同じ区内でも、他の学校の特別支援級(固定級)には、もう少し雰囲気の違う学校もありました。ベテランの先生が、結構スパルタな指導をされていて、子供達もキチンと従う所など。
でも、結局、学区の指定で、我が家の場合は、その、あまり行かせたいとは思えない学校しか選べない事も、後で分かりました。
すんごく遠いんですけど。歩いていくと大人でも片道30分以上はかかる?けど、自転車での送迎禁止!てのも、意味不明だし。
それにしても、その学区指定の特支級は、あまり専門的な指導のできる先生がいらっしゃらない印象でした。
見学会の日程で、丁度、教育委員会の特支課長さんも、その学校に来てウロウロされていましたので、質問できそうなタイミングをみて、
「こちらの先生方は特別支援教育の研修を受けているのか」聞きました。
答えは残念ながらNO。
「赴任が決まる時点では特に研修はなく、実質的には、夏休み等を利用して、任意での研修を進めている現状」ということでした。
「それは是非、着任する前に特支教育についての知識を勉強できる仕組みにして欲しいですね」と申し上げると、「そう、そこなんですよね〜」とおっしゃってました。
後日、盛んに固定級への進学を(園長兼志望校校長の差し金で)勧めてくる、プチ子の幼稚園の副園長先生に、
「先生、そうやって特支級を推薦されますけど、私が見学に行った限りでは、こうこうこういう現状で、教育委員会の方までもが、『そうなんですよね〜』って、言われてたんですよ。」とお伝えすると、
副園長先生と担任の先生で目を合わせながら、ボソッと「・・・言っちゃうんだ〜」(言わなきゃ良い事を)と、ため息をついておられました。
幼稚園の先生方も、表面上は「支援の必要な子一人一人に合った、手厚い指導が受けられる固定級はお勧めよ〜」と言いつつ、その内容のお粗末さを指摘されると口篭るといった所でした。
要するに、健常児達の普通級の学校に、ただでさえ最近増えつつある発達障害の児童をこれ以上入学させて厄介な事にしたくないという思惑が見え見えでした。
厄介なものは、排除する。
学校を運営する先生方にとっては、切実な問題なんでしょうけどね〜、
こちらとしては、家庭で責任持って(シャドーをつけて)極力迷惑かけないようにするから、何とか入れて下さいよ、という堂々巡りの話し合いがまたまた続くのでありました。
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放課後の園庭でのシャドーが始まり、ようやくプチ子がお友達と関わることが出来るようになってきて、親の私からしてみれば、嬉しい限りでした。
・・・しかし、幼稚園側は苦々しく思っていたようでした。
せっかく皆の鬼ごっこに入れてもらって楽しく遊んでいる最中でも、副園長先生が慌てて走ってきて、「ちょっと!、園庭の真ん中でシャドーの人がみんなと遊ばないでくれる?他の保護者の目もあるんだし」と言われた事もありました。別にシャドーの先生が率先して子供達を指導してたわけじゃなく、元々遊んでいた子達の鬼ごっこの輪の中に、プチ子と先生が入れてもらって、手をつないで走っていただけだったのに・・・
でも当時の私は、とにかく園とケンカしないでプチ子に出来るだけの環境を作ってあげようと決めていたので、すぐに「スイマセンでした」と園庭の端っこに引き下がりましたが、今思い出してみても随分意地悪な対応されてましたね〜。
そういえば、その後もよく副園長先生たちは職員室の窓から放課後の園庭でのシャドーをカーテン越しに覗いては、何やらヒソヒソ言ってたような・・・きっと、御自分達の幼児教育の場を他人に踏み躙られているようで、面白くなかったのかもしれません。
やはりトップ(狸園長)の方針や心構えって、下の先生達に伝わるものだから無理もないのでしょう。
たぶんトップの本音は、障害者は健常児の邪魔にならないように、ひっそりと隅っこで遊んでろ!だったのです。
翌年にはトラブルから転園させらせた発達障害の子もいたそうだし。
そんな発想しかない・・・、いま思えば、特別支援に対しては、かなり不十分な幼稚園でした・・・。
そんな中、 手続きに時間がかかると言われた保育時間中のシャドー開始も、区長さんに掛け合ったお陰か、すぐに三学期の頭から始まる事になりました。
小学校入学まで、あと3ヶ月でしたが、なんとか幼稚園での集団指示に自力で従えるようにする訓練が始まります。
ただ、一週間全部ではなく、予算の都合もあってシャドーは火・木だけしか入れられず・・・、なので、月水金は、今までどおり加配の介助の先生にお願いするのです。(クラスにはプチ子の他にも介助申請をされての入園のお子さんがいたので、火・木も介助の先生はいらっしゃいます)
せっかく幼稚園で、先生方の目の前でシャドーが繰り広げられるのですから、私としては、本当は、介助の先生はもちろん、担任の先生や他の先生にもABAでの障害児への接し方を学んで頂きたかったのですが、区の幼児教育指導要綱とは違うものだという理由で、先生方に伝授する事は誓約書で禁じられました。
