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就学時の発達検査でDQは前より30上昇
さて、園庭でのシャドーが始まった頃は、同時に就学相談でも忙しい時期でした。

区の就学担当の方との話し合いでは、普通級を希望するなら区の発達センターで知能検査を受けた上で、IQ85は欲しいところだと言われました。

ABAの個別療育を始めて8ヶ月経っていた頃でした。
ABAを始める前に受けた検査ではプチ子はその必要数値をDQで20〜30も下回っていたので、普通級なんて到底無理な選択に思えましたが、いまや8ヶ月の療育のお陰で、言語能力が格段にあがっていたので、これは行けると、私には確信のようなものがありました。

この頃になると、プチ子もだいぶ成長し、毎日三時間のセラピーを嫌がることなく、進んで取り組めるようになっていました。
言語模倣での「かきくけこ」「らりるれろ」はすべて完璧に発音できるようになっていました。
(「さ」行は相変わらず苦戦してましたが・・・)
二音、三音の練習も始まりました。「くろ」「あか」「ねこ」「ピンク」「きつね」「みかん」など、どれもプチ子には難しいようでしたが、投げ出さずに頑張っていました。
なかでも「バナナ」は「ナナナ」としか言えず、とても苦労していましたが、初期のころと違って、根気強くなり、前向きに何度でも繰り返し頑張るようになっていました。
それまでの、赤ちゃんみたいな言い方で「スイカ」を「ちゅいちゃ」、「ご飯」を「ごわん」なんて言ってるのも可愛かったんですが・・・ママ以外の人に通じなきゃ困るモンね・・・(^^;)
10ヶ月以降になると、4音以上、「おとこのこ」「おんなのこ」「すべりだい」「ありがとう」などが導入されていきました。

これに平行して言語拡張の練習も進みました。
さらに分類、属性、ポジション、などのスキル訓練も続きました。

それから時制・・・プチ子は時間の概念が全く分かってなく、「昨日」「今日」「あした」とか、「後で」「さっき」といったことを区別出来ていなかったので、カレンダーが導入されました。
「O月O日」から覚え始めて、二週間後にはカレンダー上の「明日」「昨日」は指差せるようになりました。曜日も覚えました。曜日は「火曜日には、ピアノをするんだよ。」という風に、プチ子の生活に結び付けられたので比較的スムースに入りました。

それから、絵本を見ての状況説明。お話しの順番。数の概念と順番。などを毎日くりかえし勉強しました。

多少難しい事でも、セラピー中に泣き出すような事は滅多になくなり、プチ子の学習姿勢、忍耐力、集中力も格段に上がっていました。根気強く丁寧に指導してくれた先生の努力の賜物です。また、プチ子自身も、ほんとうに良く頑張ったと思います。


そして、いよいよ就学のための発達検査を受ける日が来ました。自分で選んだクリニックなどでなく、区の発達センターで受けさせられるのは、数値を誤魔化せないためです。
この日の点数に寄って、プチ子の就学先が決まるのですから、はっきり言ってこれは小学校受験も同様でした。

プチ子は頑張りました。長時間のテストにもメゲず、きちんと座って一つ一つの問題に取り組む姿に、昔から知っている発達センターの先生も驚かれていました。

その結果・・・、ついに普通級に必要とされる数値を取ることが出来たのです!
発達センターの先生も、特別に急いで採点してくれ、電話してきてくれました。
夕方、教育委員会の担当の方からも電話があり、結果をお伝えすると、驚きながらも「良かったですね!それなら普通級でも大丈夫ですよ」と、プチ子の成長を喜んでくださいました。

ただし、そんな時でも、狸校長はさすがでした。
教育委員会の方に勧められて、すぐに校長先生にも結果をお伝えする電話をかけたところ、
「え〜?本当ですか?怪しいな〜。なにか検査に向けての特別な対策でもしたのと違いますか?」と言われるので、「教育委員会の方も、もう普通級でOKだと言ってくださいました」と申し上げると、
「ふ〜ん。まったくもう、OOさんも人が良いから。私なら、絶対疑いますけどね。」ですって。
もう、ナンとでも言ってください。でした。
こちらは、約束どおりに発達センターで所定の数値を叩き出したのです。

もうこれで、プチ子の普通級入学を断る理由はなくなったのです。
あとは、いかに渋々受け入れさせるか、だけでした。


成長の可能性を諦めずに、ABAを続ける事で、絶対に知能も上がると信じてきて良かったです。
欧米で科学的な裏づけもされているのだから、プチ子も!と望みを持っていましたが、期待していたとおりでした。
プチ子のようなカナータイプの自閉症児は、療育で発達指数が上がるなんて、まず言われないのが日本の普通の医療現場です。
知的な遅れのある子には、療育自体も知能を上げる目的でされることなく、出来る範囲でのスキルトレーニングや、現状を受容することばかりを親にカウンセリングされます。

でも、DQは上がります。
幼児期に的確な指導を受けることが出来れば、DQを上げる事は不可能ではないのです。
いまの日本では、そのことが一般的に知られていなくて、適切な療育を受けずに大きくなっていく子が大半なのが、本当にもったいないです。


ブコ

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| こころくらぶ | 21:30 | comments(4) | trackbacks(0) |
園庭でのシャドー

二年前のちょうど今頃、 あくまでも放課後の園庭開放時でしたが、晴れてシャドーの介入が始まりました。

初日は、療育先からセラピストの先生二人が幼稚園に来てくれました。

それまでは、いつも園庭開放といえば、ママと二人でお砂場で遊ぶか、ママが他のママたちとお喋りしてたらずっと側にくっついて大人としか関われなかったプチ子は、この日はじめて、セラピスト先生の誘導で、みんなの大縄跳びに入ることができたのです!
一人のセラピスト先生が大縄を回し、みんなに声をかけてくれて、プチ子は最初はもう一人のセラピスト先生と一緒に大縄で「へび」を跳んだのですが、お友達みんなが先生と一緒になって「やった!プチちゃん跳べたね!」とか言ってくれたので、自信がついちゃって最後は一人で跳べたのです!!!
この日は、そのあと「鬼ごっこ」などもセラピスト先生と一緒に走ることで、みんなの中に入って走れていました。いつもは物怖じして鬼ごっこする集団の中になんか入ることは出来てませんでした。
みんなの中に入って大縄跳びを跳んだり、鬼ごっこしたりするプチ子・・・そんな姿を見るのは初めてでしたので、シャドーが始まって本当に良かったと思いました。

