないし、その頃埼玉に住んでいたので、御茶ノ水までの電車で必ず大泣きして暴れまくるプチ子を連れて、地下鉄の階段をベビーカー担いで乗り継ぎ通うのが、とても億劫になって、次第に通わなくなってしまいました。

それから清瀬の都立小児病院にも何故か脊髄のレントゲンを撮りに通った記憶があります。
いったい当時どこから紹介状を書いてもらって通うことになったか全然思い出せないのですが・・・(^^;)、ハイハイをしない事で近所の小児科から紹介していただいたのかも・・・?(記憶力悪いな〜)

そこでもプチ子は睡眠薬で眠らされ、またまた巨大なベッドにベルトで縛り付けられてたことだけは覚えています。しかし、結局脊髄には異常はないと。かといって、発達障害が疑われます的な話は一切なかったように思います。でも、なんだか普通の小児科と違って、周りは発達に問題がありそうなお子さんばかり待合室に来ているんだな〜・・・と漠然と思ってたように記憶しています。

その後、杉並区に引っ越しをして、プチ子は二歳の誕生日を迎えました。
相変わらず喃語しか話せない、ちょっとしか歩けない、おむつトレーニングしようとしても、ただ新築の家のあちこちにウンチをされるばかりで全く進まず、(たぶん精神年齢0歳だったのでは?)とにかく発達が遅れていることは私でもわかっていました。
ただ、それが障害とは知らず、発達の遅い子も速い子も、いつかは同じラインに並ぶのかと思っていたのです。

それから更に半年後の二歳半頃に、ご近所の養護教諭の方から、言葉の遅れが気になるなら、区の「こども発達センター」という所に相談したらいいかもしれないとアドバイスされました。
どこからの紹介もなく、自ら予約して訪れる人はあまりいないのか先方に驚かれましたが、とても気軽なつもりで予約して出掛けてみました。

心理テストをしましょう、という事になり、(この頃まだ「心理のテスト」=「知能検査」という事を理解すらしてもいない私です・・・)たしか新版K式を受けました。
当然まだその結果に書かれている「発達指数」という数字が、=知能指数ということまでは知らず、何だろうこの数字いろいろ書いてあるけど・・・?と思いながら、センターの職員の方に、来週から定期的にここに通われてみたらいかがですか?などと言われ、「え?何で?きょうは、言葉の遅れに関しての相談に来ただけなのに・・・」と怪訝に思いながら、予約を入れてもらいました。

もちろん、医療機関ではないので、診断は下さないのですが、「病院で発達障害か診てもらったら」と言う様なことも全然言われなかったので、何で心理の検査?精神的にデリケートな部分でも検査したのかしらん???この子が発語遅いのも、歩かないのも、慎重派だからなのかしら〜??
きっと箱入り過ぎて臆病だから、こどもセンターに通って社会性を身に着けていけばいいという事で、誘ってくれたんだわ〜と解釈して、週一回のグループ療育に参加することになりました。
(いまからすると無知すぎて倒れそうですが、一般ピープルって、こんなものですよね。)

数週間、ダウン症のお子さんや身体障害のお子さん等いろんなお友達に交じって、ゲームやリトミックのような遊びに参加しましたが、目を開けたままでの福笑いゲーム一つでも、他のお子さんに比べて、プチ子はダントツにできないのです。(><)

いよいよ、薄々、プチ子って知的に遅れあるのかも〜?と思い始めました。
プチ子って、障害あるの???プチ子は病気なの???

しかし、漠然とした不安を抱えながら過ごすうち、その頃またジージの手配で世田谷にある療育機関「こぐま学園」で医療診断を受けることになりました。しかし、ここでもまた顧問の先生から発達障害とか自閉症とか告げられることはなく、なぜか「いまは表出性の言語障害がありますな。でも、ま、いずれ、話すでしょう」なんて言われて、すっかり一時的な失語症のようなものかと勘違いしたのでした。

プチ子の発達の遅れの本当の原因がわからないまま、大した問題ではないと思い込んだ私は、その後しばらく「こぐま学園」と、杉並区こども発達センターに通ってりゃ治るのかと勘違いしながら過ごすのでした。

・・・・・つづく

また非常に長くなって、すみません。読んでくださった方、ありがとうございます。


ブコ
| こころくらぶ | 00:30 | comments(4) | trackbacks(0) |
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