入園以来、ずっとプチ子に付いてくれている介助の優しい先生は、「プチ子ちゃんの為になるなら。そばで見守ってますよ」とシャドーの導入を応援してくださいましたが、火木に見聞きしたやり方を、月水金に試すことは固く注意されていたようです。
そういえば、その先生についても、副園長は失言をした事がありました。
介助員になられる前は、元々幼稚園の教諭を長らく勤められていた先生である事を、いつだったか副園長先生が「そうなのよ。プチ子ちゃんの介助の先生は、本来なら介助員になんか勿体無い位の経歴の持ち主なんだから、プチ子ちゃんは幸せよ〜」と言ったのです。そういう先生に介助していただける事は、本当に幸運だと思いますが、「介助員なんかには勿体無い」という表現はどうにかならなかったのでしょうか・・・。
そして、三学期のはじめ、クラスのお母さん方に、今後保育時間中にプチ子のシャドーの先生が入らせてもらう事を説明する機会が、私に与えられました。
念願かなって保育時間中のシャドーが始められるのだから、それについて皆さんに説明する事自体は、苦でも何でもなく、むしろ園長先生がしたくないなら、私から説明させて下さいという気持ちでしたが、当日実際に説明をする段になって、あんなに不快な思いをするとは想像していませんでした。
うちの幼稚園は全員が徒歩通園で、帰りは必ず教室の前に親全員が迎えに集まってから降園なのですが、そこで担任の先生がいつも通り、明日の持ち物など連絡事項を述べた後、「この後、プチ子ちゃんのお母様から、お話があるようです。」とだけ言って、私にバトンタッチ。
と同時に、職員室に副園長を呼びに行かれ、副園長が廊下に出てきて、こちらをジーっと監視するかのように腕組みしながら見つめている中で、「明日から、クラスに保育時間中もシャドーの先生がプチ子に付かせて頂く事になります。どうぞよろしくお願いします」というようなことを言わせて貰いました。
仲の良いママさん達は、良かったね!と喜んでくれていましたが、あまり事情を知らないママさんからは、「幼稚園側は承諾した上での話なのかしら?副園長先生達から一言もないなんて、プチ子ちゃんのお母さんが今日、勝手に言い出してるのかしら?」という声が聞かれたのです。もちろん、その場ですぐに違うと。きちんと許可を取って、きょう発表させてもらったとお伝えしたのですが・・・、そう取られ兼ねないような、副園長の「幼稚園としては不本意なんだけどね〜」オーラ全開の立ち姿でした。
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教育の場でありながら、幼稚園では「前例」だとか「役所の許可」だとかの議論が先に立ち、誰もプチ子の発達に関心が無いのは、とても残念でした。
狸より、もっと上の権限があるところに掛け合わなくては・・・それは区役所の教務課か、教育委員会の教育長か、はたまた区長さんか?
困っているのを心配して、区議会議員さんに紹介しようか、などと言ってくれる友達もいました。(ちなみに、東京23区は地方の市と同様に議会を持った自治体です)
しかし何といっても、実現するまでに残された時間が少なすぎるのです。議会を通している間に卒園してしまい、結局幼稚園でのシャドーは出来ずに終わった、では困るのです。
一番手っ取り速い方法は、区長さんにWebで直接メールして意見が言えるシステムを使う事かと思われました。(当時の区のホームページには、それが出来る欄がありました)
正式な書き方も何も分からないけど、とにかく区長さんに要望書を書きました。
すると、ほどなくして返事があり、幼稚園を通して区の教務課の担当者を交えての話し合いが持たれる事になりました。
どうも女親だけだと、どうしても毎回狸からも軽くあしらわれるので、今回の話し合いには、うちの主人にも登場してもらう事にしました。
当日は会社を遅刻してもらって、朝9:00に幼稚園の会議室で、区の教務課の方々お二人、狸園長、副園長と私達夫婦の六人で話し合いがもたれました。
私達は、いかにシャドーがプチ子の成長にとって必要な療育の一貫であるのか、決して他の幼稚園生に余計な指導をするわけではないのか、を切々と訴えたのですが、この日の話し合いでも、向こうは「認められない」の一点張りでした。
そこで今度は、日曜日に近所のホールで開かれた「区長と語ろう」フォーラムというような催しに出かけて、直に区長さんに聞いてもらうことに賭けました。
ほんとは事前に登録した人しか手を挙げられなかったのですが、最後の最後に、旦那が飛び入りで区長に「ちょっと就学の事と療育の事で聞いてください!」と言いたい事を手短に訴えました。
ちょうど時間切れになってしまいましたが、当時の山田区長は熱心に耳を傾けてくれて、「ほら、こういう切実な御意見を聞きたかったのに、もっと当日参加の時間を取ればよかったのだ。」というような事をステージ脇のスタッフに言い、私達に対しては「貴重な御意見、必ず、区政の参考にします」と言われて会は閉幕しました。
その後、区のホームページから再度、具体的な内容の要望書を送ったところ、区の教務課の担当者に適切な対応を指示したとの返事をいただきました。
そして、ついに区役所から「シャドーを認めるに当たっての条件書」が届きました。