その日以来、園庭開放時には、プチ子はシャドーの先生のお陰で、滑り台に登ってお友達とジャンケンをして滑ったり、お砂場でもお友達と一緒に型を抜いてお店屋さんごっこをしたり、「だるまさんが転んだ」なんて高度なルールの遊びに加わったり・・・、いろんな遊びでお友達と一緒に出来るようになったのです。

このために、こうしてお友達と遊ぶ事が出来るようになる為に、9ヶ月間の毎日3時間のABAレッスンがあったのです。
きちんと相手に向かって正しい発音で「いれて」が言えるようになって、お友達と一緒にお砂場や追いかけっこや滑り台で遊ぶ事がができるなんて!
いくら私が園庭や公園で、みんなと遊ばせようとしても全然うまくいかなかっただけに、目の前で繰り広げられてる光景は、まるで夢のようでした。
・・・もちろん、まだシャドーの先生が付いて、小さい声でプロンプトが入れられたりした上で、操り人形のように話す状態でのお友達遊びです。
時期もすでに年長さんの二学期の終わり頃になっていましたが、それでも、幼稚園のクラスのみんなと一緒に遊べるなんて、いつ見ても介助の先生と二人で遊んでいる姿しか見たことなかった母にとっては、この上ないクリスマス・プレゼントに思えました。


ブコ
               
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| こころくらぶ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
トラブルつづき
 幼稚園と就学を巡ってモメてる頃、ちょうどABA療育を始めて半年経っていた時期でしたが、・・・もうそろそろ家で練習してきた成果を実際の社会(=つまり当時でいえば「幼稚園」)で、般化(あらゆる場面で実践していくこと)することが大事になってくる時期でもあった為、ABAでは重要なプログラムである「シャドー」を付ける事を療育先から勧められました。

「シャドー」とは・・・、文字通り、セラピストの先生が黒子のように子供に付き添って幼稚園や学校に同行し、子供の様子を観察しながら、その場に応じて適切な指導をしていくことです。
発達障害の子は、いつものセラピーの環境である家での机の上でなら習った事を出来るようになっても、いざ、外に出てお友達に向かって出来るかとなると、また別な意味での練習を必要とするからです。

ちょっと余談ですが、実はこの頃、幼稚園だけでなく、最初にABAを指導してもらっていたエージェントとも、トラブルが絶えませんでした。そこが外資系だったため、(アメリカでは、医療・心理関係は費用がかかるのが当たり前というのが常識でしょうから)、療育といえども利益を追い求めるようで、常に金銭的なことで、契約の結び方について揉めていました。
しかし、当時日本でABAの療育が受けられる、ほぼ独占企業状態でしたので、法外な請求をされる度に(ときには英語で)交渉する羽目になり、いつも面倒な事になっていました。

日ごろ就学の事で幼稚園とも(内心)対立し、毎日の療育自体も根気が要って疲れるうえ、金銭的なトラブルまで抱えて、(お兄ちゃんは野球や塾で手がかかるし)、もう限界・・・というところで、半年たった頃、ちょうど良いタイミングで、日本にも新しくABAの個人指導をしてくれる療育機関が出来ると仲間のママ友から教えてもらい、訪ねてみると信頼できる先生ばかりでしたので、すぐに今の療育先に移りました。
いまの療育先は、本当に親身になって発達障害の子供と家族を助けようとしてくれる所で、とても良心的なプログラムを用意してくれます。ときには、前の所ならお金を要求されるような場面でも無償で、申し訳ないほどです・・・。

話し戻りますが、せっかく今まで家でのセラピーで能力を伸ばしてきたのだから、それが実社会で使えないと意味がないので、「シャドー」プログラムをやってみる事には私も大賛成でした。
いよいよ、プチ子が幼稚園でもみんなと同じように出来るための訓練が始まるのです。
療育先も安心して任せられる所に代わり、新しいプログラムにステップアップしていく事が決まり、私はワクワクしながら、さっそく幼稚園に「シャドー」を入れさせて欲しい旨をお願いに行きました。

しかし、結果は意外にもというか、当然ながらというか、答えは「NO」でした。
公立の幼児教育の指針に則った幼稚園に、民間の外部からの教育指導を入れることを認めはしない。というのが理由です。

でも・・・、障害のある子に療育の為に付き添いのセラピストを付けたいだけであって、なにも他の子達をも巻き込んで特定の幼児教育を広めようとしているわけではないのですが・・・。前例がないからか、そういった融通は全く利かないようでした。

毎日の送り迎えが「お歩き」の幼稚園でしたので、顔を合わせる度に副園長先生にお願いしました。
しかし、その件はもっと上のほう(役所)で扱うということになり、話がドンドンややこしくなっていきました。
もちろん狸園長にも散々お願いをしましたが、終いには「そんな事をして、どなたか御父兄から文句でも言われたら大変です。あの子だけ、家庭教師をつけるなら、うちもお受験の為の家庭教師をつけて登園したい、という話になります」とか言われたり、また、「マスコミに、区の教育委員会が叩かれたらどうします?例の和田中が「夜スペ」を始めた時みたいに。公立校が民間の教育を取り入れるなんていう問題に発展したら困ります。」とも言われました。
・・・当時の、杉並区立和田中学校の藤原校長が民間の進学塾と提携して夜間授業を始めたニュースだって賛否両論あれども、決して否定的な意見の報道ばかりでなかったハズですし。
どう考えても、それと「シャドー」とは違う問題で。他所で出来る事を、敢えて学校に持ち込もうとしているのではなく、自閉症児にとって、幼稚園の場での対人関係を訓練する必要があって、やらせて欲しいと言っているのですが、・・・幼稚園は、新しい事をして問題が起きないか、お役所とか教育要綱とか大義名分ばかりを気にして、全然プチ子の発達の事は、気に掛けていないようでした。

狸相手ではなく、もっと上のほうに対して、自閉症の子が、幼児期の今、どうしても通らなければ成長できない過程の療育をする必要があることを伝えて、交渉していかなければなりませんでした。