そこには・・・、シャドーに入るセラピストが見聞きしたことは絶対に保護者(私を含む)に洩らすな。とか、他の子に対して指導をするな。とか・・・細かい事が延々書かれてましたが、飲めば開始できるんならと、もちろん喜んで捺印しました。
しかし、実現にあたって今度はまた狸が、その手続きに2〜3ヶ月は掛かるから、しばらくは保育時間内には無理で、結局、放課後の園庭開放の時にしか、シャドーを入れる事は認められない。と言ってきたのです。園庭開放時って、ただ放課後に園庭に残って遊びたい子はどうぞ御自由にという時間であって、公園となんら変わりないのですが・・・。
なぜ手続きにまた三ヶ月も?そんな事してたら、卒園しちゃうと思い、もうちょっとどうにかならないのかと聞きましたが、狸園長曰く「お役所の行政で三ヶ月で事が運ぶなんて、異例の速さですよ。幸運じゃないですか」だって。
本当に、んもう〜〜!!と言いたいところでしたが、我慢して、そこでは取り合えずお礼を言い、11月の末から放課後遊びでシャドーを入れさせていただく事にしました。
もう、モンスターペアレントみたいで、ほとほと疲れてたのですが、最後にまた区長さんへメールしました。「お陰様で、シャドーを認めていただけた事。そして、お役所の仕事にしては異例の速さで三ヵ月後に開始できると現園長(名指し)に言われ、感謝している事。」を綴りました。
それから漸く、暮れになって、来年一月の三学期の初めから、保育時間中のシャドーについても認めるとの連絡を教務課からいただきました。
シャドーひとつ認めてもらうまで、ながい道のりでした。
でも、幼稚園にしてみたら、余計な事を要望してくる問題ある親でしかなかったのでしょうから、仕方ありません。
ちなみに、在園中は狸園長、副園長先生に対しては、いつも下手に出て、「お願い」と「相談」ベースで話をさせていただきました。
対立の関係に縺れ込んでしまうとロクな事にはならないので、表面上は常に笑顔で、役員のしごとの打ち合わせなどを通して、親しくさせていただきました。
プチ子のことで「ありがとうございます」「おかげさまで」・・・は何百回言ってきたか分かりません。
まぁ、実際にプチ子のシャドーを最終的には受け入れて、協力してくれた事には変わりないので、感謝すべきところは感謝してるんですけどね。
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なぜ?学校の事を幼稚園で副園長と???と不思議に思いましたが、そこは小学校の校長と幼稚園の園長を兼任する狸による指示なのかと・・・なにか、副園長先生にもプチ子の就学について相談に乗ってもらう必要があるのかと承諾して赴きましたが、まさか副園長を使って、プチ子の普通級への進学を諦めるよう説得をしてくる作戦とは気付きませんでした。
でも、後で聞いた話によると、この副園長の説得によって普通級進学を諦めさせられ、親御さんは反発して大喧嘩した末、最終的には特別支援級に入学していった御家庭が過去にもあったらしい・・・。
他にも、在園中に友達同士のちょっとした問題を起こした発達障害のお子さんに対して、他のお母さん達から苦情が出てるからと、「引っ越した事にして出て行ってくれないか」説得して、退園をさせたりした実績があったそうです。
区立幼稚園として、入園の募集要項にきちんと「軽度の障害児を受け入れる」と明記されてるにもかかわらず、園の障害者への対応は非常にお粗末で、どちらかというと、普通級の子達の平穏な生活を守る為に、障害者は障害者らしく、特別支援でも何でも、そっちの場所に行っとけ!的な発想が根底にある狸園長と副園長でした。
いま思い返してみても、私もよく、お迎え時間などに副園長と立ち話をする機会があったりした時などに、「お陰様で、プチ子も最近OOできるようになって、嬉しいです〜」と幼稚園での指導に感謝している旨をお伝えしていたのですが、そういう度に決まって、「あら、でも、OOとかはできてないし、まだまだお母さん、安心しちゃダメよ!」と、叱咤激励?されていました。
入園してすぐの頃から、副園長先生が月に一度設けている「副園長先生の子育て相談室」(一人一時間)に申し込んでは、毎月プチ子のことを相談しに行ってましたが(しかし私以外に相談に行ってる人は滅多にいなかった・・・?)、そこでも早い時期から進路の相談を私から持ちかけてみたものの、いつも「そんな先の話、まだ早いわ。いまは出来ない事に目を向けていかないと」と、はぐらかされていました。
もちろん、その時点で出来ない事に目を向けて、出来るように教えていく事は大切なのですが、どうも、二年後の就学に向けての心配をするのは「早すぎる」として相談にのってくれないのは・・・、いったいどうしてなのか、さっぱり分かりませんでした。私には、ただその話題を避けようとしているとしか思えませんでした。
でも、この話しを健常児のママさんにすると、中には、「副園長先生の貴重な御意見をもらえて良かったじゃない。早いうちから、普通級は無理という事をママが分かっていく良い機会だったのでは?相談して良かったのよ。」と、他人事ならではの感想を言う人もいたものです。