ブコ
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| こころくらぶ | 13:05 | comments(4) | trackbacks(0) |
ABA 専門家による指導開始〜半年後
さて、最近ちょっと日常の記事が続きましたが、また就学の頃の事を書いていきたいと思います。

二年前の今頃、五歳半の頃を振り返ると、最近口が達者になったプチ子からは想像できないくらい幼稚でしたが、それでも、ABAの個人指導を受け始めてからは、それ以前と比べて、
出来る事がだいぶ増えていました。

毎日のABAレッスンのお陰で、言葉をかなり覚えて、自分が伝えたい事があるときには、それまでのようにギャーギャー泣いたり癇癪をおこす代わりに、「やって」「できない」などと言葉を話して相手に伝えるようになってきました。

「おなか、すいた」「ママ、みて」などの二語文も言えるようになりました。

ただ、まだ状況によっては、言葉で伝える以前の問題を練習する必要がありました。
つまり、たとえば通常、お友達に「入れて」と言う為には、相手の注意を惹いて言わなければならないのに、プチ子は、ずっと向こうにいて気がついてない友達に向かって、小さい声でやっとこさ「入れて」と言ってる状態なのです。
・・・それでは通じないので、まずは言葉以外の適切な状況を自ら作っていく練習です。
それには普段から家で「遊んで」と書かれたカードを使って、パパやママに持って行って見せるトレーニングをしました。
プチ子がパパやママに遊んで欲しい時には、「遊んで」カードを相手の所に持っていって注意を自分に向けてから渡す事をしなければ、遊んでもらえないルールにするのです。きちんとカードを渡す事ができたら、どんなときでも相手は必ず応じてくれる。
これを、何度も練習し、成功体験を積む事を繰り返して、いつかカードから言葉に代えていく、という練習をしました。(これには料理中でも、どんな時でも応えて遊んで上げなければならない為、大変でした・・・笑)

発音はまだまだ不明瞭でしたが、確実に言える音が少しずつ増えていきました。

色、形、数、ひらがな読み、なども頑張って言えるものが増えていきました。

ただし当初は、色なども「あお」だけをすんなり言う事が出来なくて、一々「お空の青」という風に「お空の」と言うヒントを付けてないと言えなかったので、「お空の」を言わずに「あお」がスンナリ言えるようになるのに数ヶ月かかりました。

同様に、ひらがなも「あ」とだけ読む事が難しく、「ありのあ」と言ってしまいます。
五十音ボードおもちゃも、お風呂に貼ってある「あいうえお表」も、一文字ずつ読むことが出来ず、ぜんぶ「いぬのい」「うさぎのう」と読んでしまうのです。なので、絵本の文を読む事はまだまだ出来ませんでした。
それでも、先生の根気強い指導のもと、プロンプト(お手本を示す)を入れながら成功体験を重ねるうち、半年後には「あお」だけ言えたり、「あ」「い」「う」など五十音も一つずつ読めるようになっていきました。

自分の事を聞かれても、「何幼稚園」か、「何組」か、「先生の名前は?」「家族は何人」かなどには答えられるようになりました。

指示の意味も教わり、「OO捨ててきて」「ひろって」「「ドアしめて」「電気つけて」などは理解できるようになり、機嫌がいいときは、ママに言われても出来るようになっていきました。(それまでは、ママの言う事を全く聞けませんでした)

勝ち負けの概念も教わりました。
(ジャンケンにしても、まだ意味が分からず、勝っても負けても何のことやら?という反応でしたので)
まずは、ノートにシール貼り競争です。シールを貼ること自体が好きなので、速く沢山晴れたほうが勝ち!はプチ子が喜ぶ練習でした。
次は、先生と駆けっこして、先生がわざと遅く走り、プチ子が勝ったら「すご〜い!!プチ子ちゃん、一番!!勝ったよ!!」とおだてて喜ばせ、プチ子に正しい反応として「やった〜!」などを言う事を教え、その上で「先生は負けちゃったよ・・・悲しい。残念だな・・・え〜ん、え〜ん」と悔しがってみせる。という所から教わりました。
そのうちに段々と先生が勝ってみせて、プチ子が残念がる練習をしたりして、徐々に勝つ・負けるという事の意味が分かるようになりました。
それから、やっとジャンケンを学びました。勝ったらお茶を飲めるようにしました。
ジャンケンは最初は手が何を意味しているか理解するのも一苦労なので、実物からスタートしました。石、紙、子供用ハサミ、を二組用意して。これで、勝った!負けた!を繰り返し、分かってきたら、先生はハサミのときだけ手でやる。次の段階では、ハサミと石は手で。・・・と、徐々に手でやるようにしていき、最後はプチ子も手で全部出せるようになりました。(これには半年かかりました。でも、習わなかったら、一生できなかったかも。)

さらに、適切な会話が出来るように、半年経った頃からは会話の練習も始まりました。
例えば、「先生、赤い色が好きよ」といわれたら、「プチ子はピンクが好き」と言う練習です。
プチ子は自閉症の子によくみられるエコラリア(鸚鵡返し)が得意でしたので、これを練習しないと的確な返事が出来ないのでした。

それから、開始四ヶ月目の一学期の終わり・夏休み頃には、家で1:1のお友達遊びの練習も始めました。
もちろん自分で遊ぶ約束なんかしては来れないので、親が頼んで幼稚園の友達に協力してもらい、週に一回ほど交代で誰かに我が家に遊びに来てもらって、先生と一緒にオモチャや折り紙、粘土、ボール、駆けっこ、などして遊びます。
その時の、プチ子の言うべき言葉、適切な声の大きさ、とるべき態度、ゲームのルール理解、などを練習しました。
もちろん、来てくれた子が「つまんない」と困るので、極力相手の子が楽しめるように、先生はプログラムを組み立てます。そして、プチ子もお友達との関わり方を楽しく学ぶのでした。
何度か私も、先生のいない時にお友達を呼んで、「お友達遊びトレーニング」をやってみましたが、相手の子に楽しんでもらいつつ、プチ子の教育をするのは、結構難しかったです。
私だと、どうしても手のかかるプチ子を置いて相手の子と関わってしまい、プチ子が全く除け者になりがち・・プチ子の般化を促しながら二人相手に上手く遊べていた先生はスゴかったなーと思います。


ブコ
| こころくらぶ | 21:25 | comments(2) | trackbacks(0) |
ABA 開始から三ヶ月
 すでに幼稚園の年長さんの春、三月生まれのプチ子が五歳になってからのABA指導でしたが、それは着実に成果を出していきました。

開始して一ヶ月経ち少し慣れてきた頃から、ようやく「わからない」「できない」「もう一回いって」などを言葉で表現する事を教わりました。
それまでは、分からなくて困った状況になる度に泣いたり、怒ったりすることでしか相手に伝える事ができなかったプチ子は、最初一週間ほどは、それらをすぐに口に出して言う事はなかなか難しかったのですが、プロンプト(お手本を示す事)を入れていって、ただのマネで一回でも言えたら、すかさず褒めて自信をつけさせていく事で、だんだんプロンプトなしでも自ら言える様にひと月ほどでなりました。

音声の模倣は、「き、ゆ、ら、を」は確実にキレイに発音できるようになりました。
(「か、く、け、こ、さ行、ひ、ふ」はまだ時間を要してましたが、それも半年後にはかなり上達します)

言葉の受容(理解しているか)は、「フライパン」「くつした」「長ぐつ」「ピアノ」「カスタネット」「タンバリン」「かさ」「ひつじ」「キャベツ」など少し高度な(みかん、うさぎ等より)単語も覚えていきました。
表出(言えること)は、単語によりバラつきもありますが、一〜ニ週間遅れくらいで、出来るようになりました。

動作は「ハサミで切る」「「手を洗う」「料理する」「窓を開ける」「階段のぼる」は受容、表出ともにわりと早く出来ていました。
表出に多少時間がかかったものとしては「本よんでる」「のんでる」「かささしてる」「手をつないでいる」ぐらいでしょうか。

色は、「ピンク」は好きな色だけにダントツに早く覚え、表出も完璧に出来ました。
次が「みどり」。三ヶ月で間違いなく言えるように。
「きいろ」は間違いなく言えるようになるのに四ヶ月かかりました。
「あお」と「あか」は、完璧に言えるまで半年かかりました。
でも、プチ子にとって、それだけ難しい事だったのでしょうから、ABA指導なくしては、いつ理解するようになっていたか・・・想像つきません。
色、受容のほうは、教えるとすぐに「オレンジ」「きみどり」「むらさき」「水色」「黒」「白」なども理解していました。

五歳にもなってると、「分かってたら言えるだろう!」と私からするとイライラもしましたが、なかなか簡単には言葉は出てこないんですね・・・。
まぁ〜、考えてみたら、大人でも英語なんかは聞けば何となく意味分かるけど、喋るとなると「あ〜、なんて言うんだっけ?」ってなるのと同じ感じなんでしょうかね〜。
なにごとも、受容が先で、表出が後なんだな〜。
先生は毎日根気よく丁寧に教えてくれました。感謝!

エージェントによるABA集中介入は、毎日の自宅での個人指導に加え、月に一回必ず本部で家族を交えてのミーティングを行います。
この頃、プチ子の問題行動で日ごろ一番困っていた事は、とにかく母親(または介助の先生など、自分専属のお世話係)が居ないと大泣きしてしまうことでした。
それも、しばらくすれば泣き止むというものではなく、要求が通る(ママが側に来る)まで激しく泣き続けるのです。
一度、私の友達に「大丈夫。見ているから任せて」と言ってもらって預けた時も、その人が別なことに気を取られると、とたんに大泣きしたそうで、普通の感覚で少し様子を見てたら泣き止むかと思ったら、エッライ長い間泣き続けてビックリした、というエピソードがあります。(ご迷惑おかけしました〜)

そういうわけで、開始二ヶ月目からは、グループ(先生+プチ子+私)で動作模倣や指示出しを行うプログラムと、その後でセパレーション(母親や先生と分離する)プログラムが始まりました。

セパレーション・プログラム初日は、ママも一緒に「お猿さんのマネ」などをして遊んだ後、ママだけが場所を離れようとすると、スカートを引っ張り泣きました。
これはセパレーション失敗なので、もう一度グループ遊びをしてからセパレーションを行います。
この日は、二回目以降は状況が読めたのか、落ち着いていられました。
翌日は、居なくなること二回とも泣いてしまいます。グループとセパレーションは毎日三回以上やることになりました。翌々日は一回だけ泣き、その翌日はまた二回泣きました。
「先生トイレいってくるね」「ママ、洗濯物入れてくるね」など、様々な状況での、より自然な設定をして回数を増やしていきました。
・・・というふうに、グループ&セパレーションのプログラムはしばらく続きます。
でも、そのうち、泣いたとしても泣き止むのが非常に早くなり、五秒位で泣き止んで一人で遊ぶ努力をし始めました。だんだんとママが部屋からいなくなる時間も15分以上〜と増やしていきました。
そうこうするうちに、だいたい一ヶ月ほどで、セパレーションでは泣かなくなりました。
(ただし、このプログラムは、半年以上続きます。)
グループ遊びは、ママの指示をきけるようになる事も目的に入っている(例えばママが「真似して」と言って万歳をし、プチ子と先生が真似する=ママの指示をきける)のですが、一ヶ月経った頃くらいからは、ママもセラピーに加わって遊ぶ事自体が、プチ子の強化子(ご褒美=次回の動機のなる)となったので、楽しく続ける事が出来ました。

この他に二ヶ月目から始めたプログラムには、
●ひらがなの受容(カード等で理解する)→「あ」行だけで一週間かかった
●ひらがな「あ、い、う、え、お」の表出(声に出して読める)→約一ヶ月
●数の読み方「1,2,3,4,5」(概念の理解はまだです)
●属性(多い、少ない、長い、短い、など)
●機能(ハサミ=切る、など)
●分類(動物、食べ物、のりもの、など)
●ポジション(前後左右)


専門的(私は素人なので所々間違って理解してるかもしれませんが)、かつ細かい話ばかりでスイマセン。
ただ、昔のプチ子のようなお子さんを抱えて困っている方が、これを読まれる事で少しでも参考になって頂けると幸いです。

まだまだ次回につづきます。



ブコ
| こころくらぶ | 01:17 | comments(4) | trackbacks(0) |
ABA 最初の一ヶ月
 初日は楽しく、ゆる〜く、まずは先生に慣れることから始まりました。