やはり、幼稚園の園長、副園長たる立場の人が決めること、考えることには、絶対的な正当性と権威に基づいていると、頭から信じて疑わないタイプの保護者さんて多いんです。
「園長先生たちが普通級は無理って言ってるなら、歯向かってる方がオカシイ」って解釈されて、広まってしまうことが一番困るので、そういう、「よく知らないけど障害者って別なところで療育を受けるのが良いんじゃない?先生方もそう指導されてるんだし」という考えを皆さんに持たれないように、ママ同士の井戸端会議のなかで、なるべく我が家の普通級進学希望を伝えて、みんなに分かってもらうようにしていかなければなりませんでした。
なるべく行事のお手伝いやPTAの役を積極的に引き受たり、PTAママさんコーラスにも入って、他のクラスや学年のママさんとも親しくなっていったことで、(そうしないと、プチ子自身が親しくしている子は皆無でしたので)、みんながプチ子も同じ仲間なんだと思ってくれるようになっていったのは、有り難いことでした。
もちろん、中には、積極的にプチ子のことを気に掛けてくれて、味方になってずっと応援してくれるママもいます。でも、よほど親しくしてないと、副園長や先生が言ってる事(=障害者は別なところに行くべき)のほうが正しいんだ、と一般的には思われてしまうのが困りものでした。
こちらは、幼稚園も小学校も、普通級の中で得られる学びを大切にしていきたいと、必死で療育を受けさせて、なんとか皆と同じ小学校に行かせたいと思っていましたが、障害者と健常者は別々の道を歩むのが当たり前と思われるのは何とも遺憾・・・でした。
そんな中、開かれた副園長先生との、面談。もちろん担任の先生も同席されました。
まずは、こちらの意向を尋ねられましたが、以前から普通級希望している意向は変わらないと申し上げると、向こうはおもむろに4〜5枚に渡るレポートを提示してきました。
そこには、「ハサミ→正しく使えていない」「なわとび→一回も飛べない」などと、幼稚園でプチ子が出来ていないことが具体的に延々と書かれていました。
一通り目を通してから説明を受けましたが、要は「これだけ出来ない事があるのに、普通級じゃ無理でしょ」というお話でした。
その時点で我が子がどれくらい出来ていない事があるのか・・・は全て把握していました。なんせ、家で毎日セラピストの先生と一緒に療育に取り組んできているのですから。
でも、改めて幼稚園から書面にされて、ビッシリと「これが出来ていない、あれも出来ていない」と確認されるのは、まったく不愉快な経験でした。
日ごろ保護者会でも、全体への副園長先生の挨拶なんかで、よく「お子さんの出来る事を褒めて伸ばしてあげるのが大切。」とか、もっともらしい事を話されているのに、いまやってる事は何なのか・・・矛盾してる気がしました。
それでも、とにかく現時点で出来ていないことも、また数ヵ月後には出来るようになっているかもしれないし、実際に指定されている特別支援級を見学に行った上での心配事(例えば女子が一人もいない事など)を説明し、いますぐ普通級への進学を諦める事は出来ない事をお伝えし、手ぶらじゃナンだからと持って行った菓子折り(受け取らないかも?とも思いましたが)をお渡しするとアッサリ受け取られ、内心チェッという気分で、帰りました。
ブコ
いまどき、学校には既に他の学年にも何人も発達障害らしきお子さんがいらっしゃるのですが、狸校長先生は、おそらく日々の対応に追われるのも面倒なのと、何かトラブルが起きて御自分の責任が問われるのを恐れる為に、プチ子には来て欲しくなかったのだと思います。
実際に、お兄ちゃんの同級生の中には、二年生までベテランの担任の先生が面倒見よく指導してきて、うまくやっていけてたお友達がいたのですが、三年生で新任の先生が担任になられると、まったく指導できなくなり、特にトラブルは起こしてなかったのに、狸校長が渋るお母さんを説き伏せて、無理やり他校へ転校させたことがありました。これには、クラスの他のお母さん方も憤慨していました。でも、転校してしまってからでは、もう誰にもどうする事もできませんでした。
狸先生の器の小ささは、私への説得の仕方にも現れていて、子供のためになるからと特別支援級の良さを説くのではなく、「我が校の入学式は厳粛に行われないとなりませんから、果たして静かにしていられますか?」という事を言うばかりなので、御自分のために言っているとしか思えませんでした。
とにかく、もうそれ以上、ご自分の学校では受け入れたくなかったのでしょう。
でも、いくら言っても、私が入学希望を曲げないので、あとは就学委員会に持ち込みさえすれば、発達指数からして特別支援級の判定が出ると見込んで、絶対に就学委員会を受けるように要請してきました。そして、その為のデータとなる発達検査を、(数値をごまかせない様に)区の機関で受けるように勧められました。
知能検査は、就学課の担当の方(狸校長とは知り合いです。おそらく来させないように言われていたと思われます)にも以前から受けるように言われていたので、うちではそれに向けての勉強もしておりました。
そもそも、普通級に入れる基準も自治体によって違ったりすると噂では聞いてます。
某区では、IQ70以上なら普通級に行けるけど、うちの区はIQ85以上とか?