それでも翌日には、もう成果が出て、初めて「は」の発音を正しく言う事ができました。
ハァーと息を吐くことから繋げて。成功すると、すぐに好きな遊びができるので、プチ子も自然とやる気になってます。
「は」の発音ひとつでも、他の療育ではなかなか成功しなかったので、驚きと共に嬉しい手応えを感じました。

そして、この日からは本格的に、言葉を使ってコミュニケーションする練習が始まりました。
プチ子は要求があっても、発語で表さず、「んー!んー!」と言ってママに察知させる事しかしなかったので、言葉を話さないと応えてもらえない状況をつくり、頑張らせるのです。

たとえば、先生がすごく魅力的なオモチャで遊び始め、プチ子も使ってみたくても、「かして」がいえるまでは使わせてもらえない、というように。(この練習の場合は、発音の悪さは免除されます)

最初のひと月で、「かして」「ちょうだい」「開けて」「やって」「見て」「やめて」「やりたい」などを自発的に言えるように練習しました。(よく、それまで、こんな簡単な言葉すら使わずに暮らしてたなと思いますが・・・)

言語模倣は、一ヶ月で「き、は、へ、ゆ、ら、を、、ふ」がかなり綺麗に言えるようになりました。

ものの名前の受容(言うのでなく理解してるか)は、動物、家にあるもの(えんぴつ、おさら、じてんしゃ等)を20くらい覚え、
動詞は「手をあげる」「いすにすわる」「本をよむ」など10くらいを覚えました。

色は、ST(言語聴覚士)さんの所で一年間すごく丁寧に一生懸命ご指導頂いたのですが、何回やっても結局最後まで覚えられなかったのが、一ヶ月で「黄色」と「ピンク」は覚える事が出来ました。(注:ST批判ではありません。プチ子には、ABAの手法が合っていたのでしょう)
「あお」と「あか」は、どちらも「あ」から始まるせいか、なかなか難しくて混乱してしまいましたが、二ヶ月かけて間違えなくなりました。
「みどり」は、二ヶ月目になってから教え始め、すぐに覚えました。

「ママ」「パパ」「にいにい(お兄ちゃん)」は、教えはじめてすぐに◎。
それまでは、私に向かって「パパ」と言ったり、「ママ」はご飯の意味ではもちろんですが、父親に向かっても言ってました。
私も、プチ子が小さいときから正しく教えたり、直そうとしてきましたが、せっかくプチ子が機嫌よくコミュニケーションをとろうと発語してる時に正しい言い方を教えると、ものすご〜くキレまくるので、難しかったのです。キレて泣いてるときは、何を言っても聞いてません。
間違いを指摘される事に非常に弱いので、失敗した時に指摘するのでなく、セラピーで先に机上で理解させてから、実際に使ってみて成功させ、気分よく覚えていくのが合っていたのです。

次の週には、「おじいちゃん」「おばあちゃん」、幼稚園の介助の先生の名前とセラピストの先生の名前を、その翌週には幼稚園のお友達の名前を(クラス写真を見せて)覚えました。

ものの名前、表出(言う)のほうは、一ヶ月で「いぬ」「いちご」「みかん」「りんご」「たいこ」「くま」「バス」「ぶた」「ねこ」「うさぎ」「にんじん」等20くらいが理解していて言えるようになりました。
場所も「トイレ」「玄関」「おうち」は言えるようになりました。
 
動詞は、自分の写真を見て「自転車のってる」「ブランコのってる」「かけっこしてる」「お弁当たべてる」が一ヶ月で言える様になりました。

名前と歳も、聞かれたら確実に言えるようになりました。

これらの練習の合間のご褒美には、粘土遊び、シャボン玉、歌、おゆうぎ、おいかけっこ、絵の具でお絵かき、時には公園へお散歩、かくれんぼ(ルールを理解できてないので、その練習も兼ねます。)、公園で補助付自転車に乗る(ペダルを漕ぐ事は出来ないので、その練習にもなります)、などが入って、遊びながら勉強にもなりました。

が、日が経つにつれ、当然ながら徐々に課題はプチ子が簡単にできる事ばかりではなくなっていきます。

プチ子がもっとも苦手とする間違いを指摘される事、やり直しをさせられること、ママが側に寄ると抱きついたり、「みてみて」と言ったりすることを禁止される事、など少しずつハードルが上がっていくのでした。

     つづきはまた

最近、昔の話ばかりなので、ここらで近況報告も・・・

入学以来ずっとほぼ0点だったテスト類(問題の意味もわからず、解答欄に問題を写したりしてました)ですが、徐々に上向き、なんと、二年生の二学期にして、はじめて漢字テストで100点とりました!!やった〜!!!
DCF_0265~000.JPG

それに、今日の連絡帳には、先生から「体育で走るの速かったです」と書かれてました!!
幼稚園で、走り方が遅いし異常だから運動会の全員リレーに出ないで欲しいと担任の先生に言われたのから考えると、速いなんて言われる日が来るとは思ってもみなかったので、感無量。(^^)VVV



ブコ
| こころくらぶ | 20:39 | comments(2) | trackbacks(0) |
はじめてのABAセラピー
2008年春、当時すでに五歳、幼稚園年長さんになってから、やっとプチ子はABA療育を始める事ができました。

もっと、早くにABAの事を知り、もっと小さいうちに始められてたら、もっと今頃出来る事が増えていたかもしれない・・・という思いはあります。

発達センターの先生に「ABAというのを始めようと思います。」と話したら、
「ああ、ABAね、知ってますよ。まあ、何でも試してみるのは良いんじゃないですか」と。
「なんだ〜、知ってたんなら、『こういう療育法ありますよ』とか教えて欲しかった!」と私。
すると、「こういった公の施設で、特定の指導法を紹介はできませんからね〜」って・・・
そんな〜堅すぎるし、不親切だし、情報公開の義務はないのか?と、突っ込みたくなりました。それに、ABAに限らず、ありとあらゆる治療法を紹介すれば、特定のを支持したことにならないんだし。

その頃、保護者の育児相談(いま思えば何の役にも立ってなかったかも?)に通っていた発達クリニックのお医者さんに至っては、「ABA!?ダメですよ!あんなのロボット製造でしかない!私が見たことあるのは、覚えた事を繰り返すだけで、その場の状況に全く合ってない事を話す廃人をつくるだけでしたよ!」と、ボロクソに貶していました。
・・・なぜ?ABAに何か恨みでもあるのか?と思えるほどの全否定しちゃってる様子に、どう考えても、あまり正確な知識もないのに、過去の間違った知識と先入観で、患者に威張りたい人というふうに、私の目には映って、逆にその先生に不信感を抱きました。


でも、実際のABAのセラピー(臨床行動心理学の治療なので、こう言います)は、素晴らしいものでした。

まず、子供が楽しめている!!!
あれだけ、いつも、発達センターの個人指導でも、STさんのレッスンでも、言われた通りにできなくて、ダラダラふざけたり、癇癪起こしたり、椅子から逃げたりしていたのに、ABAセラピーでは、初日から椅子にきちんと座って課題に積極的に取り組む姿が見れたのです。

それもそのはずで、ABAでは一つの課題にかける時間のメリハリがはっきりしていて・・・
例えば、「あ」という音の発音の練習をするとしたら、三回なら三回(シールなどを三枚、目の前に用意して見せる)、先生の真似して言えたら、即椅子を降りて、好きなオモチャで遊べる。・・・というように行われるのです。
それは子供にも見通しを立てやすく、この数回頑張れば、すぐに楽しいことが待っているとわかるからこそ、モチベーションも高く取り組め、集中してやれているのでした。

そして、少し遊んだら、また次の課題。を繰り返す三時間です。
先生は、アメリカ人のようなハイテンションで、たかが「あ」を一回言えただけでも、超〜〜褒めてくれます!!プチ子も、気分良くならないわけがないのです。

初回は、
●「き」と「は」の言語模倣、(→この頃は発音悪すぎて、ママ以外の人には何言ってんだか聞き取れなかった)
●「あ、い、う、え、お」の口角模倣、
●舌を出す、
 舌を左右に動かす(→うまく出来なかった)、
 舌を上の歯に付ける(→ほとんど出来なかった)、
 歯をカチカチさせる。
●物の名前「みかん、はさみ、うさぎ、ぶた等」の受容(言うのではなく、理解しているか)、
●物の名前の表出(言う事)、(→犬しか言えず。イチゴ、太鼓、猫、は絵カードを見せられてもいえませんでした。)
●動作模倣「バンザイ、ぶた、うし等」(→人の真似をする事自体が苦手なため)、
●自分の名前(→これも、他人には聞き取れない発音)、歳(→言えなかったので、いわれた通りに真似して)言う。
●指示の受容(座って。〜を貸して。などの指示に応える)
などに取り組まれてました。

いま、記録を見てブログ書いてますが、五歳にして衝撃的な出来の悪さですな〜(@_@;)

これらの課題の一つ一つの間に、ご褒美(遊びや、抱っこやオンブなど)を入れていく訳です。

プチ子は本当に楽しそうに、集中してやれていました。
私も、この先生なら安心して任せられると思いました。

この日から、毎日三時間、平日は五日間、つまり週に15時間のABA集中介入が始まったのです。

その前の週に行われた、今後の指導直前の家族ミーティングで、
担当の先生(毎日、家に来てくれます)を紹介され、
東京支社のトップのスーパーバイザーに面談を受けた時から、
誠実な印象を受け、何と言っても、その経験からくる圧倒的な「任せなさい」オーラに信頼が持てて、私は心の底から「助かった!これでプチ子は助かった!!」と思っていました。(ToT)

どんどん発達が遅れていくプチ子にしてあげられる有効な事が何もなかった状況から、
一転して、頑張ってやっていくべき事がある!という状況になった幸せは、何事にも勝るものでした。


        つづく

ブコ
| こころくらぶ | 23:27 | comments(4) | trackbacks(0) |
療育先を探す  〜自己紹介3の9〜
三年前の当時、日本ではなかなかABAの集中介入指導を受けられる療育先というのは見つかりませんでした。

CREST(脳科学シンポジウム主催先)に参加している「なかよしキッズ・ステーション」の中野良顕教授を尋ねてもみましたが、何ヶ月も待って、面談を受けられただけで、個別指導は行ってないとの事でした。

せっかく効果的な治療を見つけたのに、集中指導を受けられる所がないなんて!!

唯一、たどり着いたのが、A.P.という海外のエージェントの日本ブランチでした。(ただし、現在は撤退しているようです)

一応、UCLAのロバース博士(ABA治療の有効性を開発した)の元で学んだスタッフから指導が受けられるというのが特徴でしたが、費用が尋常じゃない単位で、ひっくり返りました。

アメリカでは、同じような療育を公費で受けられる自治体もあるというのに、日本では全額を患者家族が負担するしかなく、経済的に相当な余裕のある家庭しか治療を受けられないなんて・・・、国や自治体に何とかしてもらえないのか・・・、こういう所にこそ、支援をして欲しいと思いました。

ちょっと発達にバラツキがあって生活に不便があるけど、工夫次第で受容・共存していける、というレベルの発達障害の症状じゃなく・・・、
五歳近くなっても話せなくて、目を離すとガラスのコップを食べたり、ちゃんと歩くことも出来ず常に泣き叫んでいてスーパーに買い物にも連れて行けない。

治療しないと周りも将来も生活が成り立たないレベルの障碍があるのに、
有効な治療は各自で調べて、自費でどうぞ。・・・って、随分、見放されてる感じがしました。
どうして健康保険とか効かないの?最近は子供の医療費はかからない自治体も多く、大した風邪じゃなくても病院に通って薬貰ったりしてる人もいるのに・・・と思ってしまいました。

切実に困ってる自閉症の子達を、治療する発想がなぜ日本には全くないのでしょう?
自閉症や発達障害は治らないから受容するしかなく、工夫して楽しんで、っていわれても、一生自立が望めなくて周りの暮らしに支障をきたしてひどい症状なのに、どう楽しめばいいのでしょう?