依りによって高い基準の区なわけですが、クリアしていくしかありません。
それでも区の就学担当の方は、狸校長よりは私の話にいつも耳を傾けてくれて、ABAをやってる気持ちも理解してもらえていたので、知能検査はなるべく遅くに設定しましょうと、プチ子が成長してクリア出来れば御希望の学校に行けるのだから頑張れと、11月に受けるように約束してくれていました。
今現在、上の子であるお兄ちゃん(健常・ややアスペ傾向あり)が中学受験で我が家は大変なのですが、そうは言っても、あの頃のプチ子の知能検査に比べれば、結果はどうでもいい、って感じです。
お兄ちゃんの中学受験は、何校も併願受験できるし、第一志望に落ちても、高校や大学があるんだから、人生いくらでも挽回できます。
それに引き換え、当時のプチ子の知能検査の結果は、その後の人生を決定する重要な意味を持っていました。
すなわち、私にとっては、プチ子がその後ずっと特別支援コースに行くか、とりあえず小学校は無理に普通級に入れてでも、その後療育を続けて何とか周りに追いつけるように頑張るコースに行くか、大きく分かれる意味をもっていたのです。
というのも、最初に特別支援級に入学してスタートすると、いくら勉強や色んなことが出来る能力が伸びてきても、教科書が元々違い、履修していない事がある限り、なかなか普通級にそこから変わることは出来ないと聞いていたからです。
たしかに特別支援級のほうが手厚い待遇で良い点もいっぱいあると思います。
でも、私はまだプチ子の可能性に賭けたいのです。
療育を続けていく事で、少しでも成長していけるなら、いつか発達がある程度は追いつくんじゃないか・・・?
もちろん全く障害が無くなる、と言うような、そんなに高すぎる望みではなくて、目指すのは、出来ない事多少あるけど、何とか周りの人に理解してもらって可愛がられ、仲間に入れてもらえる存在です。
あの人は障害があるから私達とは別世界、と思われるのではなく。
巷でお馬鹿タレント(実際には芸風なのでしょうが)が大人気なように、多少出来ない事が逆に可愛がられて受け入れられて生きていけたら・・・最高なのですが。
それにしても、まずは、最低限それなりに一般社会に入れるだけのスキルを身につけておかないといけないワケで。
なんとか、一般社会で自力で生きていける力を付けてあげられたら・・・と思っています。
その為には、最初から普通級の勉強を諦めて簡単な事しか習わないのでは、心配なのです。
それぞれのご家庭で色んな考え方があるので、どの道に進むのが良いとは決められ無いと思いますが、私は出来るだけの努力をプチ子に敢えてさせたいのです。
定型発達の子も、みんな勉強に、スポーツに、必死で頑張っています。
障害があるからといって、頑張らせるのは可哀想・・・ありのままの姿を受け止めていこう、というスタンスは私の性に合わないのです。
発達障害だって、効果的な療育を続けていけば症状も改善していけるし、発達指数も伸びる余地があると分かっているからには、今のままの状態を受け入れて、将来を低く見積もる事は出来ないのです。
かくして、普通級への就学の闘いは続きます。
ブコ
でも、狸先生は、先日の検診結果では何とも測れないので、やはり区の機関で知能検査を受けること、それと最終的には就学委員会をうけること、を強く要望されました。前から同じ事言われてるので、分かってるんですが。
おまけに、ここからが戴けないのですが、彼は元々特別支援校で教員生活をスタートさせた経歴の持ち主だそうなので、校長室にはソファーの横の本棚に狸先生個人所有の教育専門書とりわけ療育関係の本がズラリと並んでいます。
その専門性が彼自身の売りのようなのですが、にもかかわらず、私がプチ子にABAをやらせている事も園長先生としては当然ご存知の上で、「ABAといえばOO大学のOO教授を知ってますよ。教え子なんでね。でも、ABAって、高いんでしょう?ちなみにおいくら位?だいたい、何をするんですか?」などと下世話な質問と勉強不足を露呈してくるのです。
挙句に「私が教師になったころは就職難で、普通級を希望しても通らず、しかたないから支援級に着任したんですよ。母親は大学まで出してやって勿体無い、と泣きましてね。」なーんていう話をし始め、いったい誰に向かって話してるのか?耳を疑いたくなりましたが・・・、所詮そういう人なのだと、とても発達障害に理解があるとは望めないと痛感しました。