こんなシンドイ生活、受容で済まされない〜!!誰かたすけて〜〜!!!
と、困っていても、治療支援の制度が出来るのを待っていても、
子どもの時間はどんどん過ぎていく・・・

我が家も相当、金銭的な面で悩みましたが、いまここで、家や田畑(正確には車ですが)を売ってでもABAの早期集中介入を受ける事で、プチ子の将来に繋がるのなら!という覚悟で入会を決意しました。

その頃、通っていたO田式の障碍コースで毎週会っていたT君(いつも叫んでいたり、歩かなくて引きずられていて、プチ子より大変そうでした)ママに朗報としてA.P.の療育の事を話したのですが、金額的に有り得ないと一蹴されてしまいました。

せっかく効果的な治療法があるのに、経済的な理由でそれを諦めなければならなかったT君の事は、今でも忘れられません・・・今なら、家庭で親が療育をする方法が学べる親の会「つみきの会」のこと等を教えてあげられたのに・・・あれから、どうされてるのでしょう・・・当時の私は、集中介入をしてくれる所しか調べなかったのです(-_-;)


さて、とにかく、APの初回面談を受けることになりました。
子供のオモチャがたくさん用意されてる楽しいお部屋なのに、やっぱりプチ子は初めての場所、状況で大声で泣き叫びまくり、面談のやり取りがほとんど聞き取れない程でした。

それでも、その時の面談をしてくださった先生に「プチ子さんは、とても頭のいいお子さんですよ。」と言われたことは、今でも私の支えになっています。

そうなんですよ〜!やっぱり?先生には分かるんですか?
プチ子は発達検査の結果では、知能が低い低いとばかり言われてきたけど、
生活している中では、明らかにお兄ちゃんより賢い!と思える場面が多々あり、
実際、育てていて、本当は頭いいんじゃないか?と。
発達検査は、言葉が喋れないと、点数低く出るように作られてるので、私に言わせりゃ当てにならないのです。(と、思いたい)

そう思って、成長を信じてやってきていた私には、何とも勇気の出る言葉でした。

そして、その日からすぐに改めるべき、親としての接し方を教えてもらい、セラピーの空き待ちの予約をして帰りました。

その方法とは、「子供が泣きわめいても、要求には応じない。きちんと出来たら、すぐに応えてあげる。」という、とても単純なことなのですが。

なんせ、相手は普通の子ではなく、言って聞かせりゃ理解して頑張ることなんか不可能な相手なので。いきなり、そう言われた通りに試しても、幼児期のヘレン・ケラーにやってみるようなもので、自分では全くうまくいきませんでした。もう産まれてこのかた、泣かれりゃ言いなりになっていた私は、そう簡単に自分で修正できなかったのです。
早く定員一杯の順番が前のお子さんが無事に療育を卒業されて、空きが出ますように・・・
そう祈りながら、セラピーが始まる日を待ちました。

続きはまた。



ブコ
| こころくらぶ | 20:03 | comments(8) | trackbacks(0) |
行動を修正していく 〜自己紹介3シリーズ  その8〜
 何か、プチ子の発達をもっと助ける術はないのか?

二週間にいっぺん、区の発達センターで一時間の個別指導療育を受けて、(実際には色んな習い事を交互に入れてましたが)、自然と成長するのを待っていても、どうやら発達は追いつかない。
それどころか、普通の子達とは、だんだん差が開いていって益々離されていく。

このままだと、プチ子は将来どうなるんだろう?

「治らない、治ることはない」と言われながら、あちこちの療育センターに通って個人指導を受けて、家でも幼児教育の教材など使って一生懸命褒めて教えても、何だか焼け石に水といった印象で、親の気力までもが、どんどん下がって行く感じがしました。

例えて言うなら、映画ドラマ「ルーキーズ」のような弱小野球チームが監督やコーチに「お前らは絶対に勝てない。いくら頑張ったとしても、甲子園には行けない」と言われながら、反面「さあ、腕たせふせをしましょう」と言われてるようなもので、何を目指してるのか?何の希望があるのか?今の毎日に意味あるのか?といった気分になっていく自分がいました。

発達障害は治らないけど、療育をすることで可能な限り、社会に適合できるように持って行ける。
とでも、言ってもらえるなら、まだガンバロウという気にもなれるのですが。

ただ、いつも口を酸っぱくして「絶対に治らない」と強調されても、育てる望みを失い、絶望感を味わうだけでした。

毎日が不安と焦りでいっぱいでした。

なにか効果的にプチ子に働きかける事で、発達を促せる方法はないのか???


そう思いながら過ごしていたある日、ST(言語聴覚士)さんの養成学校で先生から受けられる個別指導にもプチ子は通っていたのですが、学生さん達への掲示板で、「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」というシンポジウムが開催されるポスターを見た私は、「これは聴きに行かなくては!」という興味というより、「何故か直感的に呼ばれている」感じがして、目が釘づけになりました。

でも、専門家向けの学会で、素人の私なんかが行っても仕方ないのだろうと、その日は帰ったのですが。・・・なぜか、やはり、どうしても気になって、翌週また掲示板に突進してメモを取り、すぐに一般聴講の申し込みをしました。

シンポジウム当日も、専門家でもないのに、行って話分かるのかな〜?と不安になりながら会場に足を踏み入れ、難しい発表を頑張って聴きましたが、なんせ本当に難しい話ばかりでした。

もう帰ろうかな〜と思ったその時、まさに運命的ともいえるタイミングで、順天堂大学の北澤教授の「応用行動分析(ABA)」についての論文発表が始まったのです。

とにかく、「早期にABAを用いた高密度治療を2-3年行うと、約半数の児童は介助なしで通学できるまでに回復する(Lovaas 1987 ; McEachin et al. 1993 ; Sallows and Graupner 2005)」という内容のお話に、私は「これだ!これこそが、例のあの小児病院の部長先生が言っていた、アメリカの方では良い方法があるらしい、という方法だ!!!」と、まるで神のお告げでも聞いたように歓喜し、「これで、プチ子は何とかなる。ぜひ、そのABAとやらを試してみよう」と一筋の希望の光に導かれるような気持ちで家路に着いたのです。

それからは、毎日あちこちの図書館に行って関連本を調べたり、当時まだまだ苦手だったパソコンに向かってネットで検索する日々を送り、勉強すればするほど、ABAが効果的な治療であると立証されてる(海外で)ことが分かりました。