だったら、その小学校に入れるの止めれば良さそうなものですが、私は単純に上の子と同じ小学校に入れたかったし、障害があるからと言って遠くの学校に行かされるのは納得できなかったし、ならば、狸が異動になれば良いと思って、志望校は変えませんでした。
ブコ
我が家は、なんとしてもプチ子を地元の(あいにく?普通級しかない)小学校へ行かせたかったので、幼稚園に入った時から、校長先生にアッピールしてました。
というのも、うちの地元の区立小学校は、すぐ近くのその幼稚園と提携というか(運動会やお遊び会など交流があります)しており、校長先生がその幼稚園の園長も兼ねているのです。
ですから、幼稚園の時から、校長先生に知ってもらい、理解していただいた上で、お友達みんなと一緒に小学校に上がりたい。そんな思いで、その幼稚園に入れました。一応、区立幼稚園は、軽度の障害児を受け入れる、という方針も示されていましたし。
でも、それも、副園長先生は、「介助員さん付きじゃないと受け入れられない」とおっしゃるので、就園委員会を経て、介助員さんをつけていただいての入園でした。
しかし、入園してすぐに校長先生と話す機会があった時から、この校長(以下、「狸」。←失礼!!あくまでも、愛称としてです・・・)は逃げの一手を決め込むのでした。
我が家には上の子が小学校にいて、そのクラスが色々もめたりした事もあり、狸校長とは、既に馴染みになってましたが、「プチ子を再来年には、どうかよろしくお願いします」と言い終わらないうちから、「そんな、そんな、お母さん!今からそんな先のこと言われても、参っちゃうな〜。だいたい、私がその頃まだ本校に在籍してるか分からないし、勝手な約束して次の校長先生に恨まれても大変ですからね〜」などと言うので、まったく頼りにならないなと感じました。むしろ、恨まれるような事・・・って言い方からして嫌がってるのかと。
でも、私はプチ子をその小学校に通わせるには、最初はやはり介助員の先生などを付けて貰わないと無理だと思っていたので、発達障害を隠して(というか、気付かずに、というパターンが多いと思いますが)入学してしまう方法は、取るつもりがありませんでした。
なので、就学までの間は何かと狸校長に相談と言う名の話し合いをさせていただき、入学希望の説得に努めていきました。
その都度、狸校長が言うには、「教育委員会が決める事ですからね〜。私が決める権限はないので・・・」と。現場の校長には責任ないような事を言ってましたが、我が家は早いうちから区の就学担当の課にも相談をしに行き、そちらでは、「ご希望されている学校の校長先生に依りますからね」と言われていましたので、おそらく教育委員会も、現場の校長が受け入れOKなら認めるのだと思いました。
区の就学担当の方にもその後、何度も相談にいったり、電話で話をさせていただきました。
そうこうするうちに、年長さんの秋、就学検診の通知(これは、発達障害ある無しに関わらず一律に出されるようです)が届きます。
ABAを始めて半年、だいぶ色んなことが出来るようになり、周りの子達に以前よりは追いついてきたとはいえ、元々病院や検診が極端に苦手なプチ子が、普通に集団検診を受けるのは、まだ難しいと思われました。
もちろん、それ以前から家でのセラピーでは、検診に向けての練習(視力検査の答え方、歯科検診で泣かずに口を開けるなど)を取り入れてもらい、毎日やってはいました。
うまく出来るか大変心配しましたが、練習の甲斐あってか、当日は廊下から「いま、頑張って泣かないで出来てたよ。次は目の検査だね、円の空いてるほうを指差すんだよ」などと声かけすることで、プチ子は落ち着いて検査を受けることができました。
ただ、問題は、検診の最後には簡単な知能検査があるということでした。
当日は、名前や歳などを口頭で質問をされるだけでなく、カードかパズルのような?・・・スイマセン、付き添っていたのに全然覚えてないのですが・・・机の上で何か簡単な検査が行われました。
当然プチ子は何度やっても全然できず、狸校長もその部屋では待ち構えるように側に立って見守ってくれていたので、最後は「ちょっと、ちょっと、こっちへ」と呼ばれて、近いうちにまた面談の約束をしたのです。つまり、この日の検診だけでは、入学を許可するわけにいかない、と言う事でした。
ブコ
なんて・・・楽なんでしょう!!塾の送り迎えも、食事も受験も忘れ物管理(親子バトル)も気にしなくていいなんて!
きっと今頃、宿舎で枕でも投げ合ってるでしょう。
プチ子の事だけやってれば良いって、楽ち〜ん!
てなわけで、今日は時間があるので、堅い難しい話を書きます。
前回に続き、就学の話です。
「 普通級の先生方には迷惑だといわれますからね〜。」
つまり、普通級では迷惑だから、特支級へ行け。
本音でちゃったもんね。
そうではなくて、もちろん普通級でも受け入れるんだけれども、個々に応じたきめ細かい指導が受けられる特支級のほうがお勧め、っていうんなら、まだ納得できたんだけどな〜。
一応、教育委員会なんかは、当然こういう言い回しをしてきます。
それだって、表向きなんだろうけど。(でも、そもそも普通級でも受け入れるとは敢えて言わないけど)
本音は、普通級じゃ受け入れたくないんだよね。
後日、教育センターの方に聞いたら、都教委は基本的に適正就学を推進しているそうです。統合教育路線ではなく。
つまり、ボーダーの子は通常級ではなく、特支級へ行く事を勧める。ということ。
特支級へ行くことが本当にメリットであれば、私も何も気にしないけど、
少なくとも、私が見学に行った支援級は、あまり積極的にプチ子を行かせたいと思うような所じゃありませんでした。(あくまで、私が見に行った所です)
だいいち、指定学区の支援級は遠すぎて通学が大変。
なぜか、どの学年も男の子ばかりで、あれじゃお友達との関わりがあまり学べない。
普通級の教室とは違う離れた校舎で、登下校や休み時間はずらして設定してある。
(イジメられない為。だそうだけど、隔離か?・・・と、突っ込みたくなる)
一番気なったのは、教員の先生方が元々普通級の先生で、都教委からの辞令で一定期間ローテーションで異動してきているという点。
特に、発達障害や特別支援教育について研修を受けてる先生が在籍しているとは限らないそうです。
見学の時に、そこにいらした区の担当課長さんに「全員に研修しないんですか?」と聞いたら、「そうなんですよね〜。夏休みに任意で受けてもらうように奨励していますが」とのこと。
それでは、さほど専門的なアプローチは望めなさそうだし、少人数で手厚いかもしれないけど、指導内容に疑問あり?と感じました。(中には良い先生もいるのだろうけど、あくまで私が見た学校の話です)
それにしても、まだ入学もしてなくて、試してもないのに、普通級からは迷惑って決めつけられちゃうのも、いかがなものでしょう。
うちの子が、そんなに普通の子より迷惑になるかしら?幼稚園でも、ひたすらオトナシイのに。
実際に入ってから、授業の妨げになったりしたんなら、そう言われても仕方がないけど、まだ入学もしてないのに、堂々と迷惑とか言われちゃう衝撃。
特別支援教育法でも、「通常級における特別支援の在り方」なんて項目があって、ちゃんと受け入れる方針が国から示されてるのに。
なんだ、このおそまつな現状は。
お兄ちゃんと一緒に、朝はこの辺の子たち皆で一緒に登校して、地域の地元のお友達を沢山つくって、将来ママやパパが居なくなっても、周りが小さい時から知っている人だらけ、という環境を敢えてつくっておきたい。
定型の子たちにとっても、プチ子のような子との関わり方を小さい内から知っててほしい。
弱者を助ける事で身に着く力が必ずあるはずです。
マイノリティーを切り捨てない事が集団にとっても結局プラスになる事だってあるのに〜。
プチ子は、もし、ずっと支援級で育っていったら、卒業したらどうなるのかな〜?
特別支援社会にでも就職できて、特別支援結婚でもできるんなら安心だけど・・・
いつかは一般社会に出ていくなら、今から慣れさせとくのもいい勉強じゃないかな?
いろいろな角度から考えて、やはり近くの普通級に行かせる事を決めました。
何と言っても、ここで、小学校入学で、支援級からスタートしたら・・・
発達が著しいから支援級から普通級へ編入しましょう、なんてことは過去に一回もない、と聞いたのが決め手となりました。
もし、普通級でついて行けなくなったら、その時は普通級から支援級へ移ることはできるそうです。
でも、逆のパターンは、過去にはないと。支援級から普通級には入れないというのが、何だか、人生の岐路に今立たされてると感じました。
前から書いていますが・・・、(とにかく私が根っからの脳天気だからかもしれないけど)私の中では「プチ子はいつか成長を遂げて、定型の子に追いつく」という確信があり、果ては、「追い越しちゃうかもよ〜?」という程の気持ちでいるので・・・。
一生治らないから、最初から一般とは違うコースへどうぞ。といわれても受け入れられないのです。
発達クリニックの先生も、療育センターの先生も、すぐ「発達障害は絶対に治らないんですよ」と言ってくるけど、なぜ、親に向かってそんな事が平気で言えるのか?いつも耳を疑いたくなります。
なぜ、親が「どうせ我が子は絶対に治らない」と思わなきゃいけないのでしょう。
あんたたちにはそう思えなくても、うちの子は絶対に私が治して見せる!