なにより、それまでの療育先で取り組まれていた「自閉症の人が過ごしやすいように環境を整える=つまり話せなくても良い」というような方法ではなく、「自閉症の行動そのものを修正していく=つまり話せるように訓練していく」治療法だという所が、私の考え方にピッタリでした。

比較的読みやすいABAの入門書とでもいうべき本を、参考までに紹介します。

キャサリン・モーリス著「我が子よ、声をきかせて
平岩幹男 著「あきらめないで 自閉症 幼児編
井上雅彦 著「自閉症の子どものためのABA基本プログラムー家庭で無理なく楽しくできる生活・学習課題46」
末吉景子 著「えっくんと自閉症

などをお勧めします。ご興味のある方は是非お読みください。

それまで、病院や療育先でも教えてくれなかったABAという療育を、はやくプチ子にしてあげたい。
あとは、すぐにでもABA集中療育を受けられる施設を探すのみでした。

しかし、それが日本国内には中々ない、という事は探し出してすぐにぶち当たった壁でした。




ブコ
| こころくらぶ | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
予後は不良  〜続・・紹介3シリーズ第五弾〜
 「自閉症の予後は不良。」
・・・よご???不良????え?将来ヤンキーですか????

まったく聞いたことない医学用語にも詳しくなりました。今じゃ。
「予後は不良」って、治癒が望めない、回復の見込みがない、という意味です。

プチ子は区の三歳児検診で再びひっかかり、ついに国立成育医療センター(=旧国立小児病院)に紹介されました。

大きな病院で、こども向けにカラフルな作りになっていて、所々に遊具?のような設備がある楽しい雰囲気いっぱいなのに、慣れない場所でプチ子はやはり大泣き!普通はしばらくすると泣きやむでしょうが、プチ子は驚かれるくらい、とにかくいつでも最大のボリュームで泣き続けるのです。周りに迷惑なので、ポケベルをもらって中庭にいました。

総合診療科の若い担当の先生は、とても子供好きの優しい先生でした。泣き続けるプチ子をなだめながらオモチャで遊ばせ(遊び方を診ます)、終わってから私がオモチャを片付けようとしたら、「そのままでいいですよ〜。僕、子供が散らかしたオモチャの跡、好きなんですよね〜。なんか遊んだあとっていいじゃないですか。」と言われ、泣きそうになりました。いつでもどこでも迷惑がられているので、たまに受け入れてもらえるとグッとくるんですよね〜。

とにかく脳のCTを撮ること、発達検査をうけること、言葉が遅いのは聴覚の問題も疑われるので、耳鼻科の検査もうけることが決まりました。
プチ子は、呼んでも振り向かない事もあるけど、興味のある音なら反応するので、聴覚は大丈夫と思ってましたが、念のため受けることにしたのが大失敗。
普通の子のように、「音が鳴ったら、手を挙げる」というやり方を言っても分からないので、また睡眠薬で眠らせて脳波で診るという検査方法になりました。CTも睡眠薬ですけど。

検査日は夏休みに入ってしまい、当時二年生のお兄ちゃんを一日留守番させる訳にもいかず、連れて行ったのが運のつきでした。
朝一で診察受けて薬をもらい、中庭でお兄ちゃんを遊ばせながらプチ子を抱っこで寝かしつけ(三歳半です。重っ!)やっと寝て耳鼻科の検査室に連れて行き、ポケベルもらって食堂でお兄ちゃんにランチ食べさせ、呼び出されてお兄ちゃん食堂に残してプチ子迎えに行って睡眠覚醒待機室(正式な名前は忘れました)というような部屋に連れて行って看護婦さんにお願いして食堂に戻ってお兄ちゃん引き取り、私は昼食べ損ね、お兄ちゃんもそのころまだ扱いずらい子だったので、なんとか機嫌を保つように絵本読んであげたりしたけど、いいかげん退屈してたし、やっとプチ子目覚め、再び先生診察、会計待ち・・・と大変な思いをして帰ったら七時すぎでした。さすがに「もう連れて行かれたくない」とお兄ちゃん。

CT検査は別日でしたので、お友達の家で預かってもらいましたが、それも一日がかりでしたので申し訳ないし、大きい子供病院なんだから兄弟児の託児所とかあればいいのに〜と思ってしまいました。

何度か通って発達検査も受けて、いよいよ診断結果が出される日、・・・なぜかいつもの優しい先生ではなくて、お偉い部長先生からの告知を受けます。
「知的障害を伴う広汎性発達障害。治りません。」ときました。
・・・え?いつもの先生はどこ?この人いま何て言った?治りません?・・・

やっとのことで、言えた台詞が、
「え〜と、じゃあ、これからどうしたらいいんですか?」と私。
「は?どうしたらなんて、知りませんよ。病院は、検査をして診断を下す所ですからね。相談する所じゃないんでね。」とは部長先生。
「え?相談するところじゃない・・・?」
「発達センターとか行ってないの?相談はそっちでして。」
「はあぁ・・・でも今治らないっておっしゃいました?」
「予後は不良です。・・・・・まぁ〜、アメリカのほうには、なんだか良い治療があるそうですけどね・・・」
と、後半は小声で独り言のようにブツブツ言われました。

なんだか、その先生の投げやりな態度にもショックを受け、呆然と帰ったんでしょうか。後はよく覚えてません。

でも、家に着いてから、さっきの「アメリカには良い方法が・・・」という部分が急に気になり、気が付いたら、国立成育医療センターに電話をかけていました。
「OO部長先生は、アポイントのない電話にはお出になりません。」と言われても、大事な用件なんです!と引き下がりませんでした。
随分待たされて、しぶしぶ電話に出た部長に「さっき、アメリカにはどうのこうのって、言われましたよね!?」と、もはや因縁つける勢いの私にビビったのか、「言ってませんよ。知りませんよ。」と最初言ってましたが、今のところアメリカでしか受けられない治療法で、莫大な時間と労力を要する事。どのみち、日本じゃ受けられない。という事を言い捨てて切られました。

なんだよ、それ〜・・・・(><*)

よくも治らないなんて、平然と言ってくれたわね〜!!
アメリカに良い方法あるんなら、治るんじゃないの???

医者なら、治療法にどん欲に興味持って研究しろよ!!!
とショックの矛先をあの先生にぶつける私でした。


ブコ
| こころくらぶ | 00:50 | comments(2) | trackbacks(0) |
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