医者もいまどき癌の人に向かってだって、わざわざ「絶対に治らなくて最後は死にますよ」なんて言い方してないと思うのに、「最後まで諦めずに闘いましょう」とか言うと思うのに、なんで日本の医療機関・療育機関は「発達障害は、まず絶対治らない」という説明を一生懸命してくるのか理解できません。
そんな事ない。昔は歯並び悪いのだって、まさか針金で矯正して治るなんて信じられなかったろうけど、今じゃ当たり前になってる。
オリンピック選手の身体能力だって、普通じゃ信じられないレベルだけど、努力の賜物で勝ち取ってる。
知能(発達)の遅れだって、何か頑張れば、必ず上げていく事ができる。そういう希望が、どうしても捨てられないのです。どうして、説得されて希望を捨てなきゃならないのでしょう。
それからの私は、何とかして普通級進学が許可されるように、プチ子の状態を上げていく事が最重要課題となりました。
いつも長々と書いた文章を読んで下さり、ありがとうございます。
応援していただき、とても励みになります。
ブコ
お兄ちゃんは、朝はやくから友達とディズニーランドへ。(まだ帰ってきてません)
でも、プチ子はいつもどおり、午後はおうちでABAのセラピーがあるので、行きませんでした。
可哀そうだけど、実はディズニーランドが大の苦手だからいいんです。
いままでランドに二回、シーに一回、プチ子を連れて行きましたが、何が嫌って、とにかく着ぐるみ程この世で苦手な物はないのです。
ゲート入場する手前から、遠くにチラッとミッキーの後姿が見えただけで、恐がって泣き叫び、毎回30分くらいは入れないんです。
もちろん入場してからも、何処かにミッキーやプーさんが居やしないかビクビクしながら過ごし、いち早く見つけてはママに抱っこでしがみついて逃げる為に(ふつう逆の目的でしょうけど)、目を凝らして探すのに必死です。
イッツ・ア・スモール・ワールドすら、お人形にビクビクしてたからね〜(^^;)毎回あまり楽しめてないんです。
高速道路で浦安近辺を通るだけでも、「ディズニー行くの?おにんぎょ、いるの?」とビクビクする位だからもう連れて行きません。
こんなにデイズニーランドを嫌がる子供がいるなんて、ウォルト・デイズニーも想定外でしょう・・・
かくして、プチ子は今日もセラピストの先生とお勉強です。
上手に奮起させてくれて、好きな強化子で定着を図りながらのお勉強なので、基本、先生が来るのは楽しみになってます。
さて、我が家がABAのセラピーを受けるようになった最大のキッカケは、就学が絡んできたからでした。
プチ子は現在、普通級に通っていますが、就学に当たっては色々と乗り越えなければならない壁がありました。それについては、いつか書こう書こうと思っていたのですが・・・
最近、自分がブログを始めてから、ようやく他の人のブログというものを読むようになり、私のお気に入りのブログ「なっちゃんのおうちへようこそ」を書いていらっしゃる小春さんとコメントのやりとりをさせて頂いています(リンクご参照ください)。幼稚園に通うお子さんの話がとても可愛いのです。
まだ幼稚園児を抱えている方にとっては、あくまで私個人の場合ですが、就学で苦労した経験談をお伝えすることが何かしらお役に立つかもしれないと思い、今日から集中して書いていくつもりです。
娘がまだ年中さんの春、ず〜っとノンビリと隔週の療育を受けながら、定型の子たちに囲まれて幼稚園に通っていれば、そのうち皆に追いつくのかと思っていた私は、ある日突然、発達センターの先生から「特別支援学級の見学会」というお手紙を「今月のお便りです」と言って手渡され、不思議に思いました。
毎月お便りなんか一回も貰ってないのに、何が今月のお便りなわけ?
そんな変な言い方で渡すなんて、何か言いずらい事でも言わずに伝えたいわけ?
と、訝しげに思いながらも、一応、うちから近い支援級併設校を二つ見学に行きました。
それと平行して、教育委員会が用意してくれた「特別支援教育を受けている先輩ママのお話を聞く会」にも案内されるままに行ってきました。
その時点では、何が良いのかもよく分からず、ただ支援学級と学校の違いや、それぞれの支援級での指導に違いがある事がわかった程度でした。
ただ、私はプチ子が発達障害だと分かってからも、なんとか卒園までには追いついて普通級に行けるものだと漠然と思っていたので、見学会等に行った後で、その案内をくれた発達センターの担当の先生に「プチ子は普通級には厳しいということですか?」と聞いてみて、ようやくその先生から「おそらく。そうだと思います。」といわれた言葉にとても驚きました。
加えて、「たとえ無理して普通級に行ったとしても、先生方からは受け入れ体制がないから迷惑だという声を聞いてますからね〜」と聞かされました。
この日が、プチ子を産んでから一番ショックを受けた日でした。
障害があっても、別にいいじゃないかと。
のんびり、その子のペースで成長していけば、いつか必ず花開く日が来る。
予後は不良とかいわれても、親も先生も一緒に協力して療育をしていけば、絶対成長していける!
とか思っていたのに、「迷惑だ」という、社会的に差別される現実に初めてぶち当たったのです。
親が行かせたいと思って入学させても、先生方は「一緒に育てていきましょう!」と助けてくれるのではなく、迷惑がるのか・・・という現実と、発達センターの担当先生までもが、親の気持ちの側ではなく、(おそらく知り合いが沢山いるのでしょう)学校の先生の肩を持つ発言を平気でしてくる現実・・・
その背後には、「だって障害があるんだもの、一般社会には入れなくて当然でしょう?」というような一般常識がまかり通っているのだと実感して、ゾッとしました。
じゃあ、一般社会って、なんですか?障害や異質なものを締め出して、画一化された人だけで構成される社会ですか?・・・それこそ逆に不自然で不健全な社会じゃないんですか???
とか・・・色々と悔しい思いが巡って、この夜私はプチ子の障害が分かってから初めて泣きました。
また、あんまり長いんで、続きは次回・・・
ブコ
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